波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

          思いつくままに

2010-09-15 08:55:48 | Weblog
今から9年前の2001年9月11日のアメリカの貿易センタービルの事件から9年が過ぎたが、今でもあの光景は目に焼きついている。とても現実のこととは思えず、あの場面を見ながら呆然としていたことを思い出す。しかし、よく考えてみるとあの事件の起きた背景には色々な原因と要素があるが、突き詰めていくと人間の憎悪に基づく感情に発している事が分る。それはあのような事件にまでならないまでも日常の私たちの生活においても毎日起きている。自分の感情に合わないことや不都合なことが起きるとそれは顔に出るか、出ないか又は言葉になるか、ならないかは別として心の中は揺れるものである。相手に対しての憎しみは決してなくならないし、又何時までも残るものでもある。しかし、その原因を生んだ側は意外とそのことに意識を持たないことも多い。そしてそれは何時か何らかの形になって爆発することになるか、何かの形で現われることになる。
私の経験でも若い人に仕事のことで少し強い口調で注意をしたことがある。(夢中になると正義に駆られて分らなくなっていた。)後日、当人からある席でその話が出てあの時、強く注意されたことが頭に残っていたらしく、その夜寝言を言い、うなされて妻に起こされたと述懐していたことを聞かされたことがある。私は全くそんなことがあったこととは露知らず、無頓着であったことを悔やむと同時に反省をしたのだが、言葉が剣となって人を射し、傷つけることを、この時ほど覚えたことは無い。
聖書に「汝の隣人を愛せよ」とあるのは、人間関係において最も大切であり、必要なこととしてこの言葉があることに改めて考えさせられるのである。
暑かった夏の暑さもやっと峠を越して、朝晩の涼しさを感じるようになってきた。
8月もジムのトレーニングを欠かさず出来たことを体調のバロメーターとして嬉しく思っている。そんなトレーニング中にある婦人から声をかけられた。通い始めて5年になるが、始めてのことである。話は弾んで暫く立ち話をしたのだが、聞いてみると介護士の仕事をしているとのこと、健康管理についてのアドバイスを聞きながら、こんなことで交わりを持つことがあるのかと、普段感じないふしぎな思いになった。やはり孤独で居ることのなかで
声をかけられ一人の人とのつながりを持つことが何か力として感じたのかもしれない。
「まだまだこれからじゃない。」激励の言葉が耳に残っている。

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