波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

           思いつくままに   

2010-08-04 09:28:19 | Weblog
猛暑の中での朝の目覚めは特別だ。頭の覚醒が遅く、すっきりしない。新聞を持ち、ゆり椅子に腰掛け、手に持ったまま眺めている。まだ内容を読むほどの良い状態ではない。そのうち次第にすっきりしてくる。しかし、最近は新聞を読む人口が減っていると聞く。忙しい時代になり、ゆっくり読む時間がなくなっていること、新聞に出る報道記事は新聞以外のメデイアや機能(ネット)で補えるようになっていることもある。確かに大まかの見出しに出てくる報道は新聞に頼ることはないし、その内容も真新しいものでもない。では新聞の果たす役目は不要になっているのであろうか。そうではない。ただ、このような時代の中で、なおかつ新聞ではなくてはならない内容に出来るか、どうかであろうか。その辺に差し掛かっているような気がする。その一つに日本を取り巻く世界の動向がある。まして隣国の中国の実態は、今や日本への影響は大きい比重を増しつつある。今年の初めからだけでも、可なりの変化がある。1月には新車販売台数が世界一(2009)を記録(1223万台)、また実質経済成長率(GDP)は8%と予想され、上海万博が開幕、(7千万人を予測)そして6月頃から人民元の切り上げのニュースが出始める。最近では賃上げと格差の是正を求めて工場ストが頻繁に起こっている。この事がこれからどんな影響をもたらすのか、非常に興味深いものだ。そのほか、アジアに限らず、その他の海外の状況は新聞によって、詳しく知りたいと思う。又、報道だけではなく、このような世の中だけに、今必要な心のあり方、考え方を示す内容のものも欲しいと思う。事実を知らせることだけでなく、そのことから学ぶことを新聞というステージで示峻するものがあっても良いような気がする。
暑い中を歩きながら、ふと、自分の背中の荷物が気になるときがある。若いときは会社の仕事というもので他の荷物は持たなかったような気がしていたが、次第にその荷物が何時の間にか無くなり、(定年)夫、父、兄、と次第に変わってきていることに愕然とすることになる。そしてあらてめて自分の荷物はなんだろうかと、問いかけてみる。人間はなすべき事をなすべき事を告げられつつ生きている存在だ」と聞いたことがある。「なすべき事はしている」のだが、告げられていることを認識できているか、それは別のことかもしれない。

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