波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思いつくままに   「喜びの発見」

2015-11-26 10:38:04 | Weblog
世界には日本人がいろいろな国で生活しているが、その中で紹介されたTVを見た。一人はアフリカのジブチで働く女性で看護師であり、一人はアルゼンチンで二人の娘さんと暮らしているお母さんであった。様々な困難の中で闘っている姿に感動させられた。特にその人が女性であることにも驚かされた。TVでも「男性では到底無理だろうな」と感想があったが、私も男性では難しいと同感であった。
かねがね人生を振り返りつつ、ついつい自分の生活に不満や苦情、そしていろいろな欲望や羨望が出てくることは止むを得ないとしても、このような実例を見るとき、日本でこのような平安の中で生活できることがどれだけ幸せなことかと改めて実感として反省させられると自分でも
反省しなければいけないことがたくさんあることを思わされる。
人間は一日を過ごすことに無頓着な面が多いが、この世に生かされている時間は少なくなっていることに少しでも気づかされて現在を素直に感謝と喜びの時間にしたいものである。
先日姪の息子の結婚式に招かれ、親戚の一人として出かけることになった。兄も弟もいなくなり
私自身も出かけることに自信はなかったが、そこで弟の嫁(義妹)とその息子に会うことが出来た。「叔父さんに会いたくて」とその一言で出席したことが報われたことだった。
その日は一日義妹は終始私をいたわり付き添ってくれていた。披露宴を半ばにして帰宅したのだが、義妹は電車に乗るまで手を振って見送って別れたのだが、おかげで親戚の一人としての役目を無事に果たすことが出来たのである。そして御礼の連絡をしたが、こんな些細なことが大きな喜びとして一日を喜びと感謝で満たすことが出来たのである。
帰宅すると孫から英検3級の試験合格の知らせを受けることが出来た。
まだ中学3年だが、その成長ほほえましくうれしい喜びとなる。
人生はこのように何事もなく過ぎているようで「受け止め方」で大きな喜びの中にすごすことが出来るのである。アルゼンチンの母も、生活の苦難を何が支えているのとの問いに対して
「娘たちと一日笑って話が出来ることかしら」と言っていたが、こんなところにも「喜び」があることを知らされてうれしかった。そして人生はそれぞれその中に生きていることを知らされたのである。