神戸の空の下で。~街角の歴史発見~

足かけ8年、150万PV突破。「近畿の史跡めぐり」のサブタイトルも、範囲が広がったために少し変更しました。

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西宮・鳴尾八幡神社。

2006年08月03日 | □兵庫県 -阪神
開運厄除・国家鎮護

鳴尾八幡神社

(なるおはちまんじんじゃ)
兵庫県西宮市上鳴尾町14



阪神電車の線路沿いに建つ鳥居。
創建時には海(今の「ららぽーと甲子園」辺り)まで境内があったそうです。




〔御祭神〕
応神天皇
(おうじんてんのう)
天照皇大神
(あまてらすおおみかみ)
琴刀比羅神
(こんぴらのかみ)
砂浜大神
(すなはまおおかみ)



 甲子園球場の喧騒から離れて阪神電車沿いに東へ歩いていくと、住宅街の先に鬱蒼と茂った森が現れます。このあたりは上鳴尾町(あげなるおちょう)という地域です。鳴尾は江戸時代に「鳴尾に過ぎしは 寺、西瓜」と謳われたほど寺院が多く、森へと向かう道の途中にも浄願寺常楽寺などの寺院に出会いました。

 最初に上鳴尾町八幡神社があるというのを知ったときには、「住宅地の中にある小規模の八幡さまではないか」と想像していたのですが、実際に足を運んでみて当初の予想を裏切る深い奥行きの境内に驚きました。そういえば、偶然入り口を見つけて拝殿の裏側から入った津門神社の境内を見たときも、同じくらい嬉しい悲鳴を上げた記憶があります。慰霊碑や歌碑、神輿台などが点在する境内はけっこう見応えがありました。




予想に反して広大な境内に感激。



 鳴尾に人々が住み始めたのは、今から1800年ほど前のことだといわれています。もともと武庫川の河口は多くの洲が点在する遠浅の海で、海岸線も現在の国道2号線あたりまで達するところもあったようです。人々は今で言う甲山六甲山などの山麓辺りに住んでいましたが、土砂の堆積によって河口付近に居住可能なエリアが広がってきたのを見て徐々に移住してきました。

 「鳴尾」の名の由来は、(1)土砂が堆積して形成された砂洲のゆるやかな傾斜を表す「ナル」という言葉と、その先端部分をあらわす「オ」を合わせて出来た地名だという説、(2)河口付近の洲のうえに群生した葦や葭のかたちがケモノの尾のように見えたので「ナル尾」になったという説、(3)砂洲に多く棲みついた海鳥たちの鳴く声からついたという説など、いくつかの説があるようです。





境内と拝殿を区切るかのような池と石橋。此岸と彼岸の区切りの感がします。





 鳴尾八幡神社は、社伝によると15世紀半ば、室町時代の文安年間(1444-1448年)に創建されたといわれています。文明年間(1469-1488年)に書かれた文献にも八幡神社に関する記述があることから、ほぼ社伝のとおりの創建だったと思われます。




1881(文化8)年再建の拝殿は阪神・淡路大震災で全壊。
今の拝殿は2000(平成12)年3月に再建されたものです。



 鳴尾本郷7ヶ村の総鎮守として村人たちの篤い崇敬を集めていた鳴尾八幡神社には、明治時代以降、政府の方針もあって村内の神社が数多く合祀されます。菅原道真公をお祀りしている天神社素盞鳴神社が合祀され、大正に入ってからも金刀比羅神社砂浜神社も境内に合祀されています。




境内には稲荷社(左)や天神社(右)など、数多くの摂社があります。



アクセス
・阪神電車「甲子園駅」下車、東へ徒歩10分
・阪神電車「鳴尾駅」下車、北西へ徒歩3分
 鳴尾八幡神社地図 Copyright (C) 2000-2006 ZENRIN DataCom CO.,LTD. All Rights Reserved.

拝観料
・無料

拝観時間
・常時開放
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コメント (1)   この記事についてブログを書く
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1 コメント

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今の現状 (宮っこ)
2012-07-17 08:58:44
素敵に鳴尾八幡神社の事がかかれており、大変感動しました。

お近くの方で八幡神社の近くを通る時、
もしよければ足を運んでみてください。お願いします。

そして神主さんがいらしたら、どうゆう風にまいったら、神様が喜びますか?と聞いて大切に感じてみて下さい。よろしくお願いします。

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