波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

    思いつくままに

2011-05-25 09:28:32 | Weblog
昔、ある国で一つの事件が起きた。夫のいる家庭の主婦が不義密通、つまり浮気をしている現場を見つけられ群衆によって広場に連れてこられ、ここで石打の刑に会うというのである。この国では当時厳格な掟(律法)があり、この定めによるものであった。
今、まさに周りの人々によって石が投げられようとした時、一人の男がそこへ来て大声で
話した。「あなた達の中で、今まで罪を犯したことが無い人からこの女に石を投げなさい。」それを聞いた者は、年長者から始まって一人、一人そして又一人と立ち去り、何時の間にかその場には男とその女の二人だけが残っていたと言う話である。
現代では到底考えられない事件であり、話である。むしろこのような事は日常茶飯事のことであり、悪い事でもなんでもないと笑われてしまう事かもしれないが、もし自分が其処にいて「今までに悪いことをしていないか」と問われたとしたら、自分は何と答えられたかと思ったとき、この話が他人事とは思えない重さがあった。
もし同じことを若者に聞いたとしたら、何と答えるだろうか。多分「俺は特別悪いことをしてきたとは思ったことは無いなあ」と答えるのではないだろうか。
この話でもう一つ気になるのは「年長者から始まって」とあることです。
つまり年を取ったものから、自分の過去を振り返り心当たりを思い、自分の罪を認めていたと言う現実です。人は中年を過ぎ年を取るごとに世界中の人がたぶん自分と同じようなものだと考えられるようになってくる。そしてそれらの失敗や欠点を素直に認め、それを
笑って話せるようになる。それが相手を許す寛大な心を持てるようになる時でもあると思うはずである。自分が良い人間で罪を犯した事がないと思っている時はまだ充分自分が
分っていない時だと思えます。
此処で言われている「年長者から」立ち去ったとあるのは「自分も同じようなことをしたことがある」「私も同じようなことをしたかもしれない」とありのままの自分を認識する
勇気を持つことであり、その事が人間として大切なことだと言うことを教えていると思う。人間と言うものは元来まことに不完全なものだと思う。
自分はこれで良しと思って生きていても、知らず知らずのうちに人を傷つけていることがある。短所だけでなく、長所によっても人を傷つけていることがあることを知っていなければと自戒することが出来た。
暑い日がきたなあと思っていると、雨が降り急に気温が下がる時もある。梅雨の走りを思わせるこの頃である。

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