謎言語のタイトルでごめんなさい。
オタク関係なので、わからないかたは読まないでおいてください。
ついに話題の『となりの801ちゃん』を読んだ。
この本はいろいろな意味で面白かった。
文化研究をかじったりしていると、
(広い意味での)文学やアートの意味は新しい意味を作り出すこと、新しい価値観を作り出すことだと思えてくるのだが、
この本にはかたちでそれがあると思う。
とても、ささやかなかたちで。
もしこのマンガの作者が「チベットさん」ご自身であるならば、
「チベットさん」は、自分の思ったこと・感じたことを、その質感…というか肌理というか…そういうものを壊さないままにことば(ここではマンガ)にできる人なんだろうと思う。
それは、誰でもできるようでいて、実は難しいことだ。
言葉にこだわってきた人、
書く人にこだわってきた人なら誰でも、
ことばにするその瞬間に自分が感じたその質感が壊されてしまう、
そんな瞬間をたくさん経験してきていると思う。
春のひざしを感じたときのやわらかな質感は、
言葉にした瞬間に硬質化して、誰にもそのやわらかさが伝わらなくなってしまう。
そんな経験。
「オタク」をめぐるさまざまな言葉は、
そういう不幸な経験を何度も何度も繰り返してきたけれど、
この本はそれを乗り越えている。
そんな感じがする。
それは、ただ「801ちゃんの彼氏の視点で書く」という設定だけによるものではないと思う。
801ちゃんと一緒にいる日常の中で流れるやわらかな瞬間が、
そのまま、その質感を失わずにことばになっていることが大切なのだと思う。
その瞬間の選び方も、
ことばの選び方も
本当に愛おしい。
個人的には、
「彼氏って、付き合う前は攻めだけと、付き合いだすと受けになるよねー」
…という発言が、すごく本質をついてると思う。
パートナーと幸せな年月を重ねてきたひとりのヤオイストとしてこの発言を見ていると、なんだか本当にやわらかくて、幸せな気持ちになる。
いらぬ解説をしてしまうと、
わたし含め、たいていの腐女子たちは自分の愛するキャラクターを「受け」にすることが多いのだ。
だから、好きになればなるほど、その人物は「受け」になる。
「付き合う前は「攻め」だけと、付き合いだすと「受け」」というのは、そのあたりの関係の変容をうまく捉えてるなぁと思う。
一人の「女の子」としてある男性のことを「いいなぁ」と思ってる段階だとその人のことは「攻め」のように関じる(自分は女性側だからね)けど、お互いに好きだということがわかって付き合いだしていくと、自分の方で相手をすごく愛おしいと思うようになる。そうなると、「受け」に見えてくるんだよね。だって関係がふかまればふかまるほど、「男」「女」という枠組みはなくなっていくもの。そうすると残るのは、相手を愛おしいと思うその気持ちだけじゃない?
そんなわけで、
801ちゃんと付き合う男性は、みな(801ちゃんにとっては)「受け」なのだ。
そういう幸せな関係が見えてきてしまう。
とはいえ、振り返ってみると、
わたしのパートナーは、付き合う前から「受け」に見えていたような…
オタク関係なので、わからないかたは読まないでおいてください。
ついに話題の『となりの801ちゃん』を読んだ。
この本はいろいろな意味で面白かった。
文化研究をかじったりしていると、
(広い意味での)文学やアートの意味は新しい意味を作り出すこと、新しい価値観を作り出すことだと思えてくるのだが、
この本にはかたちでそれがあると思う。
とても、ささやかなかたちで。
もしこのマンガの作者が「チベットさん」ご自身であるならば、
「チベットさん」は、自分の思ったこと・感じたことを、その質感…というか肌理というか…そういうものを壊さないままにことば(ここではマンガ)にできる人なんだろうと思う。
それは、誰でもできるようでいて、実は難しいことだ。
言葉にこだわってきた人、
書く人にこだわってきた人なら誰でも、
ことばにするその瞬間に自分が感じたその質感が壊されてしまう、
そんな瞬間をたくさん経験してきていると思う。
春のひざしを感じたときのやわらかな質感は、
言葉にした瞬間に硬質化して、誰にもそのやわらかさが伝わらなくなってしまう。
そんな経験。
「オタク」をめぐるさまざまな言葉は、
そういう不幸な経験を何度も何度も繰り返してきたけれど、
この本はそれを乗り越えている。
そんな感じがする。
それは、ただ「801ちゃんの彼氏の視点で書く」という設定だけによるものではないと思う。
801ちゃんと一緒にいる日常の中で流れるやわらかな瞬間が、
そのまま、その質感を失わずにことばになっていることが大切なのだと思う。
その瞬間の選び方も、
ことばの選び方も
本当に愛おしい。
個人的には、
「彼氏って、付き合う前は攻めだけと、付き合いだすと受けになるよねー」
…という発言が、すごく本質をついてると思う。
パートナーと幸せな年月を重ねてきたひとりのヤオイストとしてこの発言を見ていると、なんだか本当にやわらかくて、幸せな気持ちになる。
いらぬ解説をしてしまうと、
わたし含め、たいていの腐女子たちは自分の愛するキャラクターを「受け」にすることが多いのだ。
だから、好きになればなるほど、その人物は「受け」になる。
「付き合う前は「攻め」だけと、付き合いだすと「受け」」というのは、そのあたりの関係の変容をうまく捉えてるなぁと思う。
一人の「女の子」としてある男性のことを「いいなぁ」と思ってる段階だとその人のことは「攻め」のように関じる(自分は女性側だからね)けど、お互いに好きだということがわかって付き合いだしていくと、自分の方で相手をすごく愛おしいと思うようになる。そうなると、「受け」に見えてくるんだよね。だって関係がふかまればふかまるほど、「男」「女」という枠組みはなくなっていくもの。そうすると残るのは、相手を愛おしいと思うその気持ちだけじゃない?
そんなわけで、
801ちゃんと付き合う男性は、みな(801ちゃんにとっては)「受け」なのだ。
そういう幸せな関係が見えてきてしまう。
とはいえ、振り返ってみると、
わたしのパートナーは、付き合う前から「受け」に見えていたような…
話題の801ちゃん、わたしも先日、本屋で立ち読みしました。
>「オタク」をめぐるさまざまな言葉は、
そういう不幸な経験を何度も何度も繰り返してきたけれど、
この本はそれを乗り越えている。
そんな感じがする。
そんな感じがしました。
下手すぎず上手すぎず(萌えも意識している)絵柄が、チベットさんの表現として、絶妙にリアルで好感が持てます。(これが逆に上手すぎたらやらせじゃねーのか!と思ってしまいそうです。)
「彼氏は付き合うとうけになる」については、わたしは「釣った魚にえさをやらない」現象のことかと思っていました。kimistevaさんの解釈のほうが、愛がありますね(笑)
なかさんから返信をもらってから、「あ。明後日、本を貸す約束をしてた!」と思い出しました。
ふぅ…あぶない、あぶない!
>絵柄
うん。
立ち読みのときは「こんなんに金はらえるか!」とか思っていたのですが、いざ、買ってみると、あの絵柄だからこそ、ほのぼのとしていて愛があるのかなぁと思いました。
>「釣った魚にえさをやらない」
それって「受け」っていうの???
わたしの中で「受け」は愛して愛して愛してやまない対象ですっ!
…とはいえ、中学くらいまでは自分の好きなキャラは「攻め」にしてたんですよね…年をとるってこういうことか…(泣)