ご質問を頂きました。
「『急所』P14の合憲の推定、違憲の推定の意義、
というか、どのような機能があるのか、よくわかりません。
どうにかしてください。」
うーんとですねえ、法令の合憲性を判断するときに、
なんらかの事実を認定しなきゃいけないこと、ありますよね。
例えば、
<薬局開設距離制限をすると、薬局の安全度が上昇する>という事実、
(事実A)
あるいは
<この法文から、一般人は、妄想族の集会するとき、
適用をうけるかどうかを判断できる>という事実 の有無など。
(事実B)
(・・・。妄想族って、一般人だったのか。)
こういう<>内の事実を立法事実といいます。
で、裁判官としては、
証拠や公知の事実や職権で探知した事実とか参照しながら、
この事実の有無を認定します。
事実Bみたいに、法文を(裁判官としてではなく)一般人として読めば確定できる
そういう事実なら、裁判官は、その事実の有無をきちんと認定できます。
でも、事実Aなんかだと、
距離制限について薬局安全度上昇に役立ってるとか、役立ってないとか
いくら調べても、考えても、確信を持って認定できない
という場合があります。
・・・。
ところが、Show must go on!でありまして、
立法事実の有無が認定できなくても、結論を出さなくてはいけません。
立法事実があれば合憲、なければ違憲です。
この場合に、認定できないなら推定にゆだねよう。
大事な権利が制約されている場合には、
確信もって合憲といえる場合でないと合憲としない。よって違憲の推定。
軽い権利の場合は、その逆に合憲の推定。
というのが違憲の推定、合憲の推定です。
こんなんでどんなもんでしょう?
「『急所』P14の合憲の推定、違憲の推定の意義、
というか、どのような機能があるのか、よくわかりません。
どうにかしてください。」
うーんとですねえ、法令の合憲性を判断するときに、
なんらかの事実を認定しなきゃいけないこと、ありますよね。
例えば、
<薬局開設距離制限をすると、薬局の安全度が上昇する>という事実、
(事実A)
あるいは
<この法文から、一般人は、妄想族の集会するとき、
適用をうけるかどうかを判断できる>という事実 の有無など。
(事実B)
(・・・。妄想族って、一般人だったのか。)
こういう<>内の事実を立法事実といいます。
で、裁判官としては、
証拠や公知の事実や職権で探知した事実とか参照しながら、
この事実の有無を認定します。
事実Bみたいに、法文を(裁判官としてではなく)一般人として読めば確定できる
そういう事実なら、裁判官は、その事実の有無をきちんと認定できます。
でも、事実Aなんかだと、
距離制限について薬局安全度上昇に役立ってるとか、役立ってないとか
いくら調べても、考えても、確信を持って認定できない
という場合があります。
・・・。
ところが、Show must go on!でありまして、
立法事実の有無が認定できなくても、結論を出さなくてはいけません。
立法事実があれば合憲、なければ違憲です。
この場合に、認定できないなら推定にゆだねよう。
大事な権利が制約されている場合には、
確信もって合憲といえる場合でないと合憲としない。よって違憲の推定。
軽い権利の場合は、その逆に合憲の推定。
というのが違憲の推定、合憲の推定です。
こんなんでどんなもんでしょう?
今・・これで自分が憲法マスターになれるのではないかと身ぶるいしてます。ありがとうございました!
マスターいいですね。
憲法、面白く勉強して頂ければと思います^-^>
頑張ってください。
合憲の推定=立法事実があるとの推定
合理的関連性=合憲の推定が置かれる場合の言葉
この前提によれば、
関連性があるかどうか不明な場合にも「関連性はある」
という結論になりそうです。
ところが、急所14頁(2)4行目では、
「関連性があるかどうか不明な場合にも『合理的関連性はある』と言われる」
と表現されています。
ここでの「合理的関連性」は「関連性」の誤りでしょうか?
それとも何か意図があっての表現なのでしょうか?
以上の疑問は、同頁・下から2行目の「実質的関連性はない」という表現にもあてはまります。
急所と本ブログの記事を読んでもわからなかったので質問させていただきました。
よろしくお願いいたします。
合憲の推定を置いた場合の関連性
っていう意味だから、
関連性があるかどうか不明な場合には、
合理的関連性があると表現される、
という意味かと思います。
関連性があるかどうか不明な場合に
「ある」のは、関連性ではなく、合理的関連性だと思いますが。
他方、実質的関連性は、
関連性があるかどうか不明な場合には
「ない」ですね。
しかし、推定されるのは観念的な関連性であって関連性そのものではないとのご説明をいただきました。
では、「関連性」ではなく「観念的な関連性」で正当化されるのはなぜでしょうか。
また、なぜそのような処理をするのでしょうか。
>立法事実の有無が認定できなくても、結論を出さなくてはいけません。
>立法事実があれば合憲、なければ違憲です。
>この場合に、認定できないなら推定にゆだねよう。
という本記事の説明からは、端的に「関連性」を推定する処理をすればよいと思うのですが…。
ただ、合理的関連性とか観念的な関連性という言葉を使う
学説や判例があるので、
その用語を解説しているだけだとご理解ください^-^>
むむむ。
とりあえず、
関連性は「有るか無いか(目的適合的か否か)」の問題なので、端的に「関連性」の推定をする処理で問題ない、と理解しました。
判例をしっかり読むときにまた考えてみます!
ありがとうございました!
こんにちは。nekobenと申します。
いつも疑問点があると,先生のブログで検索させて頂いております。
『急所』p.14の「合憲の推定/違憲の推定」に関連して,幾つか文献を読んでおりましたら,「立証責任」という用語の使い方が,よくわからなくなりました。以下の2つの意味で使われているようですが,この整理の仕方で正しいでしょうか。
お時間のあるときに,教えていただけますと助かります。
【意味1】
立法事実の存否は,司法事実と異なり,法律上の主張だから,裁判官の専権判断事項である。「立証責任」は,事実上の主張に関するものだから,法律上の主張である立法事実の存否とは,無関係である。
e.x.
《ここ〔経済的自由に妥当する「合憲性推定の原則」〕でいう「推定」は当然ながら立証責任の問題ではなく,裁判所がどこまで踏み込むべきかの判断に関わる》(宍戸常寿『憲法 解釈論の応用と展開』p.63)
【意味2】
立法事実の存否が不明な場合,立法事実の存在を推定するか・しないかにより,当事者の一方が不利益を負うことになる。その不利益のことを,「立証責任」という。
「立証責任」は事実上の主張に関するものだから,これは本来の使い方ではないけれども,便宜上,「立証責任」と呼ぶことがある。
e.x.
《立法事実についても,その存否に争いがあり,いずれとも決しがたい場合には,立証責任に基づいて判断がなされる》(長谷部恭男『憲法』[第3版],p.434)
《「法律の基礎となる立法事実の存在の推定の原則」という意味での合憲性推定の原則は,いわば合憲性に関する挙証責任の問題における司法消極主義の発現形態を表しているといえる》(藤井俊夫『司法権と憲法訴訟』p.186)
《合憲性が推定されない場合は,政府の側で立法事実が存在したことを裁判所の納得のゆくように主張立証しなければならない》(松井茂記「違憲審査基準論」『憲法の争点』p.282)
立法事実に弁論主義が妥当しない、と言う点が重要なわけで、
立法事実については、当事者が何をしようが、裁判所は全力で探知する必要があります。
したがって、当事者が全く立証しなかったときと、
頑張って立証したときを比べても、
裁判所は、(当事者の不足分は調べなくてはならなないので、)形成される心証に変わりはないはずです!
よって、立法事実の立証責任が原告にあるから
原告は立証しなければならない、
という議論の仕方は、明らかに誤りです。
ただ、裁判所が全力で調べても、なおノンリケット的心証だったときに
不利益を受ける地位のことを立証責任というなら(長谷部先生の用語法)、
意見の推定を立証責任が被告にある、
と表現してもいいと思います。
こんな感じですね。
繰り返すと、
大事なのは、
立法事実には、弁論主義が妥当しない、
と言う点が重要なのです。
こんにちは。
先生のnekoben様へのご回答に何らの異論もないのですが
「弁論主義が妥当しないような場合には本来的な意味での立証責任法理は妥当しない。」
「ただし、長谷部先生のような用語法に従う限りで違憲の推定のことを立証責任が被告にあると表現してもよい」
というニュアンスが感じ取れたのですが、僕の誤解でしょうか?それとも正しい理解でしょうか。