波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

      思いつくままに

2011-11-09 10:30:27 | Weblog
いつの世も人が生きている限り生活はついて回るのだが、どのような状況を考えていればよいのだろうか。やはり生活に必要なものがいつでも手に入り、自由に欲しいものがあると言うことであろうか。
しかし、仮にそれが出来ていたとしても、例えば自分の身体が不自由になったとすれば、それらは一瞬のうちに何の意味も持たないことになることをその時、考えているだろうか。
だから人間と言うものは常に悪い状況になること、悪い状況にあることを忘れずに深くどこかに刻み付けておくという考えを持っていることが大切なのではないだろうか。
仮に現在の自分が満足できる状態であったとしても、それは何らかの形でいつでも取り上げられることもある事を考えて、その状態がいつまでも続くという考えを持たないようなクセをつけないようにしておいたほうが良いかもしれないと言うことだ。
つまりそのような状態がいつまでも続くとか、当然なことだと思わないようにすると言うことである。(逆にもうずっと悪いことが続いて良くなることは無いと思うのも間違いだと思うが、)
人はとかく生活において、会社でも、家庭でもあること大幅な利益を得たり、家庭が裕福になったりすると自分の生活のレベルを上げてしまい、それが仮の状態であることを忘れて悪くなったときの心構えがなくなってしまっている人が多いことを、いろいろな形で知らされているからである。
それは言い換えるなら、自分を見つめるもう一つの眼を持っていて本来の主観的自分と客観的な自分と言うものを常に自覚する心を持ち合わせておくと言うことでもある。昔から「分相応」という言葉があるのだが、今はその言葉があることさえ忘れ去られている。またこんな言葉もある。「兄弟たち、私はこう言いたい。定められたときは迫っている。今からは妻ある人は無い人のように、泣く人は泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のように、物を買う人は物をもたない人のように、世のことにかかわっている人はかかわらない人のようにすべきです。この世の有様は過ぎ去るからです。」とありました。
この言葉にあるように「持っていても持たないかのように」生きると言うことは言い換えれば、それを知ったときに初めて失うことの場合について備えておきなさいと言うことであろうかと思う。
人間はとかく現状の場面場面に左右されて行動することが多い。しかし、それでは人は本当の意味で「心の自由」を
持っていることにはならないのではないだろうか。

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