KIMISTEVA@DEEP

新たな「現実」を構成するサブカルチャー研究者kimistevaのブログ

裏の世界の人:川上弘美『ゆっくりさよならをとなえる』

2008-01-10 16:42:16 | 
ああ。この人は裏の世界の人だ、と思うことがある。

「裏の世界の人」は、自分とかけはなれた「遠い世界の人」とは違う。
自分とまったく正反対の人、でもない。

「裏の世界の人」はその名のとおり、いま・ここにある「表の世界」に生きるわたしの「裏」の世界にいる人である。
正確に言うと、「裏」の世界にいるわたし。
わたしが過去のある時点で違う選択をしていたらこうあったであろうわたし、とでも言うべきだろうか。
そんな、いま・ここにいるわたしでない「わたし」。
それが「裏の世界の人」である。


「何者かになる」ということは、ありえた数多の可能性の「わたし」を捨てることである、と言った哲学者がいる。
何かを選ぶことは、それ以外のすべての選択肢を捨てること。
わたしは、いくつもの「こうであったかもしれないわたし」を捨ててきた。
自分の意志で捨てた場合もあれば、外側からの条件によって捨てざるを得なかった場合もある。
ともかく、そういうふうにいくつもの「こうであったかもしれないわたし」を捨てた結果としていまのわたしがある。

こうしてできた、いまのわたしを後悔しているわけではないけれど、
それでも、「こうであったかもしれないわたし」を見つけると、つい興味を持ってしまう。
好きになったりもする。
悪いときには、コンプレックスのようなものを感じて、本人にはなんの因果もないのに、なぜか嫌いになる。
これは、よろしくない。


芥川賞作家と自分を並べるのもなんだかずうずうしい気がするが、
川上弘美さんのエッセイを読んでいると、「ああ、この人は裏の世界の人だなぁ」と思ってしまう。
いまの「表」のわたしは、とにかくせかせかとしていて、たくさんある暇な時間にはとてもたえられないけれど、過去のあのとき、あの時点で別のわたしを選んでいたら、きっと「時間がたくさんあるならゆっくり過ごせばいいのになぁ」なーんて、こたつでミカン食べながらまったりと思っている自分になっていたはずなのだ。


今の自分もそれなりに悪くはないと思うけど、
でも、そういうわたしもいいなぁなんて思う。
なによりも「裏の世界の人」がまったりと元気に過ごしている様子を見ると、なんだかうれしくなるのだ。