波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

波紋   第35回

2008-10-27 10:55:41 | Weblog
そんな経緯があって、間もなく本村社長が上京してきた。「やあ、みんなご苦労さん。元気でやっとるか」愛想は無いが、昔の下町の雰囲気を感じさせるべらんめえ調は社長の特徴であった。さっと、緊張が走るが、それも長くは続かない。
打ち解けた話で堅苦しさを感じさせないので親しみが生まれ、会話も弾むのである。「所で、これから本社へ行って、金の算段をしてこようと思っている。何しろ今のうちの会社ではどうにもならない資金が要るから、本社の力を借りないとなあ。銀行も融資してくれないし。ところで売りのほうは大丈夫なんだろうな。」と言いつつ、自分の腕を前に出し、ぐっとそれを折り曲げそれを突き出した。
そのポーズが何を意味しているか、分らず、きょとんとしていると、「これから忙しくなるぞ。山田専務とどこへ進出するか、調査に出かけなければならないし。
まあ、後はよろしく頼む。」言うだけのことを言うと、さっさと出かけてしまった。嵐の吹き去ったような後のように事務所の中は静けさが戻ったが、松山が
「所長。社長が最後に腕を曲げて突き出したけれど。あれなんですか。」
小林はやや考え込んでいたが、「多分、売りのほうは任せておけと言う自慢する時のポーズだと思うよ。つまり、東京営業所が売りは責任を負ってくれるんだろう。と言うことじゃないの。」「そうか。そうなると今回のプロジェクト計画は責任重大ですね。」松山は他人事のように軽く頷いていた。
風間女史は「良いわね。男の人は会社のお金で外国はあちこち行けて、私たちも海外行って見たいわよね。江村君」と若い江村を振り向いた。
自分の担当の仕事ではない江村としては、私には関係の無い話と言う感じで「そうですね。」と気のない返事をしていた。
海外と言ってもどこの国へ出るのか、それは大きな関心事ではあった。台湾は無いとして、それより南と言うことでアジアを見渡すと、タイ、インドネシア、マレーシア、シンガポール、そして、ベトナムぐらいだろうか。
その頃、日本企業の海外進出は既に始まっており、(1990年以降から)その中心はインフラの良いタイであった。
本社では、役員会が何度か開かれ総合的な進出計画が練られていた。そして本村社長と、山田専務が調査、視察のために出発した。
どこへ進出するのか、それはとても関心の高いことではあったが、決めるのはえらいさんなので、あまりこだわりは無かった。
その頃、お客さんとしてはドイツ、フランス、イタリーのヨーロッパとアメリカと取引が始まっていた。