平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
冬の雨降る瀬戸内を行く
お遍路17日目、11月17日(火)歩数33,517歩-距離19.9km。
今日のコースは、太田屋ビジネスホテル-19.9km-あさひや旅館、のコースである。
朝から冷たい雨が降っていた。とにかく合羽に身を固め、雨支度は万全にして宿を出た。山口の男性は今日は停滞すると話していて、出かけるときにもまだ食事に降りていなかった。道は瀬戸内海に沿って続いている。雨は降りしきり風が寒い。
山口の男性は一日に短歌を一首詠むといっていたが、考えることが無いので自分も挑戦してみた。
いにしえも かかる苦難に 遭いしかり 冬の雨降る 瀬戸内を行く
出来たと思ったのだが、書き出してみると思い付いた言葉が正確に出てこない。こんなもので短歌と言えるのだろうか。
休むところも無く、休めば身体がたちまち冷える。合羽の防備も袖口、足元からだんだん濡れてくる。軍手がぐっしょり濡れて手がかじかんでくる。冷え込むためか、30分もすると小用のため草叢を探さなければならなかった。
(小さなお接待)
今治市に入って、最初の旧菊間町は瓦の町で、海辺の道沿いに瓦業者が連なっていた。小さな小屋にお遍路さん休憩所があり、菊間陶芸愛好会のお接待の小さな焼き物が置かれていた。中でも足の裏を形作り、「又一歩」と刻んだものは菊間中学一年小瓦グループの作品であった。それぞれ面白く、3つも貰ってきてしまった。
結局20kmに近づいたところで、あさひや旅館を予約して、半日で遍路を終えることにした。初日に高知で降られた雨はまだ暖かくて気にならなかったが、今日の雨はこのまま歩いていけば確実に風邪を引くと思った。
あさひや旅館のある今治市大西は造船の町である。佐世保重工を立て直したことで有名な坪内寿夫氏の栗島ドックの地元であった。戦前、住友系の造船所があったが、戦後坪内寿夫氏が来島ドックをはじめた。坪内寿夫氏も亡くなり、興隆を極めた来島ドックも今は経営者が変り、新来島ドックとして操業している。
半日疲れを癒したことになったが、うまくすれば明後日登る予定に出来た第60番札所の横峰寺(標高745m)が一日伸びることになった。泊まりの都合でそうなってしまう。したがって、明日、明後日ともに20kmほどの歩きになる。天気も回復するから、その間に元気を取り戻そうと考えている。
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