現代ビジネスにて、
組体操を題材とした道徳教育の教材について
書いてみました。
大変好評で、多くの方に読んでいただけたようです。
内田良先生が
この記事
で指摘している通り、
組体操は、バスケットボールや跳び箱など、
他の体育授業とは一線を画した危険性があります。
また、私も沖縄タイムスの連載で指摘していますが、
違法な形で行われることも多い競技です。
記事の中でも指摘していますが、
骨折の危険を十分に除去して組体操を行うには、
1 タワーやピラミッドの際には、
バランスが崩れている箇所がないか、
すべての箇所を丁寧に監視すること。
2 バランスが崩れている箇所があった場合、
即座に形成を止め、解体をすること。
3 転んだり、バランスを崩れた場合に、
それぞれの児童・生徒が何かにつかまるなどして、
転落や崩落を防げるような特別の措置をとること。
少なくとも、この三点は必須になります。
しかし、1と2を実現するには、
相当数の監視人員がいて、学校所属の先生だけでは不足する可能性が高く、
また、3については
そもそも、タワーが崩壊するときに、何につかまればよいのか?
という根本的な問題があります。
要するに、1~3の基準を満たした形で組体操を行うのは
実際の現場ではほぼ不可能です。
(もしそれを否定する人がいたら、それは学校がいかに限られた資源の中で
運営されているかをしらない、現場を知らない意見と思います)
また、跳び箱やバスケットボールなどの他の体育科目では
普通は、1~3の基準が満たされています。
例えば、1についていえば、
ぐらついたまま跳び箱をやらないよう
跳び箱が始まる前には、先生がバランスを確認しているはずですし、
それを怠っていれば、明白な職務怠慢の違法行為でしょう。
次に、2ですが、
体育館の床がぐらついていて崩落の危険がある場合、
バスケットボールをやったりはしないでしょう。
また、3ですが、学校に組体操のピラミッドと同じ高さの
手すりのない階段があったら、立ち入り禁止は避けられないでしょう。
現代ビジネスの記事については、
そうすると、学校で組体操をやると違法なのですか?
とご質問をいただきましたが、
まさに、その通り
と言わざるを得ない、ということになると思います。
組体操を題材とした道徳教育の教材について
書いてみました。
大変好評で、多くの方に読んでいただけたようです。
内田良先生が
この記事
で指摘している通り、
組体操は、バスケットボールや跳び箱など、
他の体育授業とは一線を画した危険性があります。
また、私も沖縄タイムスの連載で指摘していますが、
違法な形で行われることも多い競技です。
記事の中でも指摘していますが、
骨折の危険を十分に除去して組体操を行うには、
1 タワーやピラミッドの際には、
バランスが崩れている箇所がないか、
すべての箇所を丁寧に監視すること。
2 バランスが崩れている箇所があった場合、
即座に形成を止め、解体をすること。
3 転んだり、バランスを崩れた場合に、
それぞれの児童・生徒が何かにつかまるなどして、
転落や崩落を防げるような特別の措置をとること。
少なくとも、この三点は必須になります。
しかし、1と2を実現するには、
相当数の監視人員がいて、学校所属の先生だけでは不足する可能性が高く、
また、3については
そもそも、タワーが崩壊するときに、何につかまればよいのか?
という根本的な問題があります。
要するに、1~3の基準を満たした形で組体操を行うのは
実際の現場ではほぼ不可能です。
(もしそれを否定する人がいたら、それは学校がいかに限られた資源の中で
運営されているかをしらない、現場を知らない意見と思います)
また、跳び箱やバスケットボールなどの他の体育科目では
普通は、1~3の基準が満たされています。
例えば、1についていえば、
ぐらついたまま跳び箱をやらないよう
跳び箱が始まる前には、先生がバランスを確認しているはずですし、
それを怠っていれば、明白な職務怠慢の違法行為でしょう。
次に、2ですが、
体育館の床がぐらついていて崩落の危険がある場合、
バスケットボールをやったりはしないでしょう。
また、3ですが、学校に組体操のピラミッドと同じ高さの
手すりのない階段があったら、立ち入り禁止は避けられないでしょう。
現代ビジネスの記事については、
そうすると、学校で組体操をやると違法なのですか?
とご質問をいただきましたが、
まさに、その通り
と言わざるを得ない、ということになると思います。
なるほど。
道徳と言い張ることで子供に危険なことをさせるのは、子供があまりにも可哀想ですよね。いたいけなことに、子供達は学校側の教えたことを守ることを善いと思い込んでいるから、その分しっかり教員達が子供の安全に配慮した教育をしていかないと。
でも、そもそも組体操で高層ピラミッドを作らせることが道徳と言ってよいものなのでしょか?だって、道徳とは善いことを意味するのに、子供達の安全を蔑ろにした教育が善いことなわけないじゃないですか(10段ともなると最大200キロを超える負荷がかかるそうですね。しかも実際毎年事故は起きているから呆れます)。真の意味での道徳教育とは物事の善し悪しを踏まえたものでないと成立しないのでしょう。
善し悪しを個人の判断に任せると、その人が善いと思っただけでそれは一応は善いことになってしまい、子供にとって危険であっても何でもありとなり、意味ないですよね。そうすると、やはり誰でも納得する普遍的な価値に基づいて道徳の内容も決めていくべきです。そういう意味で、法学の教育をしていくことはとても意義のあることかと思います。
道徳教育とは関係ないんですけど、僕も大学に入って初めて法律に触れた時、法学という学問をしっかり国民は学ぶべきだと感じました。自分を守るツールに対して最低限度の知識はあった方が生きやすいと思います。よく法律は冷たいものって思われるのも、法律のことをよく分かってないからでしょう。折に触れてもったいないなぁと感じます。
そうはいっても、法学をちゃんと教えられる人材は限られているし、義務教育化するのは不可能だろうと諦めていました(そもそも僕は何もしてませんけど)。その点、木村先生は、学生だけじゃなくて一般の人に対しても平易な言葉で法律を教えようと努力されていて、本当に偉いと思います。尊敬しております。
非常に困難な道程で、中々理解を得られず、心労も絶えないことと思いますが、今後とも頑張って下さい。影ながらですが応援している者はおります。そして、いつか日の当たるところからも応援したいものです。
それでは失礼します。駄文・長文でコメント欄を汚してしまいましたことをお詫び申し上げます。
P.S.
早く基本書を出して下さい。
ただ、法律ですべて人間にまつわる問題が解決するような結論ならば疑義を挟みたいと思います。
人間社会は「詰将棋」ではなく、「本番の対局」です。自分を中心として相手がいるはずです。
道徳と法律は慎重に分けて扱うべきだと思います。
将棋の駒を憲法各条文と等しく見なそうとするならば。
おひさしぶりです。
そろばんと申します。
木村草太教授、道徳と言い張ることでですよね!
組み体操の高度化は、危険もはらみますが、
その高度化に安全性が加わるならばとおっしゃられる
姿勢に真の意味での道徳教育の行方というテーマを
見出しています。
学校の先生は毎日生徒に会うわけですから、
日常と非日常の狭間で常に緊張状態にあり、
子ども達を怪我させるわけにもいかないプレッシャーで
疲労しているわけですが、自分を守るツールを選択できる年齢まで生きることの大切さを説かれる
正義感がそろばんは好きです。
http://www.comp.tmu.ac.jp/diversity/committee/index.html
もうすでに、ご存知でしたら申し訳ございません。
心労も絶えないことと思いますが、今後とも頑張って下さい。取り急ぎご挨拶まで。
教育委員会や学校の判断に委ねた自治体の方が多い事に
びっくりしています。。。