神戸の空の下で。~街角の歴史発見~

足かけ8年、150万PV突破。「近畿の史跡めぐり」のサブタイトルも、範囲が広がったために少し変更しました。

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大阪・露天神社(お初天神)。

2006年05月17日 | ◆大阪府
恋愛成就・学業成就


露天神社

(つゆてんじんじゃ)
大阪市北区曽根崎2-5-4


菅公聖蹟二十五拝・第11番




「曽根崎お初天神商店街」から入る方が大半ですが、こちらの鳥居が正式な入口です。



〔御祭神〕 
少彦名大神
(すくなびこなのおおかみ)
大己貴大神
(おおなむじのおおかみ)
天照大御神
(あまてらすおおみかみ)
豊受姫大神
(とようけひめのおおかみ)
菅原道真公
(すがわらのみちざね)



 露天神社は、世間一般には「お初天神」といった方が通りがいいかもしれません。大阪の中心地・梅田に鎮座する神社で、「曾根崎お初天神通り商店街」をまっすぐ進んだ先にあります。"天神"という名の通り菅原道真公をお祀りする、創建1300年の歴史を誇る古社で「難波八十島祭」旧跡の一社です。曽根崎・梅田地域の総鎮守として現在も崇敬を集めています。「難波八十島祭」というのは、古代の難波において行われた最古の祭といわれています。この祭事は文徳天皇の御世の850(嘉祥3)年には既に行われていたという記録が残されており、6世紀頃には祭礼の形が整っていたとされることから、露天神社の起源もその頃ではないかと考えられています。





社殿への参道の左側にある展示舎(左)と、右側にある「露の井」。



 太古の昔、大阪湾のこの辺りに浮かぶ八十島のひとつの小島に「住吉須牟地曽根ノ神」が祀られていたといわれています。その御祭神の名前にちなんで、この地は「曽根洲」と呼ばれるようになりました。その後、大阪湾が少しずつ埋め立てられ、南北朝時代の頃には陸続きになって「曽根崎」が地名となりました。この頃、北渡辺国分寺の渡辺十郎源契渡辺二郎左衛門源薫ら一族が当地に移り住み、埋立地を利用して新田開発を行って農業を始めるようになり、この社を村の産土神としてお祀りするようになりました。露天神社の社殿は、長い歴史の中で大火や兵火に遭って何度も立て直されています。大坂夏の陣の際にも兵火に巻き込まれて焼失してしまいましたが、1622(元和8)年に地元の有力者・渡辺新兵衛源尋の手によって再建されます。このとき初めて菅原道真公が合祀されました。





太平洋戦争の空襲で全焼した社殿は、1957(昭和32)年に再建されて現在に到ります。



 901(昌泰4)年、大宰府に左遷されることになった菅原道真公。任地へ赴く失意の道行きの途中、福島の辺りで船を泊めてこの近くに伽藍を構える太融寺へ参詣したそうです。その道すがら、この辺りにさしかかった菅原道真公が、道端の草の露に都を思って偲び泣きして詠んだ詩が神社名の起こりとされています。また一説には、梅雨の季節になると境内にある「露の井」より清水がこんこんと涌きあふれたので「梅雨の天神」と呼ばれるようになったともいわれています。


「露と散る 涙に袖は朽ちにけり 都のことを 思い出ずれば」




摂社の難波神明社(左)。社殿右奥の金比羅宮は中之島の高松藩邸からの遷座(右)。



 境内に合祀されている難波神明社は、821(弘仁12)年に嵯峨天皇の皇子である源融卿によって建てられたと伝えられています。後醍醐天皇の頃には勅願所とされて度々行幸を受けたりした名社で、江戸時代に入ってからは大坂城代と大阪北町・南町両奉行所の参拝社として隆盛を極め、境内も広大だったといわれています。残念なことに1834(天保5)年の大火事で全焼、1909(明治42)年にも火災によって社殿がすべて焼失してしまい、復興の夢叶わず翌1910(明治43)年にここに合祀されました。





社殿左手にある玉津稲荷(左)と、「曽根崎心中」で有名なお初と徳兵衛の像(右)。



 1703(元禄16)年4月7日早朝、堂島にあった「天満屋」の遊女・お初(21歳)と内本町の醤油問屋「平野屋」の手代・徳兵衛(25歳)が露天神社の「天神の森」で心中するという事件が起きました。当時大阪中の話題をさらったこの一大スキャンダルに非常に関心を持ったのが浄瑠璃作家の近松門左衛門です。このエピソードを題材に猛烈な勢いで書き上げた脚本は、事件からわずか1ヵ月後の5月7日には早くも道頓堀竹本座の舞台にかけられることとなりました。近松初の心中物「曽根崎心中」です。
 徳兵衛お初が心中を覚悟する「天満屋の段」、死に場所を求めて露天神社へ向かう道行きの「天神森の段」は文楽の名場面として人気を集め、観客動員に苦労していた竹本座の窮地を救う大ヒット作となりました。この心中事件の舞台となった露天神社は、「曽根崎心中」の大ヒットとともに「お初天神」と呼ばれるようになり、若い命を捨ててまで純愛を貫いた徳兵衛お初の供養や、自らの恋の成就を願う人々の参詣で賑わいを見せました。





「曽根崎お初天神商店街」の南にある入口(左)と西側の鳥居(右)。


アクセス
・JR「大阪駅」下車、南東へ徒歩10分
・阪急電車「梅田駅」下車、南東へ徒歩9分
・阪神電車「梅田駅」下車、南東へ徒歩5分
・阪神電車「東梅田駅」下車、南東へ徒歩2分
露天神社地図  【境内図】 Copyright (C) 2000-2009 ZENRIN DataCom CO.,LTD. All Rights Reserved.

拝観料
・無料

拝観時間
・常時開放

公式サイト
  
※「曾根崎お初天神通り商店街」のサイト内にあります。


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