KIMISTEVA@DEEP

新たな「現実」を構成するサブカルチャー研究者kimistevaのブログ

プロフェッショナル考

2008-04-16 12:00:40 | お仕事
最近、「プロフェッショナルとは何か」について、よく考える。

それはもちろん、
つい先月、不意に「博士」になってしまったり、
専門学校で果たす自分の役割の大きさに(非常勤なのに!)気づかされたり、
そんなことが大きい。

人間を相手にする商売で「プロフェッショナルとは何か」を考えるのは、ものすごく難しいことだ。
特に、教育なんて目的すらいまいち、ハッキリしない。
いや、介護も看護も、みんな同じようなものなのかもしれない。

すべての人が共有できるような「目的」がないのであれば、
徹底的に具体的な場の中でゆらぎながら、そのゆらぎの中でのプロフェッショナル性を考えるしかなかろう。
だとしたら、それはまさに現場の中で「ゆらぐことのできる力」であり、「ゆらがない力」なのだと言ったのは、尾崎新である(『現場の力-社会福祉実践における現場とは何か』)

妹が介護現場での仕事に携わっているせいかもしれないが、
わたしは「プロフェッショナル」の問題を考えるとき、常に、介護の現場におけるプロフェッショナルを考えてしまう。
保育・教育は、子どもが育っていく。なんだかんだで「より良い」方向に向かっていってくれるから、保育や教育の専門家はやりがいを見つけやすい。
だけど、介護や看護はそうはいかない。
しかも、介護は今のところ、知識や技術の優越性で自分のプロフェッショナル性を自覚することすらできない。
だとしたら、介護のプロフェッショナルとはなんだろう?

その答えこそ、もっとも純粋なかたちで、「プロフェッショナルとは何か」というわたしの問いに答えてくれるように思うのだ。


わたしには「ゆらがない力」が足りない。
「ゆらぐことのできる力」だけにプロフェッショナル性を見出してきた結果なのかもしれないが、最近、それだけではダメだということにうすうす気がついてきている。

「ゆらがない」こととはなんだろう。
「かたまること」と「ゆらがないこと」はどこが違うんだろう?
きっと、わたしはこれからも、現場の中でその問題を考え続ける。