自分自身の場所をつくるために、最近はやたらと物語を読んでいます。
この前なんて、読む本がなくなってしまったので、
以前読んだ、江國香織『こうばしい日々』を読んでしまいました。
『こうばしい日々』所収の「綿菓子」を読んで、
感情移入する人物が「みのり」から「おねえちゃん」に移行していて、ショックを受けたり…もう年だなぁ。
そのような次第で、小川洋子『薬指の標本』所収「六角形の小部屋」を読みました。
もちろん、「薬指の標本」も読みましたけど、こちらはまだ、わたしにあまりにも、ぴったりととりついていて言語化できません。
どのくらい、ぴったりととりついているかというと、…同じように従属することの究極のエロチシズムを描いたといわれる『ホテル・アイリス』を1時間も迷った挙げ句、結局、購入できないほどです。
(…こういう感覚って共有可能なんでしょうか)
その中で、主人公の「わたし」が語る一つのエピソードとして、「偶然」と「運命」の話があるのです。
「わたし」は以前つきあっていた美知男のとの婚約披露パーティの準備段階でのことを話します。
料理本を買い込み、高価な食材を用意して、すべてが完璧な美しさをもって準備される。
…その最後の段階で、美知男は床にすべってパエリアを床にぶちまけてしまう。
新調したスーツは油で汚れ、床はパエリアで汚れてしまう。
それ以来、「わたし」は美知男を憎むようになるのです。
美知男に悪意があったわけでもない。ただ彼が行ったことは、ちょっとした失敗だった。偶然おこったちょっとした事故だった。それだけなのに。
なのに、そのシーンがぴったりと「わたし」から離れない。
「わたし」は美知男を憎むことしかできない。
このことを「わたし」は「運命」という言葉で語ろうとします。
この「偶然」は「運命」だったのだ、と。
たとえ、あのとき、彼がパエリアを落とさなくても、「わたし」は美知男を憎む「運命」にあったのだと。
この部分を読んで、とても静かな悲しみを覚えました。
人間は、どうしようもない心の動きの前では、ただ立ちつくすしかありません。
そんな経験を何度もしているからです。
合理的な理由をつけられるのは、とても、幸せなことです。
どうしようもなく生じてしまう感情。
説明できない、まったく社会的には認知させることのできない、小さな違和感。
そういう説明不可能な心の動き。
説明不可能なゆえに、まったく誰にもあかされずに、ひっそりと心の中にしまわれていく小さな違和感は、大人になればなるほど、たくさん増えていくようです。
最近ずっと…、そんな小さな過去の心のざわめきと話をしています。
ひとつひとつ、丁寧にすくいあげながら、そっともとの小箱の中に戻していく。
そんな作業です。
きっと、わたしは今、「六角形の小部屋」の中にいるのだな、と思いました。
誰もいないところで、ひっそりと行わなければならない作業。
それは人生のある特定のときに、やってきます。
今、わたしはまさにそれをやらなければならない次期にあると思うのです。
この前なんて、読む本がなくなってしまったので、
以前読んだ、江國香織『こうばしい日々』を読んでしまいました。
『こうばしい日々』所収の「綿菓子」を読んで、
感情移入する人物が「みのり」から「おねえちゃん」に移行していて、ショックを受けたり…もう年だなぁ。
そのような次第で、小川洋子『薬指の標本』所収「六角形の小部屋」を読みました。
もちろん、「薬指の標本」も読みましたけど、こちらはまだ、わたしにあまりにも、ぴったりととりついていて言語化できません。
どのくらい、ぴったりととりついているかというと、…同じように従属することの究極のエロチシズムを描いたといわれる『ホテル・アイリス』を1時間も迷った挙げ句、結局、購入できないほどです。
(…こういう感覚って共有可能なんでしょうか)
その中で、主人公の「わたし」が語る一つのエピソードとして、「偶然」と「運命」の話があるのです。
「わたし」は以前つきあっていた美知男のとの婚約披露パーティの準備段階でのことを話します。
料理本を買い込み、高価な食材を用意して、すべてが完璧な美しさをもって準備される。
…その最後の段階で、美知男は床にすべってパエリアを床にぶちまけてしまう。
新調したスーツは油で汚れ、床はパエリアで汚れてしまう。
それ以来、「わたし」は美知男を憎むようになるのです。
美知男に悪意があったわけでもない。ただ彼が行ったことは、ちょっとした失敗だった。偶然おこったちょっとした事故だった。それだけなのに。
なのに、そのシーンがぴったりと「わたし」から離れない。
「わたし」は美知男を憎むことしかできない。
このことを「わたし」は「運命」という言葉で語ろうとします。
この「偶然」は「運命」だったのだ、と。
たとえ、あのとき、彼がパエリアを落とさなくても、「わたし」は美知男を憎む「運命」にあったのだと。
この部分を読んで、とても静かな悲しみを覚えました。
人間は、どうしようもない心の動きの前では、ただ立ちつくすしかありません。
そんな経験を何度もしているからです。
合理的な理由をつけられるのは、とても、幸せなことです。
どうしようもなく生じてしまう感情。
説明できない、まったく社会的には認知させることのできない、小さな違和感。
そういう説明不可能な心の動き。
説明不可能なゆえに、まったく誰にもあかされずに、ひっそりと心の中にしまわれていく小さな違和感は、大人になればなるほど、たくさん増えていくようです。
最近ずっと…、そんな小さな過去の心のざわめきと話をしています。
ひとつひとつ、丁寧にすくいあげながら、そっともとの小箱の中に戻していく。
そんな作業です。
きっと、わたしは今、「六角形の小部屋」の中にいるのだな、と思いました。
誰もいないところで、ひっそりと行わなければならない作業。
それは人生のある特定のときに、やってきます。
今、わたしはまさにそれをやらなければならない次期にあると思うのです。