波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

   泡粒の行方   第17回

2015-08-01 10:08:33 | Weblog
欽二の父はクリスチャンであった。日曜日は近くの教会へ毎週礼拝を守り、欽二も日曜学校へ行っていた。しかし神様が何であるかそしてどうして教会へ行くのか、分からなかった。そんな父のところへは色々な人が訪ねてきていた。岡山の田舎からは親戚の人が行儀見習いであるとか、仕事の世話とか学生の下宿だとか、色々なことを頼まれたが、いやと言ったことはなかった。そして出来ることを一生懸命世話をしていた。母はそんな父の姿をそんなに快く思っていなかったかもしれないが、従っていた。ある日、ある紳士が訪ねてきた。福島から来たと言いながら、お話をしたいことがあるというのだ。
「自分はある事業をやっていたが、歳もとりこの先この仕事を続けることが出来なくなるので、自分の息子に仕事を託送と思って話したが、誰もそんな仕事したくないと言われ、
この事業を手放そうと思っているが、この事業を売却したい。あなたがこの仕事を買ってくだされば助かるが、もし出来ないとあれば、誰か知っている方を見つけて欲しい」
突然見も知らぬ人にそんなことを頼まれて、すぐ断っても良い話だが、父はその人のために出来ることを考えた。しかし、自分は今大事な仕事を抱えているので、その事業をするわけにはいかない。そこで「私の知っている人に聞いてみてあげましょう。暫く時間を下さい。」そういうと、同業者や得意先、知人と出来る限りの人にこの話を相談したが、
誰も相談に乗る人は居なかった。父はこの話は断るしかないと決心して後日その人に
「申し訳ないが、この話は無理でした」と説明した。するとその人は「あなたに是非この事業を譲りたい」と熱心に頼み始めた。父は仮に買ったとしてもそんなまとまった資金はないし、その事業をする人もすぐには見つからないと再三断ったのだが、頑として聞き入れない。とうとう根負けして父は借金をしてその事業を買い取ることになった。
「取り合えずその鉱業権を譲渡してもらい、その内何とかしよう。何か役に立つこともあるだろう」と考えたのである。
戦後岡山の本社へ引き上げ仕事を続けながらその事業の事は父の頭にあったことは間違いない。そして親戚のおじに福島の事業を託して仕事を見てもらうことになった。
しかし、そんなに長く続けることが出来ないことが分かっていた。そんな時、欽二の兄が戦後軍隊(海軍)から帰ってきた。戦後のことで仕事も無く代用教員などをしていたが、父はその事業を兄に託したのである。