午後3時半
分娩室へ移動。
陣痛の痛さは限界に達していたが、子宮口が全開し分娩室まで辿り着いたことに少し安堵する。
教科書でも 『 子宮口全開後出産まで初産で1~3時間 』 とあったではないか、あと少しで坊っちゃんに会える。
しかし “ 子宮口が全開し破水、分娩室まで来ればあと少し! ” と思っていたのは大誤算。
私の場合、ここから壮絶な戦いの始まりだった。
陣痛の波が来るたび、何度いきむもなかなかお産は進まず数時間が経過。
坊っちゃんは下りてこない。
何度いきんだことだろう。
私の身体は手も足もブルブルと震えが止まらなくなり、体温も低下(35.1度)、
助産師さんが温めたタオルを腕に乗せてくれたり、毛布を何枚もかぶせてくれるが震えは止まらず。
「 けれど、頑張らないと! 私しか坊っちゃんは産みだせないんだ! 」 と
陣痛の波が来るたび、ありったけの力でいきむ。
「 長い便秘の時にきばるみたいに力を入れて!! 」 と助産師さん。
精一杯いきむが、ドバドバ~ドバドバ~と羊水が出るのを感じるも坊っちゃんは下りて来ない。
「 シャッターの下を赤ちゃんがくぐってこれない状態。 」 とのこと。
体勢を右に変え、左に変えていきむも一向に変化がない。
数時間そうしている間に、陣痛が5・6分間隔と微弱になってしまう。
痛みは変わらないが、感覚が伸びることを微弱と言うようだ。
分娩室に入って、この時もう4時間は経っていただろうか。
隣の分娩室から聴こえていた叫び声も、1時間もたたない間に出産を終え聴こえなくなる。
「 あっちは経産婦さんだから気にしないでね。 」 と言われる。
( この日、私のお産を最後に日中4人の分娩があった。 )
その後も引き続き、私は遠のき気味の陣痛に合わせいきむが、お産は進まない。
「 このままでもいつかは出産できると思うけれど、あなたの体力ではあと何時間かかるか分かりません。
あなたの体力はもう限界にきているようです。
あなたの体力のことを考えると、促進剤と先生の力を借りた方が良いと思いますが、
あとはあなたたちが結論を出して下さい。 」 と助産師さん。
私の出産した産院は “ 自然分娩 ” をうたっており、
出来る限り 医療の力 は借りず自然のお産を目指している産院。
最後まで私たち夫婦の意思を第一に進めるようです。
体力に限界を感じながらも私は最後まで迷ったが、
旦那サマが 「 先生の力を借りよう。 」 と言ってくれて、
促進剤で陣痛を促し、先生の力でお腹と子宮から押し出してもらうことになる。
正直、この時私自身も
「 このままでは死んでしまうのではないか・・・、出産できないのではないか・・・ 」
と思うほど体力の限界を感じていたのだ。
促進剤の投与を始めてからは、早い間隔で襲ってくる陣痛の波。
そのたび、旦那サマに首・上半身を全力で抑えてもらい、先生の指示通り残った力を振り絞りいきむ私。
180cmはあるだろうと思われる若い大柄な医師。
その先生が私のお腹を全力であっちこっちと抑えるのだ。
「 昨日も、もっと上にいた子を出したから大丈夫だよ! 」 と先生。
下からは助産師さんが坊っちゃんを下ろすために手を加えられ、
もう、その痛さと言ったら、どうにかなってしまいそうな激痛なのです。
それを何度も何度も繰り返します。
「 痛い! 痛い!! 」 「 痛い! 痛い!! 」 と私。
もう叫ばずにはいられません。
旦那サマも私のお腹の変形に驚くほどの力で、先生は力を加えます。
その先生のお腹を押す痛みと下から手を加えられる痛みと陣痛の痛み、
その中でも、私はどうにか限界に達しつつある体力の中いきむのです。
「 はい、吐いて~、吸って~息を止めて、イメージして長く長くーーー。 」
ウゥーーーー ウゥーーー
あと何度いきんだら、何十回いきんだら産まれるのだろう・・・。
この時、私の頭は朦朧としていた。
途中で促進剤を追加。
それを繰り返すうち、坊っちゃんの頭が見え隠れするようになりました。
それが、またどうにもならないくらい痛い!痛くてたまらない!!
お尻が!膣が!はち切れそうな張り裂けそうな痛み。
「 痛いです! 痛いです!! 」 と叫ぶ私。
この排臨という状態になっても、まだ何どもいきみました。
長い陣痛中はどうにか静かに耐えていた私ですが、分娩室ではかなり叫んでいたと思われます。
そして、坊っちゃんの頭が半分出た “ 発露 ” という状態に。
この時の “ 焼けつくような燃えるような感覚 ” は忘れられません。
「 発露だ~! 」 という先生の声で助産師さんが駆け寄り、最後の手助けをします。
私は指示通り手を胸に置き 「 ふぅー、ふぅー 」 と呼吸を続けると、
『 ほんぎゃ~!! ほんぎゃー!! 』
大きな産声を上げて、やっとやっとやっと坊っちゃんが誕生。
その瞬間、私は大号泣。
隣にいた旦那サマも涙が溢れていたように見えました。
旦那サマが臍の緒を切り、私の胸には坊っちゃんが。
もうこの瞬間の感動は忘れられません。
旦那サマは 「 ありがとう。 」 と私を抱き寄せてくれ、
私は 「 ありがとう。産まれてきてくれてありがとう。 」 と涙が止まりませんでした。
その後、坊っちゃんは計測へ。
私は後産(胎盤を出す)、そして大きく自然裂傷した会陰を縫う処置に。
痛みはありましたが、坊っちゃんを無事産みだせたことに私は胸がいっぱいでした。
計測を終えた坊っちゃんを連れた助産師さんの第一声は
「 この子、頭が36.5cmもあったわ~!!!
そりゃあ出てこないわ。
しかも、頭をまん丸のまま出てきたよ。 」 と助産師さん。
胎児の時から “ 頭が大きい ” と言われていましたが、相当大きかったようです。
翌日には助産師さんに会うたびに 「 お産、大変やったね~。 」 と言われるほど、
私のお産は一般的とは言えなかったようですが、無事に出産を終えることができました。
これが私のお産体験記。
お産を終え感じたことは 「 母は強し!女はスゴい!!私ってスゴい!! 」 ということ。
途中、もう無理なのではないかと思うほど大変なお産になりましたが、
無事に坊っちゃんを出産できた自分を “ 誇り ” に感じています。
お産は大変で辛いものに間違いはないですが、それ以上の感動や感激や喜びを感じられる素晴らしいものでした。
改めて人間を産むということがこんなにスゴイことだったのかと痛感しています。
そして、ずっとずっと一緒にお産を支えてくれた旦那サマに感謝の気持ちでいっぱいです。
きっと私ひとりでは無理でした。
あなたが隣にいてくれたから頑張れました。
長時間、私の苦しんでいる姿を見ているのは、
もしかすると私本人以上に辛いものだったのかもしれません。
本当にありがとう。
あなたとの子供を無事に出産することができて本当に良かった。
そしてそして、坊っちゃん。
こうして私と旦那サマの元へ来てくれて、本当にありがとう。
元気に産まれてきてくれて、本当にありがとう。
最後に
私を産んでくれた母に “ ありがとう ”
見守ってくれた家族に “ ありがとう ”
友人に “ ありがとう ”
みなさんに “ ありがとう ”
「 ありがとう 」 の気持ちでいっぱいです
長い記事になってしまいましたが、読んで下さった皆様ありがとうございました。
『 仲良し夫婦 』 から 『 仲良し家族 』 になった きんぶた家 。
これからも今まで通り、旦那サマと坊っちゃんと私と3人仲良く、
手を取り合って進んでいければと思っています。
坊っちゃん、元気に産まれてきてくれてありがとう
これからもスクスクと心身とも健やかに成長してね
応援ありがとうございます♪
無事に出産しました☆
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陣痛の痛さは限界に達していたが、子宮口が全開し分娩室まで辿り着いたことに少し安堵する。
教科書でも 『 子宮口全開後出産まで初産で1~3時間 』 とあったではないか、あと少しで坊っちゃんに会える。
しかし “ 子宮口が全開し破水、分娩室まで来ればあと少し! ” と思っていたのは大誤算。
私の場合、ここから壮絶な戦いの始まりだった。
陣痛の波が来るたび、何度いきむもなかなかお産は進まず数時間が経過。
坊っちゃんは下りてこない。
何度いきんだことだろう。
私の身体は手も足もブルブルと震えが止まらなくなり、体温も低下(35.1度)、
助産師さんが温めたタオルを腕に乗せてくれたり、毛布を何枚もかぶせてくれるが震えは止まらず。
「 けれど、頑張らないと! 私しか坊っちゃんは産みだせないんだ! 」 と
陣痛の波が来るたび、ありったけの力でいきむ。
「 長い便秘の時にきばるみたいに力を入れて!! 」 と助産師さん。
精一杯いきむが、ドバドバ~ドバドバ~と羊水が出るのを感じるも坊っちゃんは下りて来ない。
「 シャッターの下を赤ちゃんがくぐってこれない状態。 」 とのこと。
体勢を右に変え、左に変えていきむも一向に変化がない。
数時間そうしている間に、陣痛が5・6分間隔と微弱になってしまう。
痛みは変わらないが、感覚が伸びることを微弱と言うようだ。
分娩室に入って、この時もう4時間は経っていただろうか。
隣の分娩室から聴こえていた叫び声も、1時間もたたない間に出産を終え聴こえなくなる。
「 あっちは経産婦さんだから気にしないでね。 」 と言われる。
( この日、私のお産を最後に日中4人の分娩があった。 )
その後も引き続き、私は遠のき気味の陣痛に合わせいきむが、お産は進まない。
「 このままでもいつかは出産できると思うけれど、あなたの体力ではあと何時間かかるか分かりません。
あなたの体力はもう限界にきているようです。
あなたの体力のことを考えると、促進剤と先生の力を借りた方が良いと思いますが、
あとはあなたたちが結論を出して下さい。 」 と助産師さん。
私の出産した産院は “ 自然分娩 ” をうたっており、
出来る限り 医療の力 は借りず自然のお産を目指している産院。
最後まで私たち夫婦の意思を第一に進めるようです。
体力に限界を感じながらも私は最後まで迷ったが、
旦那サマが 「 先生の力を借りよう。 」 と言ってくれて、
促進剤で陣痛を促し、先生の力でお腹と子宮から押し出してもらうことになる。
正直、この時私自身も
「 このままでは死んでしまうのではないか・・・、出産できないのではないか・・・ 」
と思うほど体力の限界を感じていたのだ。
促進剤の投与を始めてからは、早い間隔で襲ってくる陣痛の波。
そのたび、旦那サマに首・上半身を全力で抑えてもらい、先生の指示通り残った力を振り絞りいきむ私。
180cmはあるだろうと思われる若い大柄な医師。
その先生が私のお腹を全力であっちこっちと抑えるのだ。
「 昨日も、もっと上にいた子を出したから大丈夫だよ! 」 と先生。
下からは助産師さんが坊っちゃんを下ろすために手を加えられ、
もう、その痛さと言ったら、どうにかなってしまいそうな激痛なのです。
それを何度も何度も繰り返します。
「 痛い! 痛い!! 」 「 痛い! 痛い!! 」 と私。
もう叫ばずにはいられません。
旦那サマも私のお腹の変形に驚くほどの力で、先生は力を加えます。
その先生のお腹を押す痛みと下から手を加えられる痛みと陣痛の痛み、
その中でも、私はどうにか限界に達しつつある体力の中いきむのです。
「 はい、吐いて~、吸って~息を止めて、イメージして長く長くーーー。 」
ウゥーーーー ウゥーーー
あと何度いきんだら、何十回いきんだら産まれるのだろう・・・。
この時、私の頭は朦朧としていた。
途中で促進剤を追加。
それを繰り返すうち、坊っちゃんの頭が見え隠れするようになりました。
それが、またどうにもならないくらい痛い!痛くてたまらない!!
お尻が!膣が!はち切れそうな張り裂けそうな痛み。
「 痛いです! 痛いです!! 」 と叫ぶ私。
この排臨という状態になっても、まだ何どもいきみました。
長い陣痛中はどうにか静かに耐えていた私ですが、分娩室ではかなり叫んでいたと思われます。
そして、坊っちゃんの頭が半分出た “ 発露 ” という状態に。
この時の “ 焼けつくような燃えるような感覚 ” は忘れられません。
「 発露だ~! 」 という先生の声で助産師さんが駆け寄り、最後の手助けをします。
私は指示通り手を胸に置き 「 ふぅー、ふぅー 」 と呼吸を続けると、
『 ほんぎゃ~!! ほんぎゃー!! 』
大きな産声を上げて、やっとやっとやっと坊っちゃんが誕生。
その瞬間、私は大号泣。
隣にいた旦那サマも涙が溢れていたように見えました。
旦那サマが臍の緒を切り、私の胸には坊っちゃんが。
もうこの瞬間の感動は忘れられません。
旦那サマは 「 ありがとう。 」 と私を抱き寄せてくれ、
私は 「 ありがとう。産まれてきてくれてありがとう。 」 と涙が止まりませんでした。
その後、坊っちゃんは計測へ。
私は後産(胎盤を出す)、そして大きく自然裂傷した会陰を縫う処置に。
痛みはありましたが、坊っちゃんを無事産みだせたことに私は胸がいっぱいでした。
計測を終えた坊っちゃんを連れた助産師さんの第一声は
「 この子、頭が36.5cmもあったわ~!!!
そりゃあ出てこないわ。
しかも、頭をまん丸のまま出てきたよ。 」 と助産師さん。
胎児の時から “ 頭が大きい ” と言われていましたが、相当大きかったようです。
翌日には助産師さんに会うたびに 「 お産、大変やったね~。 」 と言われるほど、
私のお産は一般的とは言えなかったようですが、無事に出産を終えることができました。
これが私のお産体験記。
お産を終え感じたことは 「 母は強し!女はスゴい!!私ってスゴい!! 」 ということ。
途中、もう無理なのではないかと思うほど大変なお産になりましたが、
無事に坊っちゃんを出産できた自分を “ 誇り ” に感じています。
お産は大変で辛いものに間違いはないですが、それ以上の感動や感激や喜びを感じられる素晴らしいものでした。
改めて人間を産むということがこんなにスゴイことだったのかと痛感しています。
そして、ずっとずっと一緒にお産を支えてくれた旦那サマに感謝の気持ちでいっぱいです。
きっと私ひとりでは無理でした。
あなたが隣にいてくれたから頑張れました。
長時間、私の苦しんでいる姿を見ているのは、
もしかすると私本人以上に辛いものだったのかもしれません。
本当にありがとう。
あなたとの子供を無事に出産することができて本当に良かった。
そしてそして、坊っちゃん。
こうして私と旦那サマの元へ来てくれて、本当にありがとう。
元気に産まれてきてくれて、本当にありがとう。
最後に
私を産んでくれた母に “ ありがとう ”
見守ってくれた家族に “ ありがとう ”
友人に “ ありがとう ”
みなさんに “ ありがとう ”
「 ありがとう 」 の気持ちでいっぱいです
長い記事になってしまいましたが、読んで下さった皆様ありがとうございました。
『 仲良し夫婦 』 から 『 仲良し家族 』 になった きんぶた家 。
これからも今まで通り、旦那サマと坊っちゃんと私と3人仲良く、
手を取り合って進んでいければと思っています。
坊っちゃん、元気に産まれてきてくれてありがとう
これからもスクスクと心身とも健やかに成長してね
応援ありがとうございます♪
無事に出産しました☆
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