波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

コンドルは飛んだ  第1回

2012-06-01 09:21:14 | Weblog
昭和のはじめといえば東京も関東大震災(大正12年、190万人被災、10万人死者)の後で、まだ十分復興したとはいえない時期であり、やっと都会らしく変わりつつあるころだったといえるだろう。後藤新平が東京の中央に東西南北に走る幅広い
道路を計画して作ったのもこの頃といわれている。(昭和どうり、明治通り、靖国通り)
しかし、人々は未曾有の経済不況の中で誰もがつつましく質素に生活を何とか維持しながら暮らしていた。
住まいの間にはそこ此処に煙が立ち昇り、夕方になると豆腐を売る自転車とラッパの音が聞こえてその日が終わることを告げるかのように、子供たちの家路を急ぐ下駄の音が騒がしかった。
ここ谷中は隣接する上野と本郷の真ん中にあり、両方の小高い丘の間に有ることから谷中という名がついたといわれているが、
すぐ近くには徳川家の祈祷所、菩提寺であり、徳川歴代将軍のうち何人かが此処に眠っているといわれる、寛永寺があり、その近くには小さな寺と墓地が囲んでいる。当然この墓地には歴史的にも著名な人(長谷川一夫、鳩山一郎、横山大観など)
の墓もあり、その影響なのか桜の木が多く植えられてあり、花見の時期になると「花見」の名所として多くの人が訪れるところとなっている。
そんな雰囲気と静けさが気に入ったのか、父は田舎から出てくると勤め先が上野ということも有り、此処、谷中の小さな一軒家を買い求めて居を構え新婚家庭を始めていた。街中の喧騒を離れていることと、墓地に近いことで買値も他よりは安いことも
条件であったのだろうか。
朝の早い父の生活は日の出と共に始まる。そして時計の針のように時間になると黙ってかばんを手に帽子をかぶり出掛けてゆく。母は一緒に玄関まで出て挨拶をして見送る。
昭和3年、本編の主人公岡本辰夫はこの年誕生した。辰夫には少し歳の離れた兄と姉がいたが、姉が幼児の頃、病死したために
兄との二人兄弟で育った。