波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

足跡    「海外の思い出ー①」

2017-11-21 09:38:46 | Weblog
今から約30年ほど前(1988年頃)ちょうど天安門事件の前年だったが、北京を訪れる機会があった。(会社のミッツション)中国は仕事で香港、深釧経由で東完へ行ったことがあったが
工場とホテルの行き来だけであまり印象はなかった。ただ深釧葉入国するさいに鉄道を降りて越境するときに通る小さな谷川の渡りはとても印象に残っていて当時は「此処から中国に入るのだ」という思いがあった。確かに深せんに入ると、まったく景色が変わり私たちが駅を出ると周りからどっと人が集まり、歩きはじめると一緒についてくる。どこまでもどこまでも私たちが休憩する場所まで、何事もなかったのだが国境を越えた瞬間からその緊張感は初めて経験するものでそれは滞在中ずっと残っていた。
さて、北京は首都がであり、中心でもある。泊まったホテルは天安門に近い「日航ホテル」で
ほとんど日本人であった。翌年この天安門であの歴史的な事件が起こるとはおもってもみなかったが、散歩していると自転車の一群にであい、その多さに驚いたこととその自転車に電灯器がついていなかったのが印象的であった。また近くの土産物屋さんを覗いたこともあったが、
店員に何を聞いても振り向きもせず、答えることもない。(最も言葉の通じないこともあるが)その表情は硬く厳しいものであった。
目的が観光ではなく工場見学であり、視察であるので名所、旧跡を尋ねるという時間はないので残念だがその思いでも記憶もない。北京から二つのグループに分かれて、私たちは上海へとむかった。ちょうど春だった(4月)ので柳並木を通ると柳の花が真っ白に咲き風に吹かれてまるで紙ふぶきの中を歩いているような錯覚になるほど見事であったのが、まぶたに残っている。
上海では夜、一回だけ「上海技芸団」の技を見物する時間があった。薄暗いなかであったがそこで行われていたサーカス的なさまざまな演技は日本では到底(当時)見ることが出来ないもので
中国人の天性的な運動能力に驚いたこととその訓練の強烈さを思わせ驚いたものである。
それから南へ移動し広東へと行くことになるが、それは次回にしたいと思う。
(30年前なのでかなり古く現在とはまったく違うのでその点はご容赦ください。)