木のつぶやき

主に手話やろう重複の仲間たちのこと、それと新聞記事や本から感じたことを書き込んでいきます。皆様よろしくお願いします。

books43「海馬」池谷裕二・糸井重里(新潮文庫)

2005年11月03日 20時14分54秒 | books
2002年6月に発行された時にすごく読みたかったのですが、先日もう文庫になってるのを発見し早速購入しました。
糸井重里との対談なんですが、なんか勇気づけられることがたくさんあります。
実生活に結びつけた論理的な思考は、30歳を超えてから伸びる。〔57頁〕
これって嬉しいですよね。
「暗記メモリー(意味記憶)」よりも「経験メモリー(方法記憶)」の方を重視しています。…「脳が経験メモリーどうしの似た点を探すと、『つながりの発見』が起こって、急に爆発的に頭の働きがよくなっていく」〔120頁〕
そうか、そうなんだ、僕もあきらめずに勉強を続けていけば、少しは進歩すんだ、って思える気がしてきました。
方法を学んでいく学び方の進行が「べき乗」で起こり、やればやるほど飛躍的に経験メモリーのつながりが緊密になっていく
確かに、「あっ、そういうことなのか」って気づくことは、年齢に関係ない気がします。「やればやるほど」っていうのが大切ですね。
大きな目標を持つことは大切なのですが、「今日はここまでやろう」とか「一時間でこれをやろう」と、実行可能な目標を立てると、目標を達成するたびに快楽物質が出て、やる気を維持できます。〔226頁〕
これもなかなか名言ですね。名言じゃなくて事実なのか…。仕事なんかもそうですね。今週中にやろうって思うより、午前中に片付けようとか短時間に設定したスケジュールの方が集中できて遙かに効率がいい気がします。
糸井;ゆとり、余裕、遊ぶかぁ。
池谷;つまり、新しい認識方法を受け入れるためのスペースが必要ですよね。〔254頁〕

これは実に痛いとこ突いてるなって感じです。余裕という意味での「遊び」って大切ですよね。手話講習会の講師なんかでも、準備ばっちりでガチガチに考えちゃうとろくな結果が出ないのに、大した準備できなくても受講生のことを余裕持って見つめられると意外といい講習会ができたりする。
「脳は使い尽くすことができる」と気づきさえすれば、どんな年齢であっても、脳を使い尽くす方に枝分かれできる。…ある時にふと、「これ面白いなぁ」と思って、自分の視点にひとつ新しいものが加われば、脳の中のパターン認識が飛躍的に増える…。それを繰り返せば、人の考えというのは驚くほど面白いものに発展するんです。〔275頁〕
そうかぁ~そうなのかぁ~。「おもしろい」って思えることって大切なんだなぁ~。
いっぺんに解決しようとしたら、手もつけられない。それが一個ずつだと、ひとつずつ解決の喜びがプレゼントされていくなんですね。〔286頁〕
さすが糸井さんもいいこというなぁ~。僕も「手をつけられないな」って思うことがしばしばある。でも、
「まず、やってみろよ」っていうことって、ほんとうに大事。
なんですねぇ~。そんでもって、
「俺は馬鹿だから」っていう演歌みたいなセリフを言ったとたんに、すべての可能性が終わっちゃうんですね。〔294頁〕
そうなんだな、そうなんだな、
言葉によって、自分をそこに固定したことになりますから。そう考えると、言葉ってすごく厄介なものでもあると思う。
言葉で自分をあきらめちゃいけないよね。どうかすると「俺は読み取り苦手だから」って決めつけちゃう自分がいるんだけど、そうじゃないんだよなぁ~。まず、やってみる、トライし続ける自分を大切にしなきゃね。
人生においてやりかけのことだけが募ってくると、当然、誇りは生まれないだろうと思います。誇りを生むためには、ちょっとでも完成したものを残していくというか、そうしないと、自信って出てこないですよね。〔298頁〕
このブログもそんな気持ちあるなぁ~。なんか東京にいた頃みたいに手話サークルのスケジュールに乗っかって必ず毎年なんか「成果」があるっていう毎日じゃないから、どんどん自分に自信がなくなってる。だからなんか感じたこと、考えたことを断片でもいいから書き残しておきたいっていう焦りみたいな気持ちがある。
なんかホント不思議な本です。人生指南書だね。
走らされているよりも、気持ちいいから走ってるほうが、おもしろいじゃないですか。〔333頁〕
「気持ちいいから走る」ってか、そうだよなぁ~。
それから、「専門家を自覚してつまらなくなっていくという過程」〔175頁〕の説明で糸井さんが「今まで安定して「自分の取り柄」にしていたものが全部台無しになって、存在意義がなくなってしま」った時にどんな風に振る舞えるかで、クリエイティブな仕事ができるかどうか分かれるみたいな話しをしていてすごく共感しました。共感っていうか、それ自分ジャン!みたいな感じです。昔からの中間型手話で育ってきた人にとって、日本手話って「「自分の取り柄」にしていたものが全部台無し」状態だと思うんですね。そういう時に、「自分の正当性を主張」しちゃったり、開き直ったり、めげたり、逃げたりする自分にならないようにしたいなと思いました。
それから×2、最後にもう一つだけ勉強になったこと。
(神経細胞)Aが情報の出し手、Bが受け手。そういう組み合わせでは、情報の受け手のほうが重要なんです。海馬の神経細胞に限っての実験なんですけど。…イニシアチブは、受け手が持ってるんですよね。〔243頁〕
この二人のやりとりもとてもおもしろかったです。手話通訳士の養成講座もそうだよなぁ~。講師がなんて指導するかとか、どんな風に工夫して進めるかっていうことより、受講生がどう受け止めたかってことがすべてなんだよねぇ~。このことを肝に銘じて講座準備に戻りたいと思います。
海馬―脳は疲れない

新潮社

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books42「中国農民の反乱」清水美和(講談社α文庫)

2005年11月03日 00時57分48秒 | books
books20「中国はなぜ「反日」になったか」と同じ清水美和さんの書かれた中国の「三農問題」(農業、農村、農民)の現状を記した本。単行本は2002年7月に発行されているが、今年の8月に講談社α文庫に入ったので購入した。

本のカバーには「隠された反日の温床」と刷られているけれど、文庫版の帯に書かれた「貧困農民10億人の不満は頂点に! 反日行動への移行も懸念される中国のアキレス腱「三農問題」の深層を現地取材」というのが正確だ。「移行も懸念」しているが、むしろ中国そのものの中に「大乱」の予兆がある事を書いている。

中国の農村住民が戸籍制度によって「農民」という社会的身分に縛り付けられていることも初めて知ったし、2001年12月のWTO加盟以降、中国農業が国際競争に晒される危機に直面してきたことも、この本で学んだ。

第8章「WTO加盟の衝撃」の小見出しには「首相悩ます農業」「国際競争力のない農産物」、「狭い土地、多すぎる人口」「2億人の過剰労働力」、「土地流動化の落とし穴」、「労働力移動の自由化」「市民的権利のない農民」といった文言が並んでいる。

戦後日本も、アメリカ等からの農産物輸出攻撃に晒され、農業生産が壊滅的な打撃を受けたが、今後お隣の大国中国が同じような運命をたどるのだろうか。
清水さんは、2008年の北京オリンピックに向けて急激な都市化を進める中、取り残された農村との格差がさらに広がることで、都市住民対農村農民という二重構造の安定が揺るがされるおそれがあると結んでいる。

日本の外交政策もよりタカ派的な色合いを濃くしているが、こうした中国のお家事情に配慮した冷静な取り組みが必要だと思う。

中国農民の反乱 ――隠された反日の温床

講談社

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