KIMISTEVA@DEEP

新たな「現実」を構成するサブカルチャー研究者kimistevaのブログ

生きている、というただそれだけのこと

2007-07-17 17:21:39 | フィールド日誌
開催したらすぐに行こうと思っていたのになかなか行けなかった有馬かおるさんの個展(水戸のキワマリ荘にて開催中)に、ついについに行ってきた。


「行きたいなー行きたいなー」と言いつつ約1ヶ月くらいした頃、
「またあそびにきてね。」という有馬さんからの一言(おそらく)が何気なく書かれた、一通のDMハガキが届いた。


…なんて、すてきな人なんだろう。
有馬さんって。
(きっとこの感覚も、この喜びも、誰にもわかってもらえないだろう)


そんなこんなで、キワマリ荘への思いを強めていた。
台風が九州に上陸していることもおかまいまし。
雨の降る中、水戸まで車を走らせ(運転したのは御主人様だが)、
キワマリ荘へいってきた。


有馬さんは、水戸にきてはじめて、墨と筆で絵をかきはじめたという。
最近は、達磨が良いそうだ。
墨で描かれた達磨のドローイング(?)がたくさんある。
それらはすべて、おそらく、あの『夏への扉』の展覧会のあとに、水戸に来てからかかれたものなのだろう。
そういえば、ゴールデンウィークに行われたオープニング・イベントのときに、奥の部屋に筆と墨と硯が置いてあったっけ。
そんなことを思い出した。


わたしは有馬さんの絵も言葉も好きだ。
(「好き」という言葉はものすごく不完全だと思う。
「コーヒーが好き」「カレーライスが好き」という、その「好き」という同じ用語でしか、すべての「好き」を語れないなんて、あまりにも酷いし、惨めだ)
有馬さんのことは、すごく、カッコイイと思う。


それは、きっと、有馬さんが生きているからなのだと思う。
時間軸を過去から現在、そして現在から未来にかけて、
有馬さんがずっと生きているからなのだと思う。


「作品」という言葉は、わたしたちに固定化したもの、不動のもの、安定したものを連想させる。
「作品」は、生きていない。


「生きている」というただそれだけのことなのだけど、
それすら実感のない、わたしにとって、
「生きている」ということは、これ以上ない美しさである。


有馬さんは生きていて、
毎日絵を描いていて、
週末には、こうやって個展を開いて、
そして、わたしたちみたいな来場客にお茶を出しているのだろうと思う。


そういうことすべてが、わたしにとって美しい。


来年からは、有馬かおる邸はギャラリーでなくなってしまうらしい。
あの場所から歩いて1分程度のところにある場所がギャラリーになるらしい。

…もうあの場所にいけないのかな、と思うと、なんとも悲しい。


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