波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思いつくままに

2011-11-02 09:10:50 | Weblog
ブラジルには「ピアーダ」という言葉があるそうだ。「冗談」とか、「ブラックユーモア」「お色気話」「社会風刺」などを
含んだものの話の事を指すらしい。そしてそれらは主に男たちがオフイス、バー、カフェのようなところで飲みながら、暇をつぶしながら話し合って、笑いあうものだとの事。その内容は時に自分と他人の短所を気持ちよく笑いものにすることもあるらしい。
また、人の悪口はその人の前で大声で言い、人をほめるときは陰でこっそり言うと言う美学もあると言う。
とにかく自国と自国民を笑いものにすることができると言う「大人げ」において(大人げない)ブラジル人を垣間見るような気がして、この国民は世界でもある意味ぬきんでた人たちだと思った。
私は幸か不幸か、母親の胎内に居るときから斜頚であったらしい。当然生まれたときから、少し左へ首が傾いていたらしいが、
本人は気がつかなかった。人に言われて、意識するようになったが、あまり気にしていなかったのだが、親しくしている人から
、「一緒に並んで写真をとりたくない」とか、「じいさま、傾いているよ」と言われたりするようになった。当初「そんなこと無いよ」などと反発したりしていたが、何時の間にかそのことを言われてまねされて、ケタケタ笑われたりすると、こちらまで嬉しくなって、おどけて自分で大仰に傾いて見せたりして一緒に笑えるようになった。
自分も少しは大人になったのかなと思ったり、自分自身を自分なりに冷静に見るようになれたことを、少し気持ちが落ち着くようになった気がしている。
人には「プライド」というものをそれぞれが持ち、そのプライドに触ることを言われると、琴線に触れたように「怒り」になったり、それまでの気持ちががらりと変わることがある。これは国民性により、その差も激しいと聞いているが、いずれにしても
その人を馬鹿にしたり、軽蔑になるような(そんな気持ちが無くて、軽率に言ったこと、冗談で言ったこと)事から、信頼関係が崩れたり、友情が壊れたりすることは間々あることである。
人間はそれぞれ、長所もあるが、欠点もある。当然完全なものは居ない。それで居て、無意識に自分は人より優れてると思い勝ちである。しかし、「ピアーダ」に象徴されるように自分自身を欠陥人間と自覚して、(自虐的ではなく)話せるようになれば
自分自身も気が楽になり、(肩を張らないで)又、新しい世界が見えてくるような気がする。
皆さんはいかがでしょうか。新しい世界をのぞいてみる勇気がありますか。