月刊 きのこ人

【ゲッカン・キノコビト】キノコ栽培しながらキノコ撮影を趣味とする、きのこ人のキノコな日常

『モレルさん』 その2

2014-05-13 19:46:38 | キノコ創作
その日は花見だった。

いや、正確には「花見のつもり」だった。新入社員の歓迎会をしようということで、先週の日曜に開かれるはずだったものが、幹事で仕切り屋のKさんが前日に風邪でダウンしてしまったものだから、一週間延期して今日になってしまったという。だから、桜もあらかた散ってしまっていて、花見じゃなくて「花見のつもり」なのだった。

ただ、そんなこととは関係なしに春の日差しはうららかで、気持ちが良い。花がなくても酒があればそれでいいじゃないかと、そう思うのも無粋ではない、口には出さないけど。

「では、今年新しく迎えた新入社員のみなさんに、あらためて自己紹介をしてもらいます!」

Kさんの仕切りで自己紹介が始まる。場を取り仕切れるのが嬉しくてたまらない、そんな表情だ。

「新入社員のSです!」

切り込み隊長役の威勢のよさそうな男子社員から紹介が始まった。「新入社員」と自分で言ってしまうあたりが、初々しすぎて、聞いててちょっぴり恥ずかしい。私は手洗いに行くふりをして、こっそりと席を外した。


ここはダム湖のほとりに桜を植えたダム公園である。湖畔の桜が水面に映りこむ眺めはやはり、街で見る桜並木とは趣が違っていて、ここへ撮影に来るカメラマンも相当な数にのぼるそうだが、桜が散った今はその姿もない。それでも、散った花びらに彩られた地面のそこかしこに、タンポポやスミレの花がそこかしこに見え、これはこれで大した花見じゃないか、などとひとりごつ。

お酒がはいってたこともあって、私は宴のことも忘れ、ずんずんと湖のほとりの遊歩道を進んでいった。

「モレルさん?」

私は突然にそうつぶやいてから、無意識にその名を口にした自分に驚いた。モレルさんだって?どこに?

そう思ってきょろきょろとあたりを見回すと、今通り過ぎようとした桜の下、古ぼけてもう使われていない簡易焼却炉のすぐとなりに、淡い黄色の花柄の服を着た、にこにことほほ笑む上品そうな中年の女性が立っている。さっきは誰もいなかったはずなのに・・・と、いぶかって、私はついまじまじと顔を見てしまった。

「あら、今モレルさんとおっしゃった?」

思いもよらず、見知らぬ女性は気さくに話しかけてきた。モレルさんじゃ、ない。でも彼女は、周りから少しだけ浮き上がっているような、モレルさんに似た空気をまとっている感じがした。

「あ、え、あの」さすがに唐突だったので、しどもどして言葉にならない。

「ふふ、いいのよ。人違い、でしょ?」

女性は少しいたずらっぽく笑いながらそう答えると、話を続けた。

「モレルさんをご存知なのね。似ているってよく言われるのよ。親戚なの。」

そう言いながら私の方に歩んで来る。

「“むじ”と呼んでくださる?みんなそう呼ぶわ。」

ムジさんは、戸惑う私に構うことなく自己紹介をした。ムジさん。柄物の服を着てるのにムジさん。私は、そんなくだらない思いつきをして、ちょっと吹き出してしまった。自己紹介を返すのも忘れて人の名前を笑うなど、失礼も甚だしいのだが、ムジさんは一向に気にしない様子で、ひとりにこにこしている。本当のことを言えば、ふっくらとした彼女の体形や風貌は、すらりと細いモレルさんとはちっとも似ていないのだけれど、それでもなんとなく納得してしまう何かがあった。

「あの、よろしければ、いっしょに散歩でもしませんか?」

私は、モレルさんで慣れていたせいもあってか、彼女に急に親近感を覚えて散歩に誘った。

「ええ、いいですとも。」

こうして、ふたりは湖のほとりを連れだって歩きはじめるのだった。


(続く)


『モレルさん』その1


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