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外鈍内鋭 ・・・ 「鋭さ」を「純」の外皮で包みこむ 

2010-08-21 15:08:30 | Weblog
「よき細工は少し鈍き刀を使うといふ」

  と 吉田兼好の『徒然草』にあります。

刀が切れすぎると かえって使いにくくて

  いい細工ができない というのです。


人間もまた そのとおりであると思われます。


鋭すぎる人を上司や部下をもつと やりにくい

  とは どなたも 体験をもって悟っておられるところでしょう。


亭主や女房にもっても同様で

  夫婦間の安らかな平和が保ちにくくなります。


「鋭い」ことは カドが立ちやすいことであり

  「鈍い」は「円い」にも通じる徳でもあるからです。



「結婚したら(配偶者に対して)片目をつむれ」というのも

「鈍になれ こまかくみるな。でないと 仲が長続きしない」

  という教訓にほかなるまい ・・・ と思います。


鋭いことは才能ですから

  鋭さがあっていけない ということはありません。

鋭くありうるなら これに越したことはないのです。


しかし その鋭さを ムキ出しにしてはいけないでしょう。


鋭さを 「鈍」の外皮でもって包みこむ必要があります。

「外柔内剛」という言い方を真似れば

「外鈍内鋭」 ・・・ です。

あるいはこれが 人間の理想像であるのかもしれません。


内も外も鋭く センシィティヴというのでは

  その鋭さに自分が疲れて 忍や根気や寛容から縁遠くなるために

    ・・・ 自分も 周囲の人も 生きづらいにちがいないからです。


いちばんいけないのが 「外鋭内鈍」という人物です。

こういう人は ・・・ 扱いようがありませんね。






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