木村草太の力戦憲法

生命と宇宙と万物と憲法に関する問題を考えます。

平成23年度新司法試験公法系第一問出題趣旨!

2011-09-22 09:57:08 | Q&A その他

Jiroさま、ララオさまより次のようなコメントを頂きました。

このほかにも、今年(平成23年度)の司法試験の問題・出題趣旨について
ご質問があるかと思いますが、
その場合は、この記事のコメント欄を掲示板的にご利用ください。
私は別に司法試験の専門家ではないので、
実戦経験者の方々でゼミ的に話し合っていただいた方が有益かと。
(私も、コメントできる範囲でコメントいたしまする)

ではでは、Jiroさまより。


Jiroさまより

何回も質問をするのは恐縮ですが、
表現の自由の自己統治について質問させてください。
『急所』128頁~131頁に、自己統治の記述があります。
私はこの箇所を読むまで、自己統治について、
民主政の過程を機能させるための政治的価値のみだと考えておりました。
しかし、『急所』および引用されている『憲法学Ⅲ』を読むことで
自己統治の価値はそれだけにとどまらないということが理解できました。
ここで、少し話は変わるのですが、
今年の新司法試験の問題の特定地図検索システムによる情報提供は、
以上の観点(政治的価値以外の自己統治の観点)から表現の自由として
基礎づけることができると考えておりました。
しかし、公表された出題の趣旨を読むと、
試験委員の先生方は自己統治の価値からの基礎づけは無理とのお考えのようです。
(引用:本問の地図検索システムによって提供される情報は、「自己統治」の機能に関わる情報とはいえない。)
出題の趣旨の書きぶりからすれば、
考えの相違などの余地はなく、前提として当然だというように読めます。
私の理解があまく、『急所』に書かれた考えからも自己統治として基礎づけることが無理なのか、
試験委員の先生方が自己統治を政治的価値のみと考えているのか、
頭が混乱しております。
(後者であると、今後の新司法試験では『急所』の考えが使えなくなります)
試験がらみの質問なので大変申し訳なく思いますが、
ご教授いただけると幸いです。


ララオさまより

Jiroさんのご質問に関連して、自分も出題趣旨に疑問があります。

(H23出題趣旨から抜粋)※一部改行
----
 X社はユーザーの「知る権利」侵害を理由として違憲主張できるとするのは,不適切であり,不十分でもある。
 まず,ここで「知る権利」と記すことが,「知る権利」に関する理解が不十分なものであることを示している。
 X社の提供する情報は,政治に有効に
参加するために必要な情報ではないし,政府情報等の公開が問題となっているわけでもない。
----

 気になるのは、最後の段落の部分です。
 知る権利の対象が「政治」的な情報に限定されています。
 これは、Jiroさんのご質問にあります、「自己統治の価値」を政治的なものに限定する理解と連続性がある気がします。
 
 ちなみに、このような立場では、地図検索システムは、ユーザーの知る権利に奉仕すると言う意味で、報道の自由と同様に、表現の自由で保障される、という論理は採れないことになりそうです。

 率直なところ、このような特定の立場を採用しなければならないとのメッセージに読めるのですが…

 自分は、急所128頁以下の説明に目から鱗が落ちる思いで、ちょうど考えを深めていたところにこの出題趣旨で、戸惑っています。

 差し支えなければ、木村先生のご意見をお伺いしたいです。
 よろしくお願いいたします。


さて、コメントいたします。

出題趣旨を読んだのですが、なかなか味わい深い文章です。
あれだけを読むと戸惑ってしまう、という受験者の方も多いのではないでしょうか。

全体の感想ですが、
もしあそこから外れることを一切許さない趣旨だとすると、
かなりストライクゾーンが狭く、
憲法学者一般の理解から見たとき硬直にすぎるだろう、という印象です。



まず、『急所』のあの部分の記述は、別に私の独自説ではなく、
芦部『憲法』『憲法学』の記述を敷衍している部分なので、
自己統治の価値が「政治的価値に限定される」というのが、
司法試験通説だと決めつけるのは、逆に危険かなという印象です。

で、私もいろいろ考えたのですが、
出題趣旨の論旨は、
どうも、地図検索システムの提供する情報が
政治的にも文化的にも大したものではなく、
表現の自由や知る自由の保護範囲に入ってくるのかなぁ?
みたいな問題意識を書いてほしい
というところにあるように思います。

私も、そのような問題意識は正当だと思います。
なので、安易に自己統治の価値とか言わずに、
表現の自由の趣旨から、きちんとその問題意識を表現してね
位の趣旨なのかと思いますよ。


また、仮に自己統治云々を政治的価値に限定するにしても、
地図検索システムの提供する情報が
政治的価値を有するという主張は可能です。
例えば、
国土・都市計画について有権者が判断する際に、
有益な情報である、とか、
人々の暮らしぶりを知るためにも重要、とか。

たぶん、こういう論証なら悪い点つかないんじゃないかな?
(首都大で私が情報法を教えた方も、普通に合格してたみたいだし。)


ということで、おそらく、こういう具体的な説明なしに
抽象的に「自己統治」とかというだけの答案はダメなのだ、ということかと。

もし、私や芦部先生が採点したとしても、
あの問題で、自己統治」という言葉の解釈、説明なしに、
いきなり「この情報には自己統治の価値がある」とか論証だと戸惑うと思いますし、
良い点はつけないかなーと思ったりします。

一般論として、司法試験にせよ学部試験にせよ、
憲法の採点の場合、何の具体的理由もなく
「自己統治だから」とか、「表現の自由は大切だから」という答案が大漁のようで、
そういう魚ばっかで、イライラしてくるということも多いようです。
(それで、イライラの勢いで、
 ああいう硬直的な出題趣旨の文章になったのかな、と思ったりします。)

というのが私の出題趣旨の理解です。

とにかく、あの問題についてはいろいろ考え方があり、
解答を一義的に確定することは困難だと思います。


さて、Jiroさんに

「今年の新司法試験の問題の特定地図検索システムによる情報提供は、
以上の観点(政治的価値以外の自己統治の観点)から表現の自由として
基礎づけることができると考えておりました」
とのことですが、
具体的には、地図検索システムの提供する情報は、
どのような(自己統治の)価値があるとお考えなのでしょう?
ちょっとお聞かせ下さい。

と返信したところ。


Unknown (Jiro)
2011-09-22 08:30:54
早速のご回答ありがとうございます。

私の思考過程としては、
まず、本問の情報は政治的価値から基礎づけることは少々苦しいかなと考えました。
(木村先生のような発想は、そもそも考えようともしませんでした…)
そこで、問題文に目をやると、
「不動産広告が誇大広告であるか否かを画像を見て確かめることによって
詐欺被害を未然に防止できるなど、社会的意義を有する。」
との記述がありました。
ここから、日本国内の地理状況をユーザーが立体的・視覚的に把握することで、
不動産取引等の社会的場面での適切な判断を可能にすることができるという価値を導き、
これを自己統治として考えました。
(ほとんど問題文そのままですが…)
もっとも、このような価値は、Z機能画像提供一般には一応妥当したとしても、
X社が提供した生活ぶりがうかがえるような画像については、
ただちに妥当するとは単純に言い切れないなと感じました。
というのも、不動産取引で重要なのはどのような物件であるかなので、
生活ぶりは関係がないでしょという反論が成り立つ可能性があるからです。
それゆえ、これをふまえた上で、不動産を購入等してそこに居住する人にとっては、
周辺環境がどのような状況にあるかも重要なので、
生活ぶりがうかがえるような画像についても
不動産取引等の社会的場面での適切な判断を可能にする一資料となり、
自己統治と結びつけることができると考えました。

そもそもを不動産取引に限定しているため、射程がかなり狭いですが、
問題文の事情にのっかってやるという意識でこのように思考しました。
(というか、それ以外の発想がまったく思いつかなかったというのが正直なところです。)



というコメントをいただきました。
なるほど、ありうる筋だと思います。

司法試験の答えは、一つではなく、憲法をまじめに勉強した人が
なるほどと思えば良い、説得的であればよい、といわれていますし、
実際、そうだと思います。
なので、ここは私の意見だけではなく、広くいろいろな方の意見を
聴いてみるのが良いかなと思うわけです。
(複数の答案構成ならべて投票を実施したいくらいです)

この記事をご覧の方で、実際に受験された方、答案構成をしてみたという方は
どのようなストーリーで構成したのでしょう?
ぜひぜひコメントをお寄せ下さい^-^>




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32 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
>tsmさま (kimkimlr)
2015-02-19 15:18:35
辰巳Live本で出題趣旨について
解説しております。ご参考になればうれしいです。
返信する
Unknown (tsm)
2015-02-14 13:27:30
だいぶ古い記事へのコメントで申し訳ありません。
今年の司法試験を受験する予定の者です。

すでに諸先輩方のコメントで、本件Xの情報提供行為が表現の自由の保障を受けるかどうか検討すべきことを求めた出題であることを理解しております。
理由づけとしては、自由な情報の流通を保障するなどというものが考えられ、博多駅事件の判例が使えるのではないかということですよね。

しかし、博多駅事件判決では、
国民が国政に参加する上で重要な資料を提供することでその知る権利に資する
だから、いわゆる報道の自由が保障されるんだ
ということが述べられています。

出題趣旨では、明らかに地図情報が政治参加に必要な情報でないことが強調されています。
そうすると、「国民が国政に参加する上で重要な資料を提供」という前提を欠くことになり、博多駅事件判決の射程を特に政治的情報の提供の場合に限られないなどと指摘しなければ、「重要な憲法判例を知っている」とされるXの代理人の主張として無理があるのではないでしょうか。

いわゆる判例の射程を原告主張でどの程度論じるべきかという一般論とも関係してくることと思われますが、先生なりの23年憲法についてXの主張で博多駅事件判決をどの程度踏み台にすべきかなど、現在のお考えをご教示いただければ幸いです。
返信する
>ゆうさま (kimkimlr)
2012-08-04 13:48:11
は。

何かありましたら、またどうぞ!
返信する
Unknown (ゆう)
2012-08-04 03:38:48
コメントありがとうございます。読みました!
知らないことが山盛りで驚きました(笑)

23年の問題以外の記事も早いとこ読んで、かつ、来年の試験まで毎日チェックするようにします!!

ただまだ完全に理解していないので過去の記事をみてそれでもわからなければまた質問させてください。すみません
返信する
>ゆうさま (kimkimlr)
2012-08-02 21:01:18
ご質問の点につきましては、
「これアカハラだろ」から始まります
2012年1月の連載をまずはお読みください。
返信する
Unknown (ゆう)
2012-08-01 20:03:12
はじめまして。平成23年の問題を検討していて、ドツボにはまってしまいました、、。

ものすごい初歩的な質問かもしれませんが、法令違憲って法が一般的に制限している権利の正当化事由があるかどうかを立法事実に照らして判断するんですよね?

それで、平成23年の問題では、法は、ストリートビューをインターネットに掲載する行為を制限しているわけですが、それは別に営利活動として行うかにかかわらないわけですよね。

今回のX社は営利活動としても行っているわけですが、無償でサービスを提供している人でも法律によって処罰されるわけなので。

それで質問なのですが、採点実感を読むと、営業の自由として構成することもできるけど、原告に弱い権利を主張させるのはセンスがないと書いてあるわけですが、

そもそも法令違憲のレベルでは、営業の自由を主張することはできないのではないでしょうか?

それに、違憲審査基準は、具体的に立てるので、別に営業の自由を根拠としたから、違憲審査基準が緩やかになるなどとはもういえないと思いますし、適用違憲のレベルでも別に影響はないのではないかと。

よく答案例で、①Xがサービスを掲載する行為は、表現の自由及び営業の自由によって保障される。②本件法律は、Xのサービスの掲載を制限している。③違憲審査基準は・・・と法令違憲を論じた後で、

適用違憲の問題として、①Xの表現の自由や営業の自由について合憲的に解釈するなら、法令はこのように解釈しないといけない②にもかかわらず、その解釈に従ってない処分がなされてる。③よって、適用違憲などと論じているものがあり、高得点がつけられているのですが

そもそも法令違憲は一般的に判断するのだから、法令違憲の段階では、Xの表現の自由とか、営業の自由を持ち出すのではなくて、①情報をネットにのせるという表現の自由を制限している、②そういう法律が許されるか、検討する、③・・・

という流れにするのではないのでしょうか。

長文・愚問すみませんが、とても混乱していまして、、。お忙しいところ申し訳ありませんが、ぜひご教授ください。


返信する
Unknown (Kobaya)
2012-01-31 16:58:15
長い質問にお付き合いいただきまして本当にありがとうございました。
先生の本に出会ってから、今どこの段階の議論をしているのかをなるべく明確に意識しようと思い、つい質問が長くなってしまいました。制約の段階での議論であると整理できて私的には大きな収穫になったと思います。
ありがとうございました!
返信する
>Kobayaさま (kimkimlr)
2012-01-31 15:22:36
そうですねえ、一般的には、保護範囲論で定義した内容に、
この行為が該当するか
形式的に議論すれば足りますが、
本問のような限界事例だと
保障根拠に遡って論じる必要があるでしょうね。

どでしょ?
返信する
Unknown (Kobaya)
2012-01-31 15:14:58
早くのお返事ありがとうございます。
一つめの質問についてなのですが、すみません、あと少し教えてください。

『急所』p10では、①保護範囲と②防御権の制約と、2つに区別されています。この①では、保障根拠などから、表現や思想良心の自由がどれくらいの広がりをもつ行為まで保障するのかを(内心説や信条説等)、定義をもって確定します。
次に、今回制約されている行為が①に含まれるかを検討する(含まれるなら=それは自由の制約になる)のが②だと理解しているのですが(多分ここまではあっていると思っているのですが)、
その②で、今回制約されたZ機能画像の公開が、表現の自由で保障されているのかを検討します。

その際に、①で表現とは、自己統治自己実現からすると「他者に情報を伝達すること」をいうと定義づけたら、②の検討の際にも、Z機能画像の公開も、自己実現や自己統治に資する、という実質的な検討を経て初めて①の定義に含まれるということができる、と理解すればいいのでしょうか。それとも、Z機能画像は「情報」だから、「他者」である一般国民に対する公開も、表現の自由で保障される、というように形式的に判断すればいいのでしょうか。

今回思ったのは、明らかにある行為が自己実現や自己統治に資するような行為については、①で定義を示した後に、②で改めてその行為が自己統治に資するかという実質的な検討はしなくても、形式的に①の定義にあてはまるかを検討すればよく、

ただ、今回の新司のように、本当に自己統治自己実現に資するか争いが生じるような行為については、①の定義づけの後に、②でその行為が形式的に①の定義に当てはまるかだけでなく、実質的にも自己実現や自己統治に資するかを検討する必要があるということなのかな、と思ったのですが、このような理解でいいのでしょうか。

長くなってしまい申し訳ありません。まとめますと、②制約されているかどうかを認定する際には、①の保護範囲で示された定義にその行為が当てはまるか形式的に検討すればそれで足りるのか、それとも保障根拠まで遡って、その行為が自己統治自己実現に資するかどうかまで実質的に検討する必要があるのか、という点が引っかかっているのだと思います。
返信する
>Kobakさま (kimkimlr)
2012-01-31 14:00:28
こんにちは。

第一点目、
「Z画像の公開が、表現の自由の根拠である自己実現や自己統治に役立っているのかを検討する必要があるということなのかな、と想像したのですが、このような検討をすることが、保護範囲を確定するということの意味なのでしょうか」との点ですが、
これは、「表現」(21条1項)の概念を定義して、
今回規制された行為がそれに含まれるか、を審査しろというものです。

これは、保護範囲論ではなく、
保護範囲論を前提とした制約の認定という工程です。
詳細は、最近、しょうもない若手の先生が書かれた『憲法の急所』という本がありますので、
その本の第一章をご参照ください。

第二点目ですが、おっしゃる通り、
普通の明確性の審査は、処分審査と言った方がいいものです。
(不明確な法文により処罰されない権利は、
 特定行為排除権なので、
 防御権からの処分審査、とは違いますが)

この点は、やはり『憲法の急所』の第四問に詳細な解説がありますので、
そちらをご参照ください。

ではでは。
返信する
Unknown (Kobaya)
2012-01-31 12:11:24
木村先生、連載お疲れさまでした。たびたびの質問になり本当に申し訳ないのですが、2点疑問がわいたので教えていただけないでしょうか(二段階審査とは関係ないと思いこちらの記事に投稿しました)。

1つめは、保護範囲の確定についてです。
先生は、『本問における判断枠組みに関する最大のポイントは,判例や学説を参考にしつつ,相応の説得力を有する論拠を示して,自由な情報の流れを保障する表現の自由論を論述することである。この問題では、主体が法人という固有の自己価値を持たない存在であるため、Z画像の公開は「自己実現の価値に資する」と単純に書くと、説得力が弱い。また、直接民主制プロセスに役立つかどうかわからないため、Z画像の公開は「自己統治に資する」と単純に書くのも悪い。』とされていたのですが、この文章の趣旨が理解できていません。

Z画像の公開が「表現の自由」で保障されるのかについては、私は、表現の自由の根拠である自己統治自己実現の価値からすると、表現とは「他者に情報を伝達する行為」であり、Z画像を公開することも他者に情報を伝達する行為だから、表現の自由で保障される、というように、単純に表現の「定義」に当てはまるかどうかで判断すればいいと思っていました。
しかし、おそらく、先生が仰っておられるのは、Z画像の公開が、表現の自由の根拠である自己実現や自己統治に役立っているのかを検討する必要があるということなのかな、と想像したのですが、このような検討をすることが、保護範囲を確定するということの意味なのでしょうか。

私は保護範囲の確定とは、単純に(保障根拠まで遡らずに)表現の定義に当てはまるかどうかを検討することだと思っていましたので、とんでもない勘違いをしているのではないかと混乱しています。

2つめは、「また、別途、明確性は問題になり得る。明確性の問題を処理する場合の注意点は、以下の通りだろう。1 今回の行為との関係で明確性の論証というのは、「当該行為」と法文との関係で決まる。」
と明確性審査について触れられているのですが、これは「当該行為」と法文との関係を問題にしていますから、(法令審査ではなく)処分審査と理解してよろしいのでしょうか。法令審査としての明確性審査では、特定の行為との関係を問題にするのではなく、あらゆる行為との関係で不明確か、という表現になるのではないかと思うので処分審査のことを仰っているのかなと思いました。
返信する
>文京さま (kimkimlr)
2011-12-20 06:59:33
こんにちは。どうもありがとうございます。
こちらの記事の方が、適切かと思いましたので
コメントを移送させて頂きました。

一点目ですが、出題趣旨は、むしろ違憲審査基準は一定で、その当てはめの中で、権利の調整をしっかりやれとかいているように見えますがどうでしょう?
また、出題趣旨先生は、この事案で制約された権利の保障の程度はそれほど高くないとお考えの模様ですので、権利の性質上、審査基準が普通の表現の自由より低いとしている可能性があります。

また、芦部先生のプライバシーと表現は比較考量というのは、
私人間効力の文脈での議論だと思います。
また、比較考量というのは、相当性審査をきちんとやるというもので、
必ずしも緩やかな審査基準でもないかなという気がします。

二点目ですが、この点については、
まずは、この記事とコメント欄をお読みください。

何か疑問が残るということでしたら、
ご遠慮なく、コメント頂ければと思います。
返信する
質問 (文京)
2011-12-20 06:26:13
木村先生はじめまして。急所、本当に色々と発見があって、しかもわかりやすくて、活字嫌いな僕でもスイスイ読めています。

質問があります。

急所の158頁に
「対抗価値が大きいことは、審査基準を緩めることにはなりません」
とありますが、
例えば、芦部先生は、表現の自由とプライバシーの対立事案では、比較衡量に依るべきと言ったりしてるし、H23の新司憲法でも、「本問における表現の自由の制約の合憲性をめぐって問われているのは,表現の自由とプライバシーの権利の調整である。(中略)したがって,「原告の主張」・「被告の反論」・「あなた自身の見解」それぞれの立場において審査基準論のあれこれを定型的に書くのは,全く不適切である。」としています。
これは、プライバシーという対抗利益に配慮して、審査基準を緩めているように見えるのですが、違うのでしょうか?

また、同出題趣旨は、
「X社はユーザーの「知る権利」侵害を理由として違憲主張できるとするのは,不適切であり,不十分でもある。まず,ここで「知る権利」と記すことが,「知る権利」に関する理解が不十分なものであることを示している。X社の提供する情報は,政治に有効に参加するために必要な情報ではないし,政府情報等の公開が問題となっているわけでもない。」

としていますが、この文章の書き手の意図しているところがよくわかりません。
「知る権利」は、政治的な情報を知る権利に限定されるということでしょうか。
返信する
>kazooさま (kimkimlr)
2011-10-12 16:06:57
返信する
ありがとうございます。 (kazoo)
2011-10-11 22:09:05
なるほどです。仮にも第三者主張適格を書く場合でも、知る権利は政府情報、そうでない情報は知る自由で、ただ、のぞき見情報なんてものは、そもそも知る自由の保護範囲外だ、といいたいのだと理解しておりました。

わざわざありがとうございました。
返信する
>kazooさま (kimkimlr)
2011-10-11 21:21:01
こんにちは。

いやそりゃあれですよ、
「名誉棄損表現をする自由はない」
=保護範囲に含まれるが、
 規制は正当化される
というように、
「のぞき見る権利はない」
=知る権利の保護範囲に含まれるかもしれんが、
 規制は正当化される、
といっているのです。

これでどうかな?
返信する
表現の自由と知る自由 (kazoo)
2011-10-11 16:01:51
平成23年憲法出題趣旨で、次のような記述がありました。

『‥さらに,ユーザーは不特定多数の第三者であるので,特定の第三者に関する判例を根拠にX社がユーザーの「知る自由」を理由に違憲主張できるとするのは,不適切であり,不十分である。
そもそも「知る自由」は,他者の私生活をのぞき見する自由を意味しない。』

これはおそらく、処分審査をするときに、原告の主張する権利を営業の自由と構成した人が、より強い主張をするために、第三者であるユーザーの知る自由への違憲を主張できると構成したのではないか、と思いました(上の判例は第三者所有物没収の事件でしょうか)。

ともかく、出題趣旨は、「知る自由」は,他者の私生活をのぞき見する自由を意味しない、といっているのですが、この意味がわからないのです。

この事案は、X社が特定地図検索システムの提供の中止命令を受けています。X社としては、提供行為は表現の自由で保障されており、中止命令はそれへの侵害だと主張できると思います。

この場合、知る自由は、表現の自由を受け手の側から再構成したもの、であれば、表現の自由で保障される情報であれば、知る自由でも保障されるのではないのでしょうか。

それとも、ただこの記述は、

『他者の私生活をのぞき見する自由も、知る自由で保障される』と、

上記のように制約されている表現行為の中身との対応関係を考えなかったために(営業の自由と構成すれば、考えないかもしれませんが)、このように書かれている答案があった、ということなのでしょうか(私生活を覗き見した情報を流す自由は、表現の自由では保障されない、故にそれを知る自由もない、ということなのでしょうか)。

大変わかり辛い文章で申し訳ありません。
この出題趣旨の『』部分について推測できることがあれば、御教授いただけないでしょうか。
返信する
>zooさま (kimkimlr)
2011-10-07 16:30:18
ありがとうございます
返信する
Unknown (zoo)
2011-10-07 13:19:15
なるほど、学術論文ですか。
確かに現在は多少時間に余裕がありますので、
是非挑戦してみたいと思います。
早速大学図書館で探してみたいと思います。
アドバイスありがとうございます。

『急所』もちろん同期の修習生等にもお勧めしていきたいと思います。
今はローの後輩に強くプッシュしております。
返信する
>zooさま (kimkimlr)
2011-10-06 22:17:39
そういっていただけますと、コメントしたかいがあったというものです。

せっかく試験から解放されたのですから、
ぜひ、学術論文にチャレンジしてみてください。

表現の自由分野ですと、
やはり奥平康弘先生のものがいいです。
堅いものだと『なぜ「表現の自由」か』、
エッセイだと『憲法の想像力』でしょうか。

その他、ちょっと古いのですが
長谷部恭男『テレビの憲法理論』なんかは、
今年の試験問題を理解する上で、
とても有益です。

『急所』、司法修習生や教官の皆様にも
お勧めいただけますと幸いです
返信する
ありがとうございます。 (zoo)
2011-10-06 18:09:18
非常に丁寧かつ貴重なご指摘ありがとうございます。なるほど、先生のご指摘を頂いて、出題趣旨に対する疑問が氷解致しました。それを踏まえて、今後発表される採点実感等を注視していきたいと思います。

自由に情報を流通させる自由が表現の自由として保障されるということがポピュラーな見解だったとは、私の勉強不足でした。
まだまだ判例の読み込みが甘かったと反省しております。

憲法は個人的に好きな科目でして、今後も試験とは関係なく、基本書等で勉強を続けていこうと思っています。もちろん、先生の『急所』も拝見させて頂いております。

今後もブログを拝見させて頂きます。
非常に丁寧なご指摘改めて感謝致します。
返信する
>zooさま (kimkimlr)
2011-10-06 15:31:16
こんにちは。
合格おめでとうございます。
また、貴重な情報をお寄せくださり、
まことにありがとうございます。

実は、zooさんの構成は、私があの問題を初見したときに考えた構成と
ほぼ同じです。
なので、それできちんと点になっているというのは、
私も一安心です。

さて、zooさんのご指摘を合わせて考えますと、
政府情報公開請求権の意味で「知る権利」という語を使い、
あの事案でそれを使おうとした答案があり、
出題趣旨の先生がお怒りになっている、
と考えざるを得ないでしょう。

「知る権利」は、
①政府情報公開請求権、
②私人が発信する情報の受領の自由、
③大きな社会的権力を有する私的団体の情報公開請求権
(電力会社に原発の資料公開を求めるような
 権利でしょうか)などの
総称だとされているので、
②の意義で「知る権利」という語を使っているのが明らかで、
博多駅事件判決の要領で原告の情報を流通させる自由を基礎づける答案は、
問題ない答案だったということなのかと思います。
(たぶん、多くの憲法学者もそういう答案に
 高得点を付けると思いますし、
 採点された先生もそうだったということかと)


また、表現の自由なのですが、
実は、自由に情報を流通させる権利としての
表現の自由の理解は、きわめてポピュラーです。

チャタレイ事件で、出版社が表現の自由を主張したことからわかるように、
表現の自由の「表現」は、別に、自分が考えた思想である必要はなく、
他の人(小説家や翻訳家)が創出した情報の流通でもよいのです。

というのも表現の自由の趣旨は
多様で豊富な情報の流通を確保するという
社会的な価値を実現するためであり、
情報の種類を問わず、それを流通させる行為を保護してゆくのはその趣旨にかなうからです。

こういう表現の自由の理解というのは、
教科書でははっきり書かれないのですが、
いまみたチャタレイ判決からもわかるように
判例ではよく見られます。
また、表現の自由の権威、奥平先生の論文には、
今お話ししたようなことがしっかり書いてあります。

そういうわけで、当たり前ですが
試験委員の方は、表現の自由の研究の歴史を
きちんと理解し、出題はされたのかなと。

なので、それほど突飛な議論ではないのではないか、と思います。

また、実は、私も、表現の自由の保護範囲を
情報を流通させる行為一般だ、と教えています。

というわけで、こんな感じでどうでしょうか。

それでは、ぜひぜひ良い法曹になってください
返信する
答案構成 (zoo)
2011-10-06 01:56:55
初めてコメントさせて頂きます。
私は今年新司法試験を受験し、幸いに合格した者ですが、私も憲法の出題趣旨には少し戸惑っております。
私の答案構成は、大要以下の通りです。

まず、X社が表現の自由を主張する場合に、Z機能画像の提供が表現の自由の保障範囲に含まれるのかという問題意識を示した上で、私は、報道の自由に近いものとして構成しました。
つまり、受け手にとって価値ある情報であれば、それが事実の報道だろうとZ機能画像だろうと、知る権利に奉仕するものとして表現の自由の保障を受けると。
ただ、私は、原告側の主張では上記のように構成しましたが、自己の見解の部分では、知る権利はそもそも権力の監視等政治的な色合いが強い権利であって、Z機能画像のように私生活上の利便性を向上させるに過ぎない情報は、本来的な知る権利に奉仕するものではないと批判しました。その上で、仮に表現の自由の保障を受けるとしてもその程度は弱いとして、結論は合憲としました。

私は幸いに公法系はかなり点が伸びたのですが、出題趣旨を見る限り、知る権利に言及することが既に大幅な減点対象であるかのように書かれていて当惑しております。
試験委員は、自由に情報を流通させる権利を表現の自由として構成して欲しかったようですが、私はそのような自由が表現の自由として保障されるという記述を見たことがありませんし、正直それを現場で書くのはかなり勇気が要ることだと思います。

以上長文で失礼致しますが、私の答案構成と出題趣旨のズレと言いましょうか、不整合な点について感想を頂ければ幸いです。
返信する
>kazooさま (kimkimlr)
2011-09-25 13:09:19
がんばってください
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アメリカ (kazoo)
2011-09-24 13:48:40
なるほどです。

やはり母国のアメリカの議論を参考にすることはとても大事なのでしょうね。

憲法は他の科目と比べると歴史や外国の議論が解釈に直接影響してるというイメージが強いです。そういう意味で少し苦手意識があったのですが、でも議論を正確に理解せずに裁判で憲法論を振り回すのはおかしいです。
よく芦部先生の本はオススメといわれますが、きちんと理解するには、他の本と合わせてバックボーンを知りつつ行間を読まないと難しそうです。木村先生のブログを見てきてそう思いました。

少しずつでもいろいろな本を読む必要があると思いました。

ありがとうございました。
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>kazooさま (kimkimlr)
2011-09-24 08:20:54
アメ・・・。

確かに、いきなり外国憲法の教科書読むのは
大変ですよね。
でも、表現の自由の箇所の「目次」だけ
眺めるだけでも結構参考になるし、
英語が苦手でも目次くらいなら簡単に
読めますよ。

参考までに、調べ方ですが、
条文は第一修正(first amendment)で
Freedom of Speechっていうのを調べるとよいです。
法科大学院図書館の中には、メジャーな
アメリカのケースブックくらいいれてる
っていう図書館も多いですし^-^>

もちろん、奥平先生の著作がこの分野の
「最初の一冊」なので、ぜひ、読んでみてください。
第一章を読むだけでも、かなり実力がつきます。

「知る権利」も、やはり、奥平先生の『知る権利』っていう本があります。
とても良い本で読みやすいので、
通学中にぱらぱらと読むにもよいかなと。

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紹介ありがとうございます (kazoo)
2011-09-24 01:27:43
アメ‥

まず上の方から順にあたっていきたいと思います。

ご紹介ありがとうございました。

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>kazooさま (kimkimlr)
2011-09-23 18:41:58
なるほど。
難しい問題なので、簡単には解答できませんが、
奥平康弘『なぜ表現の自由か』
芦部信喜『憲法学Ⅲ』
それにアメリカのケースブックとか
よんでみると、いろいろ分かると思いますよ^-^>
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表現の自由 (kazoo)
2011-09-23 15:15:34
てっきり、この出題趣旨書いた方は、防御権は知る自由と、請求権は(政府情報について)知る権利と、使い分けしてるのかと思いました。
確か渋谷先生の教科書だと項目で区別されていたような…

ちなみに今年の問題で改めて疑問に思ったのですが、なんで表現の自由の価値って、自己実現、自己統治の価値に限定されるんでしょう?
(ひょっとしたら教科書なんかの記述って、「少なくとも」二つの価値があるってだけで、別に他の価値があることも否定してないのかも)

二つしかないって考える理由はなんなんでしょうか。

図書館で調べたことはありますが、なるほどと思えるような文献は見つけることができませんでした。

長年疑問に思ってて解決できていません。どなたかお考えがあれば是非ともご教授いただきたいです。
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>kazooさま、>ララオさま (kimkimlr)
2011-09-23 14:31:57
さっそくありがとうございます。

kazooさまの筋の議論がちゃんとかければ、
そんなにひどいことにはならないかなーと
いう気がしますねぇ。

あと、「知る権利」という言葉ですが、
これは、一般に
1 情報を受領する行為を保護範囲とする防御権
2 政府情報の公開を要求する請求権
などの総称なので、
1を「知る権利」と表現することは
別に間違いではないはず。

なんで、ああいう表現になってるんでしょうね?
また今度分析してみます。
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答案構成 (kazoo)
2011-09-22 22:21:02
先に、出題趣旨の知る権利云々というのは、書くなら、知る自由と記述しなさい、という趣旨ではないかと思うのですが(まだきちんと読んでないのでわかりませんが…)どうでしょうか。。


試験直後に答案構成したときのみ思考過程を少し書きます。(「急所」を読む前なので、全く反映されてません。)

X社は表現の自由を主張でき、すべきものの、被告ならば、自己統治の価値の欠如故に価値が低いた審査基準はその分緩くなると反論してくると考えました。
なので、この訴訟では審査基準の前提である権利の価値をどうみるか、という点は大きく争いになると思いました。

X社はユーザーの利便性の向上や犯罪阻止等、提供している情報の価値を主張しており、これらを汲み上げて表現の自由の重要性を主張するには、表現の自由の機能を自己実現、自己統治に限定すると難しいと思いました。 そこで、表現から発せられる情報は多種多様であり、同じ情報であっても受け手によってどのような価値を認め、どのくらいの価値を見いだすのかは 受け取り手が判断すべき事柄であって(ユーザーの利便性についていえば、状況次第では自分や誰かの生命を救うこともありうるし、詐欺被害にあった人、あいそうになった人にとったら、重要性は極めて大きいことは否定できない…などなど)、自己実現、統治もそうした価値の一つにすぎず、これらに限定する必要はなく、また受け取り手によって価値の重要性は変わると思いました。そうすると、裁判所しか、そういう可能性をもった情報が、市場に流通することをせき止める行為の憲法適合性は審査できないのだから、厳格に審査するべきだ…云々と。
問題を読んだときは、自己統治は政治的価値しか意味しないと考えていましたので、Xの主張を汲み上げて構成するにはこういう構成しか思い浮かばなかったです。。。
ちょっと逃げた感がなきにしもあらずです。
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Unknown (ララオ)
2011-09-22 22:20:35
ご説明ありがとうございます!

木村先生のおっしゃるような趣旨であれば、「なるほど!よし、がんばろー!」と思えます。
しかし、
>「知る権利」と記すことが,「知る権利」に関する理解が不十分なものであることを示している。
とまで書かれているので、善解するには少し引っかかりを覚えます(^^;

いずれにしても、自分としては木村先生のおっしゃるような趣旨の方がしっくりくるので、基本から考察できるよう、「急所」を片手に努力いたします。

答案構成については、自分はまだまだゴミカスレベルですが、もう一度よく考えた上で作成してみます!
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