波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

      思いつくままに 

2012-06-26 10:07:39 | Weblog
「学校を卒業して社会に出るときに、将来どんな仕事をしたいと思っていましたか。」と聞かれたことはありませんか。
私も今までにそんな事を何回か聞かれたことを思い出すことがある。その時、自分がどんな返事をしたか、あまり記憶にないのだが、自分が正直に本当のことを言うことは気恥ずかしくていえなかったような気がしている。そして事実は平凡なサラリーマンでしかなかった。今、改めてもう一度聞かれたら「新聞記者」(当時学校で新聞部にいた)であるとか、何かお芝居関係の世界に入りたかった(放送劇団に所属の経験あり)とか考えていたと言えないこともない気がしている。
しかし、世間一般的には親のDNAを受け継ぐので親がしていたことを受け継いで、同じ仕事に就くことが多いことは、自然であり統計的にも医者は医者、政治家、芸術家、芸能人等その他の職業も含めて決まってくるようだ。
そしてその与えられた仕事をしながら自分の望んでいたことが叶えられることもあり、叶えられないことも出てくるわけであるが、それぞれに意味があったことをこの年齢になって考えさせられる気がしている。
実際、この歳になるまでにはいろいろなことがあったわけだが、わけても幼児の時に医者に手放されそうになった大病をしたことや三階の物干し場から落下した事や、戦争体験などは強く記憶に残っている。
それらを通して現在生かされていることは私が努力してそうなったのではなく、そこには何か人間以外の大きな力が働いていたとしか考えられないことだと思う。
そして今も毎日何かを願いながら生きているのだが、それらが叶えられると思っているわけではない。そしてそれらの結果を
ただ、ただ不服とするか、神の意思として考えるかはそれぞれの人によって大きな違いになってくるといえる。
その時、その計画や希望が成ってもならなくても、それはそれで良いと気楽に考えられるか、どうかにかかってくるだろう。
人間と言うものは自分で「愚か者になろう」と思わなくても一寸先の事が分からない存在な筈である。逆に言えば愚かだからこそいろいろな事を夢見たり、期待したりして考え楽しむ事も出来るのだと思う。
時々自分は誰よりも「物知り」で物分りの良い人間でいるつもりになって、「知ったかぶり」になっている人を見かける。
「もし、あなた方の誰かが自分はこの世で知恵あるものだと考えているならば本当に知恵あるものとなるために愚か者になりなさい」この言葉をかみしめたい。