波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

           思いつくまま     

2009-06-10 11:47:07 | Weblog
梅雨の合間とも言うような快晴の日(7日)、思いがけず、結婚式の招待を受け
10年ぶりぐらいにそのめでたい席に出席する事が出来た。
暑い日差しの中をジューンブライドの花嫁がフラワーシャワーを受けながら歩く姿はとても美しく、良く似合う。この日から始まる新しい人生を最後まで全うしてもらいたいと願うと共に、其処に列席している人々を見ていて、この二人の何十年後を見るようでもあって、その流れが見えるようでもあった。
祝福を受けることはとても巣晴らしことではあるが、自分だけがその祝福の中にあるのではなく、その周りの人々にその祝福を共に分け合う心を持ち合わせてもらいたいとも感じたものである。
さて、話は変わるのですが、昨今「ぶれている」「いや、ぶれていない」と言う言葉が新聞をにぎわしたことがあった。総理大臣の言葉としてそれは大きく取り上げられたのだが、良く考えてみると、自分達の生活の中でもこのようなやり取りはたくさんあることに気がつく。人は自分の都合で「それはこうだ」といい、「いや、それはこうであった」と物事を変えているのだが、意外とそのことに責任を感じていないし、反省もしていない事が多い。私も嘗て、友人から「君の軸足はどこにおいてあるのだ。」と責められ、赤面をしたことを覚えているが、冷静に考えてみると、様々なことで、自分が勝手に都合よく、自分を変えていることに気づくのである。しかし、これは大事なことであり、場合によっては自分が泥をかぶっても明確にその責任の所在を明らかにすることも大切である。
そして、本当に自分の誤りであったり、勘違いであったり、誤解であったことを素直に認めると同時に、真実のあり方、正しいあり方を其処から学び取ることを考えなければいけないと思う。そしてその時の自分のプライドであったり、無知を恥ずかしく思いつつ、自分の責任を認め、改めることに勇気を持ちたいと思う。
ご都合主義で、右顧左眄することもあるが、それは見苦しいような気がする。
他人の目ではなく、自分の心に照らした「良心の目」を養って生きたいと思う。
間もなく、入梅となる。この時期の梅雨も季節の大切な賜物で、日本は世界でも雨量の少ない国とされている。それでいて良質の水の国でもあるとされている。
その水の基になる雨は貴重である。嫌がらず、天の恵みとして受け止め、この時期の健康の維持に努めたいと思う。