波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思い付くままに  「誘惑」

2017-02-04 09:54:32 | Weblog
人はどんなに強い意志を持った人でも日々の心の葛藤野中に置かれているものである。仕事を持っている人でも、仕事が出来ない人でも各人が考え、思い、望み、悩み時を刻んでいるはずだ。そのすべてが理想的であるわけがない。むしろ自己都合、自己の立場の主張。自己欲と金欲による自己中心の思いである。
自己をお自ら貶める人は泣くそこには様々な誘惑が存在している。すべてが「悪」とは断じ得ないが無意識にそれらは自分の都合の違法へ向かっている。
「禁煙」の欲から離れられない人、酒、ギャンブル他世の中には様々な誘惑が待っている。
それらは決して悪いとは思えない。むしろ人はそれらを通じて心の安らぎを求めまたは心の喜びや楽しみを求めているのだが、果たしてその望みの内で終わっているだろうか。
また逆に成人のように「清く正しく」として生きている人にストレスはないだろうか。そしてそのストレスによって生活がゆがんでいないだろうか。
私は人それぞれに似合った「憩い」の持ち方があると思う。しかし人はそれを中々見つけることが出来ない。嘗てユダヤ人がその生きる目標を「律法」を中心に守りすぎたために、その理解に違いが出て様々な宗教論争の果てに争いや戦い、そしてエルサレムの滅びへとつながったことを
考えると必ずしも「律法主義」が全てとはいえない。
人生には大きな障害が待ち構えている。病気、金、心の病など避ける事のできないことがあることが現実である。
そんなある人に「何か楽しみ、喜びを持てることを考えましょう。あなたならなにをかんがえますか。」「私は平凡だけど車の運転です。」「それはすばらしい事です。」「運転しているときは何もかも忘れることが出来から」それでよいのです。
どんな小さなことでも生活の苦しみを忘れ、心の安らぎを覚える時間が出来るなら、それを大切にして人生の生きがいにすればよいのです。
そうすれ場「悪い誘惑」は自然と消えていくでしょう。