波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

 コンドルは飛んだ  第19回

2012-10-05 09:51:48 | Weblog
「コカ」の木はボリビアで野生であり、容易に手に入れる事が出来る。辰夫も彼らの真似をして一度口にした事がある。
白い花をつけた何の変哲もない木から葉を取り、それを噛んでみる。何の味も感じなかったが、かんでいるうちに何となく身体に変化を覚えた。それは何とも言えないもので、何時の間にか自分の身体に気力のようなものを感じてきた事であった。それはかむほどに増長し、何かが覚醒するような異様な気持ちになり、自然に身体を動かしたくなる感じであった。それは言い換えると恐怖感を忘れさせ、疲労感も覚えず眠気を無くすような感じでもある。
彼らは仕事を始めるとき、腰につけた袋にそれを入れて坑道を下りて行く。そして一日の仕事を終えて上がってくると、一斉に
つばを吐くようにこれを口から捨てるのである。世界的に有名なドリンクとして飲まれている「コカコーラ」はその処方がノウハウとして極秘であるが、その中の一つにこの「コカ」の葉が使われているのは間違いないのだろうと辰夫は日本では知りえない
貴重な体験をしたのだった。
現地に着任してから本社との連絡、指示を仰ぎながら仕事を着々と進めていた。表面的には何も変わっていないように見えていたが水面下では閉鎖への準備と交渉は始まっていた。作業者を束ねる現地人の監督者とは定期的な話し合いの場が設けられていた。
其処では主に彼らの待遇改善であり、その条件闘争のような内容であったが、お互いに譲歩と妥協をしながらの時間でもあった。
しかし、今回の話は従来の雰囲気と違っていた。出来るだけ穏やかに日本側の事情を説明し、理解を得ながら閉鎖への目的を果たそうとするのだが、彼らにとっては生活権を失うと言うことだけに集中する事になる。簡単に話は進む事は無く、ともすれば
たどたどしいスペイン語のやり取りや意味の分からない現地の言葉の大きな声の中に彼らの悲痛な叫びを聞くようで、辰夫は
心に痛みを覚え悩まされていた。その中にあって交渉は忍耐強く続けられた。飽くまでもその実行は彼らの納得が前提であり
、それを無視しての強行はありえなかった。
現地着任以来、辰夫は事務所の近くの宿舎に日本からの派遣者とともに寝起きをともにしていた。賄いや雑業は現地の女性にさせることで仕事に専念した。食事は日本から持ち込んだ物でと言うわけには行かず、当然ながら現地の食事である。
「郷に入れば郷に従え」であり、出されたもので我慢するしかない。