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欠席した5月の解読古文書 - 掛川古文書講座

(4月7日、第七番札所十楽寺山門、
写るお遍路は「小にぎり」さん)

掛川の古文書講座は5月から始まっていた。お遍路中で欠席したけれども、資料は頂き解読した。5月21日に紹介した文書と関連する文書である。似ている文書だが、前書は嘆願書であり、この文書は覚書である。

前書の嘆願書を書く目的で、28年前の朝鮮通信使が来朝した際の実績と、その後に助郷のしくみが改定された経緯を書き上げた覚書を作ったものであろう。以下に文書を書き下して示す。5月21日に紹介した文書と比較してみると面白い。

 享保四亥年
朝鮮人来朝帰国の節人馬勤方書上げ帳
 延享四卯の年六月
          遠州佐野郡
              上垂木村

        覚
一 高七百五拾五石八斗九合
  但し高百石に付、金三分銀五匁づつ
右は享保四亥年朝鮮人来朝の節、懸河宿より藤枝宿まで、帰国の節は懸川宿より濱松宿まで送り、人馬請負に相成り、右賃銭割合に仰せ付けられ、相勤め申し候、もっともその節は懸河宿大助村にて御座候に付、右の賃銭仰せ付けられ候

一 懸川宿定助、高五千七百石余、その節は自餘御通し御役相勤め候に付、朝鮮人御役相勤不申さず候
 ※ 自餘 -それ以外。そのほか。

一 享保九辰年、東海道宿々人馬勤め方、御吟味として、長谷川庄五郎様御通り遊ばされ、懸河宿定助、大助、高合わせて壱万六千六百六拾石、打ち込み、半高をもって隔年に相勤め候様、御定め仰せ付けられ候ゆえ、半高は自餘御通し役相勤め候に付、この度、朝鮮人御役半高は相勤め申さず候、先格に存じ奉り候、以上
 ※ 先格 - 前からのしきたり。

一 見附宿、昼休み御賄所へ村役にて何にても一切差出し申さず候

一 天龍川舟橋へ村役にて何にても一切差出し申さず候

一 大井川河越し人足、一切差出し申さず候

その外、何にても一切差出し申さず候

右書面の通り、相違御座なく候、以上
  延享四卯年     上垂木村
     六月        組頭 作右衛門
                 同  七左衛門
                 同  平兵衛
                 同  与右衛門
                庄屋 傳右衛門
                 同  藤七郎

来る辰年朝鮮人来朝に付、
太田摂津守様御領分の節書き上げ帳

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