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「竹下村誌稿」を読む 280 助郷 2

(散歩道の白色のルコウソウ)

ルコウソウは赤色のものをよく見るが、白は珍しい。

先般、終えた静岡南部センターの古文書講座の感想文を頼まれていて、やっと今日書き上げた。明日ST氏へ渡す予定である。

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「竹下村誌稿」の解読を続ける。

助郷に定助郷、大助郷の別あり。定助郷は、宿駅より一、二里の近傍の諸村にして、所定の人馬を不断宿駅に出すを云い、大助郷は(又加助郷とも云う)、臨時の用に備えたる助郷にして、五、六里内外の遠き諸村にして、諸大名の参観(参勤交代)、或るは京阪番衆など非常の大通行ありて、人馬不足の場合に課役せらるゝを云う。その割合は定助、大助とも、高百石に付、人夫二人、馬二疋の割合なり。定助郷は三役高掛役を免除し、大助郷はこれを免ぜざるの制なり。
※ 不断(ふだん)- 平生。いつも。普段。
※ 京阪番衆(けいはんばんしゅう)- 「番衆」とは、幕府・朝廷・大名家などで、殿中や館に交代で宿直・勤番して、警備や雑務に当たった者。「京阪番衆」は、二条城、大坂城の在番で、それぞれ一年交替であった。
※ 三役高掛役(さんやくたかがかりやく)- 高掛三役。江戸時代、天領・私領の村々で、村高に応じて課された付加税。


この問屋場(昔は問丸)には問屋年寄職あり。帳付、馬指配、人足指配など、十数人の事務員有りて、所定の人馬を置き、往復する諸大名、諸役人の要する人馬の継立て、官駄の逓送に遅滞なからしむ。問屋場は当時に於ける宿駅の公衙にして、問屋職は宿中もっとも権勢を負いしものなり。その事務文書に用ゆる印章は、方形にして、東海道何宿問屋の字あるものを用ゆるを例とせり。
※ 問丸(といまる)- 中世、港や重要都市にあって、年貢などの物資の輸送・保管・中継取引、船舶の準備、宿泊の世話などを行った業者。
※ 公衙(こうが)- 役所。官公庁。


事務員は毎日事務所に詰め合い、諸役人の挨拶、荷物の継ぎ卸しに忙しく、場内喧噪を極め、その雑踏云わん方なかりき。諺に、高声絶叫する場合を、問屋場の如しと云えるにても知るべし。故に、事務所の構造の如きも、普通家屋とその赴きを異にし、床高くしてほとんど中二階の如く、白壁を塗り、腰羽目を張り、その上にて執務応答をなし、前に平坦なる広き土間を設けて、荷物の継ぎ卸しをなす所とせり。

元禄七年(1694)二月、創(はじ)めて助郷の制を立てられしより、人馬継立に要する費用頗る多く、助郷村々の多大なる負担に苦しむに反し、海道宿駅の肩摩轂撃の状態は、到底今日を以って想像し得ざるものありしなり。
※ 肩摩轂撃(けんまこくげき)- 人や馬車などの行き来が多くて込み合っている様子。
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