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『PRIDE』ヴァンダレイ・シウバの敗戦、夏の終わり、4連休

2005-08-30 14:46:47 | 感想
■ヴァンダレイ・シウバの敗戦ショック。
 桜庭和志がはじめてシウバに負けたときのような、
『ドカベン』の明訓高校の初敗戦のような、
 1983年夏の甲子園で、投手水野擁する池田高校が、当然優勝すると思っていたのに、一年生コンビ清原桑田を含むPL学園に大敗を喫したときのような、
 そんないろいろなことを思い出した。
 しかし、結局同門のマウリシオ・ショーグンが優勝。シウバを破ったヒカルド・アローナをボコボコにしてスカッと爽やかな勝利であった。私はガッツポーズをした。このショーグンは、23歳で、かなり若い。で、踏みつけ大将軍などと言われていて、決勝でも踏みつけていたが、しかしこれが必殺技というのでもない。なぜ強いのかわからない。まさに総合的に強いとしか言いようがない。それは、たぶん、たとえば、鉄よりダイアモンドのほうが固いとかそういう事情と似ているのかもしれない。先が楽しみである。新しい時代である。

■夏の終わり
『夏の終わりのハーモニー』という素晴らしい曲があったなあ。カラオケでよく歌ったものだ。
 仕事の区切りが来て、夏が終わった実感である。
 何をしたいかというと、のんびりしたい。夏の間は、休みの日も仕事を抱えていたので。
 で、今日から4連休。
 本読み、走り、音楽を聴く、ギターの練習、映画!、書く、徘徊、
 を繰り返す。

ベン・ハーパー、大濠公園、鍛えると良くなる。鍛えないと良くならない。

2005-08-24 14:23:27 | 感想
ウェルカム・トゥ・ザ・クルーエル・ワールド
ベン・ハーパー





大濠公園は一周2kmである。美術館の近くに時計がある。ひとまわりするのに時間を計るのだが、先日はじめて10分で走った。それくらい遅かったのである。息は切れるし、膝は痛む。もともと長距離は苦手なほうであるが、その苦手のレベル以下になってしまっていた。2kmを10分なら、長距離が苦手だった頃の、たとえば中学生のころの自分と近くなってる。やっと、普通に遅いというレベルまで持ちなおした思う。よろこばしい。足腰も強くなったような気もする。近所の公園の鉄棒で懸垂したりいろいろしたり筋トレもこつこつしているので、上半身の調子もいい。あたりまえのことだけれど、鍛えると良くなる。鍛えないと良くならない。

天気がよくない、平凡な結論、ジャック・ジョンソン

2005-08-22 13:57:51 | 感想
天気がよくないようだ。台風が近づいているらしい。散歩に出ようと思っているのだが、雨降りは嫌である。雨はきらいではないのだけれど、雨降りの日の雰囲気みたいなものは好きなのだけれど、散歩には適さない。適温適湿度でないと耐えられない弱者である。しかし、そのようなものは基本的に慣れである。エアコンのない部屋に数年住んだこともあったし、冷蔵庫については、十年近くは不所持であった。習慣のパワーというものが重要である。したがって、やっぱり、日々いろいろ勉強するとか、なんとか努力が必要であろうと、平凡な結論にいたるわけである。

イン・ビトゥイーン・ドリームス
ジャック・ジョンソン





散歩に出て、前期ビートルズの楽譜とか・・・・・・を求めて。

身体を鍛える快楽、趣味以上の何かへの趣向、内田樹氏の著作

2005-08-18 01:08:18 | 感想









盆休み明けで、やや不調であるのは当たり前である。
それでも、ちゃんと連休中、合計4周、大濠公園を走ったので、足腰は丈夫なようである。上半身も筋トレした。筋肉痛が心地良い。

中学生のとき、ジャッキー・チェンにあこがれ、また、ブルーザー・ブロディーにあこがれ、そのような肉体になるべく、そのような動き、パワーを発揮すべく、身体を鍛えることを覚え、さぼりながら適当な持続力で、今日に至る。
単なる趣味の問題といえばそれまでかもしれないが、
身体を鍛える快楽には、それ以上のもの、趣味以上のものがあるような気もする。
とは言っても、たいして鍛えているわけではなく、あくまで適当なので、あまり大口を叩くわけにはいかない。
でも何だか、そのような趣味以上の何かへの趣向のようなものが、
私を内田樹氏の著作へ向かわせているような気もする。

ジャック・ジョンソン的気分、ドノヴァン・フランケンレイター、勉強しないといけない

2005-08-17 00:05:39 | 感想
ドノヴァン・フランケンレイター
ドノヴァン・フランケンレイター





なんだか最近ジャック・ジョンソン的気分である。
そんな風なギターをかきならしたりしている。

無知は罪である。



大濠公園を二周走る。
食いすぎによる増量からカム・バックすべく。
夜食も粗食に。
連休が終わって、明日から仕事復帰する。
気力も大切だが、体力がないとどうしようもない。

ともかくいろいろ勉強しないといけないと思っている。

小林よしのり『靖国論』『沖縄論』、ジャック・ジョンソン、無知は罪である

2005-08-15 02:53:47 | 感想
小林よしのり『靖国論』を読み、続いて『沖縄論』を読んでいる。
12日は、日航ジャンボ墜落についてテレビで学び、途中、福岡発ハワイ行きの飛行機トラブル速報に驚き、新聞をよく読み、明日は、「終戦記念日」である。というわけで、そういうモードになっている。
はっきりいって勉強不足である。
何も言うことがない。恥ずかしい次第である。
9・11の衆議院選挙に行くこともないだろう。
何の判断もできないから。
意見がない。ほとんどアホ状態である。

ブラッシュファイアー・フェアリーテイルズ
ジャック・ジョンソン




がとても良い感じ。
最近音楽的にはアコースティックモードに入っているので、
デパペペとか、ジェイソン・ムラーズとか聴いているけれど、
そしてまた、いろいろ求めてタワー・レコードのHPで試聴したりしているけれど、今のところ、ジャック・ジョンソンが一番良さそうだ。何だか、ライフ・スタイル的に良い。
ということを考えている自分と、
明日、小泉首相は靖国参拝をどうするのかと考えている自分がいて、
混乱しつつも、やはり、知識不足であって、発言をする資格さえないなあ、
との思いから沈黙するしかないという寂しさのうちにいるわけである。
無知は罪である。

Led Zeppelin III、ロバート・プラントの歌唱法、ジャニス・ジョプリン

2005-08-11 01:37:23 | 感想
Led Zeppelin III
Led Zeppelin





Since I've Been Loving You
は特にそうだが、
ロバート・プラントの歌唱法は、ジャニス・ジョプリンによく似ている。
きっとジャニスにあこがれていたのだろう。

ジャニスよりあとに、ジャニスによく似たボーカリストは、ロバート・プラント以外に知らない。

G. Love、アコギのこの木材の響き、ジャック・ジョンソンになりたい気分

2005-08-09 01:20:22 | 感想
Philadelphonic
G. Love & Special Sauce





ああ、ミュージシャンになりたい。
と、ひしひしと思っている。
今現在がこのようでないならば、何になりたいかと問われれば、
野球選手かミュージシャンである。
いまさら野球選手になるのは不可能であるが、ミュージシャンは可能である。
あまり本気ではないが、一応夢見ながら、日々、アコギの練習をしている。
弾き出すと、延々と弾きつづけてしまう。しかもアコギのこの木材の響きは、
なんと魅力的であろうか。
ジャック・ジョンソンになりたい気分である。

ジャニス・ジョプリン

2005-08-07 14:26:59 | 感想
休日。
三日前も休日。三日前は、車のオイル交換とクーラーの修理に出向き、髪を切りに行き。ギター見物に行った。博多駅横のバスセンターの5階にある楽器屋がよかった。

ジャニス・ジョプリンをよく聴いている。真夏の都市高速によく似合う。野外ライブなどで聴けたら最高だろうと思った。
逆に真冬に雪がふきつける中もいいかもしれない。春秋は似合わない。適温に適しない。極端な環境に似合う。
女性ボーカリストとしては、

ビリー・ホリデイ
美空ひばり
ジャニス・ジョプリン

の三人が最高である思っている。
その歌声の力が圧倒的なため、たとえばバック・バンドの演奏が下手くそであろうと、そんなことはどうでもよくなってしまう。
大学浪人時代から愛聴してきたジャニスであるが、ひさしぶりに聴いて、かわらず心に染みた。
「ミー・アンド・ボビー・マギー」や「メルセデス・ベンツ」などの、アコースティックものを好んでいる、今は。
アルバムでは、『パール』が最高傑作であろう、一般的に言っても。










狂気かもしれぬ、保坂和志『小説の自由』、自由に文章が泳いでいる

2005-08-03 00:28:18 | 感想
仕事に明け暮れ、何もないが、仕事ももちろん人生である。
浮き沈みが大きく、いらいらすることが多い。毎日牛乳を飲んでいるので、
カルシウムが不足しているのではなく、単に年をとったのだろうか。
何とかコントロールしようとしているが、制御不能の部分が出てきている。
狂気かもしれぬ。
文章を書くよりほかどうしようもないだろうなと思っている。
が、ちっとも書いていない。
昨夜は保坂和志『小説の自由』をけっこう読んだ。
異様に脱線する散文である。まとまりがなく、うねうねとうねり続け、
また、戻り、反復し、そして反れる。その繰り返し。
最近類を見ない変な文章である。
無理に論理的骨格を持たせず、タイトルどおり、自由に文章が泳いでいるという気がする。
したがって、わりあい読んでいて、気持ちがいい。
話題が次々に横滑りしてゆくので、何について読んでいるのかわからなくなるときもあるが、
そのうち戻ってきたりして、わかったりすることもある。
まれな読書体験である。
今夜も読みながら眠るとする。

岩井俊二、カフカ、保坂和志、ストリート・ミュージシャン、大濠公園の花火大会

2005-08-01 13:47:01 | 感想
本日は大濠公園の花火大会であるが、いかない。
福岡に住んで17年かそのくらいになるけれども、一度しかいったことがない。
人ごみが強烈すぎて嫌だ。花火は音が好きだ。胸に物理的にアタックしてくる、衝撃が好きだ。
昨夜、大濠公園を走ったが、もう場所とりをしていた。場所取り禁止の張り紙があるのだが、みんな気合い入っている。信じがたい。いろんな事情があるのであろう。そういう役割であるとか。おそらく個人的に花火マニアの方が、24時間前から場所取りをしているとは思えない。もちろんそんな人もいるだろうが。
3週目に、遠くからから聞こえるストリート・ミュージシャンの歌声らしきものに引かれて、公園の外縁に向かう。
64歳になったら、ストリート・ミュージシャンになる予定の私としては、
どのようなものであれ、参考にしたいし、ギターの音も聞きたい。
近づくにつて、ときおり耳に届く、男の叫び声。良い声でなく、メロディーも聞き取れない。
衝撃の結末であった。
ガソリン・スタンドで車を誘導する店員の大声であった。「オーライ・オーライ」とかね。
私は落胆して、公園をもう半周走ったのであった。

保坂和志『小説の自由』を買い、黙々と読む。
カフカの『城』のことを考えて、本屋で『城』を少し立ち読みし、買わずに帰ったら、この『小説の自由』の中で、『城』について大いに語られていたりとか、別の本で立ち読みで読んだフレーズ「すべては繰り返される、類なく」というような言葉と、さらに別に立ち読み偶然に目にした保坂和志のインタビューの中に似たような表現あったり、なんだかめくるめく言葉のこんがらがったリンクにまみれたあとのランニング、そして、ガソリン・スタンド・ショックであった。近所の公園で懸垂を一生懸命して帰った。
水分をたくさん飲んで、はやく寝た。

起きて、『ifもしも 打ち上げ花火、下から見るか、横から見るか』を見た。
期待していたほどの良さではなかった。それはきっとその後の岩井俊二監督の優れた作品を見ているからであろう。
この劇場映画デビュー前のテレビドラマを、まっさらな目で見ると、やはり特異であると思う。独自の世界像を表現することができている。
『LOVE LETTER』も『リリィ・シュシュのすべて』もそうだが、ストーリーとか、メッセージとか、そんなものは頭に残らずに、ただ、「世界像」としかいいようのないものだけが、リフレインするのである。
このような力を持つ演出家はあまりいない。