KIMISTEVA@DEEP

新たな「現実」を構成するサブカルチャー研究者kimistevaのブログ

「偶然」と「運命」:小川洋子「六角形の小部屋」

2006-06-08 17:24:03 | わたし自身のこと
自分自身の場所をつくるために、最近はやたらと物語を読んでいます。

この前なんて、読む本がなくなってしまったので、
以前読んだ、江國香織『こうばしい日々』を読んでしまいました。
『こうばしい日々』所収の「綿菓子」を読んで、
感情移入する人物が「みのり」から「おねえちゃん」に移行していて、ショックを受けたり…もう年だなぁ。

そのような次第で、小川洋子『薬指の標本』所収「六角形の小部屋」を読みました。

もちろん、「薬指の標本」も読みましたけど、こちらはまだ、わたしにあまりにも、ぴったりととりついていて言語化できません。
どのくらい、ぴったりととりついているかというと、…同じように従属することの究極のエロチシズムを描いたといわれる『ホテル・アイリス』を1時間も迷った挙げ句、結局、購入できないほどです。
(…こういう感覚って共有可能なんでしょうか)

その中で、主人公の「わたし」が語る一つのエピソードとして、「偶然」と「運命」の話があるのです。

「わたし」は以前つきあっていた美知男のとの婚約披露パーティの準備段階でのことを話します。
料理本を買い込み、高価な食材を用意して、すべてが完璧な美しさをもって準備される。
…その最後の段階で、美知男は床にすべってパエリアを床にぶちまけてしまう。
新調したスーツは油で汚れ、床はパエリアで汚れてしまう。

それ以来、「わたし」は美知男を憎むようになるのです。

美知男に悪意があったわけでもない。ただ彼が行ったことは、ちょっとした失敗だった。偶然おこったちょっとした事故だった。それだけなのに。
なのに、そのシーンがぴったりと「わたし」から離れない。
「わたし」は美知男を憎むことしかできない。

このことを「わたし」は「運命」という言葉で語ろうとします。
この「偶然」は「運命」だったのだ、と。
たとえ、あのとき、彼がパエリアを落とさなくても、「わたし」は美知男を憎む「運命」にあったのだと。

この部分を読んで、とても静かな悲しみを覚えました。
人間は、どうしようもない心の動きの前では、ただ立ちつくすしかありません。
そんな経験を何度もしているからです。

合理的な理由をつけられるのは、とても、幸せなことです。
どうしようもなく生じてしまう感情。
説明できない、まったく社会的には認知させることのできない、小さな違和感。
そういう説明不可能な心の動き。
説明不可能なゆえに、まったく誰にもあかされずに、ひっそりと心の中にしまわれていく小さな違和感は、大人になればなるほど、たくさん増えていくようです。

最近ずっと…、そんな小さな過去の心のざわめきと話をしています。
ひとつひとつ、丁寧にすくいあげながら、そっともとの小箱の中に戻していく。
そんな作業です。

きっと、わたしは今、「六角形の小部屋」の中にいるのだな、と思いました。
誰もいないところで、ひっそりと行わなければならない作業。
それは人生のある特定のときに、やってきます。
今、わたしはまさにそれをやらなければならない次期にあると思うのです。

果てしなき日常を生きる知恵:三木聡『亀は意外と早く泳ぐ』

2006-06-08 17:05:13 | エンターテイメント
タイトルはもちろん、宮台氏のパロディです。
宮台氏は社会システム論の方なので、わたしとは研究スタイルが異なるのですが、「フィールドワークやってます」…というと、「宮台?」と聞かれます。
どうやら巷の人のイメージだと、「青年期の少女のフィールドワーク=宮台」というイメージが成り立っているようですね。

それはともかく、
先日、三木聡『亀は意外と早く泳ぐ』のDVDを見て、思い出したのは、宮台氏の「果てしなき日常を生きる」という言葉でした。
この映画の舞台も、まんねりと、ひねもすのたりのたりかなと続く、果てしない日常です。

そんな日常の裏側。
日常の見方をちょっと変えるだけで見えてくるような、日常の裏側。
そんなものを見ることで、わたしたちの生きている世界はまったく違う様相を帯びてくる。
…そんな様子を、普段着の視線で伝えてくれるような映画でした。

監督の三木聡氏は、お笑い番組やバラエティ番組の構成作家なので、
最近、テレビのバラエティ番組が好きでないわたしは、ちょっと疑いをかけてDVDを借りてみたのだけれど、結果的には、それは偏見に過ぎなかったのかな、と思いました。

…というよりも、「映画」という制作技法によって、すごくいろいろなことが自由になったことで、監督が自由に羽ばたいている…というそんな印象でした。

わたしたちが日常を生きる世界なんて、面白みもない、無意味な世界に過ぎません。
だからこそ、その日常をきらめきをもって生きる知恵をわたしたちは開発してきたし、これからも開発していかなければいけないのだと思う。

これは、わたし自身の生活信条でもあります。
そういう意味で、すごくわたしの生活信条にあった作品だった。

てなわけで、最近のマイブーム・「手羽先ナチス」。

なにかを守ろうとするならばそれを傷つけようとするすべてのものとたたかわなければならない。

2006-06-06 14:54:35 | 研究
コメントもせず、トラックバックをすることもせず、
ひっそりと、ここでわたしなりに自分の位置を確保しておきたいと思います。

今朝、ここ数週間取り組んでいた、
水戸芸術館HSSW2006の学会発表予稿集の原稿の考察を書き終えました。
まぁ、書き終えた…と言ってもこれから見直しをしたりしなければいけませんから、まだまだ完成とは言い難いのですが。

その考察の部分に書いた一節が以下のものでした。

「「読者」から「作者」への移行には、このように他者へと自分自身を開き、他者と協働して物語を生成していくという側面と、他者と自分との間に境界を設定し、他ならぬ自分自身の領域を守るという側面という、相反する二つの側面が存在している。」

こんな静かな一文をアカデミックな場に提供する文章に書くことができるのですから、わたしは本当に幸せものだと思います。

それはともかく、
ここでわたしが書こうとしたこと。

受け手としてただ生きるのではなく、
他ならぬわたし自身の生をうけおって、わたし自身として生きていくためには、
「他者と自分との間に境界を設定し、自分自身の領域を守らなければならない」

…というのは、ここ数年の間にわたしの中で確立されてきた
ひとつの真実です。

そして、
他者と自分との間に境界を設定しようとする限り、
わたしとは異なる他者を境界の外へと押しやらなくてはなりません。
すなわち「排除」しなければならないのです。

そして、わたしの領域を傷つけようとする者と闘わなくてはなりません。
他ならぬわたし自身であるために。
わたし自身の領域を守るために。

そういう形でしか、わたしは「わたし」でいられない。
人間というのは、そういう悲しいイキモノなのだと思います。

記号学者ジュリア・クリステヴァによれば、
人間は、誰かに「いいえ」=NOということを繰り返すことによって、
「自己」という存在を確定していくのだそうです。
それは一生涯つづく、不断の自分つくりのプロセスなんじゃないかとわたしは思います。

他者と自己との境界が曖昧な中で、ずっといつづけたわたしにとって、
「自分の敵は自分だ」といえることは、とても幸せなことだと思えます。
だって、「敵」と想定するほどの、明確な自分というものがすでに存在しているのですから。
でも、少し疑問です。
そんなに揺るがない自分自身、他者と確実に分離することのできる自分自身なんて、本当にあるのでしょうか?

わたしは常に変化していて、常に誰かとともにこの時代を生きています。
それなのに、そんなさまざまな変化にも揺れずに、誰の前でも一定の存在である自分自身なんて本当にあるのですか?

もし本当にそれがあると思えるのなら、
その人は、きっと、自分が誰かに対して優しくあろうとする可能性を捨ててしまった人なんじゃないかと思うんです。

なにかの事情で。自分を閉じてしまった人なのではないかと。

わたしは、優しくあろうとする人が好きです。
それは、つらいことではあるけれど、変化しつづける自分に向き合えることも、一つの強さなのではないかと最近、思います。

しばらく

2006-06-03 11:37:39 | わたし自身のこと
しばらくの間、
元気のない自分を許してあげたいので
いろいろな人とあまり連絡をとらないことにした。

そっと触れてくれることばへの反応はするけれど
無理に自分を作るのはやめよう。

人との関係を絶つことでしか、自分を守れない。

それでもとりあえず、明日は母校に行こう。

至上最悪に夢のない遺産の使い方

2006-06-01 18:14:33 | わたし自身のこと
不謹慎な話で恐縮ですが、実は昨年の秋、母方の祖母が亡くなりました。

そんなわけで、母と叔父も遺産をもらったようで、
孫のわたしもその恩恵に預かることとなりました。

「遺産」…というおおげさに言うほど、ビッグなお金ではないのですが、
この学会貧乏な次期に10万円ものお金をいただけるのは
ありがたいことです。

父からも母からも、
そして、わたしの友人たちかも、

「何に使うのー?」(ワクワク)

…と期待いっぱいのまなざしで聞かれるのですが、
わたしの答えはただ一つです。

史上最悪に夢のない遺産の使い方。

ずばり。追納!

まぁ、追納でなかったら、学費か車検費用か。
いずれにせよ、夢のかけらもなかったことは間違いないのですが、
それを聞いたときの、
父や母のショックな様子があまりにも可笑しかった…というそんな話。

でも、わたしのことを深く深く理解してくれるあなたならわかってくれるはずです。
これがわたしにとって、すごくすごく大きな決意の表明であること。

だって、追納するってことは、
60歳まで生きていこう…っていう決意ですよ。
これからあと、何年だろう?遠い未来のような気がします。

でも、そこまで歩いていこう。
そんな決意をこめて、至上最悪に夢のない遺産の使い方を決行します。