波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

      思いつくままに

2012-06-19 09:34:14 | Weblog
若い頃には庭の植木など全く関心がなく、時折年寄りが植木を可愛がって鉢を持って日向を探している姿を見て軽蔑の目で見ていた自分がいたが、今自分がその年齢になって日々庭の草木が気になり「今日も元気かな、枝が折れていないかな、虫がついていないかな、雑草は生えていないか、水は大丈夫か」などと心配する始末である。
専門家になると(それほどでなくても)「接木をする」という高級な技術を会得している人もいるらしい。
一番典型的な例で言うと「渋柿」の木に「甘柿」の木を接木することらしいが、これが成功すると本来渋柿だった木に甘い実を
つけることが出来ることになる。
その場合「あなたは本当はどっちなのですか。甘柿なのですか。渋柿なのですか」と言われて返答する場合、どのようにも答えられると思うが、正直正しい答えとして迷ってしまうことになる。「本当は渋柿なんです」と言っても「でも実は甘いですね」と言われ「そうなんです。実は今は甘柿になっているんですよ」と答えることも出来る。
人間もこのように人生において「接木をする」ことを考えて、もし出来たら人生も大きく変わることになるかも知れないと思われるのだ。
ある人がトンネルの工事現場でダイナマイトの発破をかけるところに居合わせて、皆は切羽の反対を見ているのに、自分だけは
抗口の方を見ていたそうである。これは大変危険なことで爆風で目を傷めることになる。しかし偶々そんなことで誰も見たことがない(当たり前だが)「色のついた空気の塊」のようなものを見ることが出来たそうである。
こんなことはあまりお勧めできないが、要は人も立っている姿の「向きを」を変えることで、今まで見たことも、考えたことのないことに気づく事にならないかと言う事を考えてみたいのだ。
元来渋柿だった自分であっても、良い甘柿に接木されれば甘い実が出来るのと同じように、私たちも甘い柿になることも出来ると考えたいのだ。
そこで「ではお前は本当はどちらなんだ」と聞かれたら「どちらも本当の自分だ」と答えればいいと思う
しかし、大事なことは今までの自分のままで居るのではなく、新しい自分を作り上げていくことを考えることも大切なんだと
考えることを思う。それには長い時間も必要であろうし、自分自身を見つめ続ける時間も必要だとは思うが‥‥