波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

     思いつくままに

2011-01-19 10:09:57 | Weblog
聞くとも無く聞いていると、よくこんな話を聞くことがある。
「嫌になっちゃうわ。私もうこんな年になったの。日が経つのが早くて年ばかりとっていくみたいで嫌だわ」「そうなのよ。何にもしていないうちにあっという間に日が過ぎて
今日何をしたかしらなんて思うことがあるわ」
しかし、考えてみると、時々刻々時間は人すべてに平等に時を刻みすぎているのであって、人によって早くしたり、遅くしているわけではない。それなのに人は何故、それを
早く思ったり、時に遅く思ったりするのだろう。そんなことを不図思った。
考えてみると、時が速く過ぎているなと思っているときは、人は何かに夢中になって何かをしている時なのである。それは当然夢中になるほどなのだから不快なことではないはずである。例えば、TVを見ていても、ゲームをしていても、おしゃべりをしていても、それはある意味楽しい時間であることが多い。
逆に時間が遅いと思うときとはどんな時であろうか。あまり好きではない授業であったり、退屈な会議であったりの時は、「早く終わんないかな。いつまでやるんだろう。」と言う思いで時間が過ぎるのが遅く感じることだろう。もっと極端にいうなら刑務所で刑期を過ごしている人たちは、一日がどれほど長く感じることだろうか。早く刑期を終えて社会復帰を願う気持ちでいるために、早くその時間が過ぎることを何時も思っていることだろうと思う。そんなことを考えると人が毎日を早く感じると言うことは、言い換えれば、生活をある程度、エンジョイして、快適に過ごしている証拠であり、時間が遅く感じるのは不快な時間を持っていることになるのではないだろうか。
そんなことは当たり前で、分っていると思われるかもしれないが、意外とそれを無意識に毎日を過ごしているから、そういいながら毎日に不満が出てくるし、嫌になってしまうことが多いのではないかと思う。
早く過ぎてしまうことの幸せを覚えつつ、其処に感謝の恵みを感じてその時間を大切にする気持ちをもてば、その時間はより有効に又新たな幸せな時間になるのではないだろうか。今年もまだ始まったばかりである。毎日の時間の考え方を変えて「今を生きる」
「一日一生」を考えながら過ごすことで生きていくことを考えてみたい。