以前の記事にも書いたが、
1年以上先の小学校教諭認定試験に向けて、小学校全科の勉強をしている。
本日は「国語」。
自分自身の中にある矛盾と、
純粋なる研究的好奇心に沿いきれないかもしれないという恐怖と。
…そんないろいろなものを抱えて大学院に入学して五年。
国語教育学を研究する自分を少しずつ認められるようにはなったけれど
それでもやっぱり国語科は好きになれない。
小学校学習指導要領の文言を見直してみて、あらためてそう思った。
このブログを読んでいる人の中には学習指導要領なんて見たことない人も多いだろう。
日本の学校教育は学習指導要領に基づいて行われる。
現在使われている学習指導要領は、平成10年に改訂されたもので「平成10年版学習指導要領」と呼ばれている。
ここは重要な点なのでしつこいようだが確認しておきたい。
この学習指導要領は、けして、戦前から連綿と続いているものではない。
平成10年に改定された「新しい」学習指導要領なのだ。
その学習指導要領の「国語科」の「指導計画の作成と各学年にわたる内容の取り扱い」に以下のような教材選定の観点が示されている。
「我が国の文化と伝統に対する理解と愛情を育てるのに役立つこと」
「日本人の自覚をもって国を愛し、国家、社会の発展を願う態度を育てるのに役立つこと」
もう一度言おう。
この学習指導要領は平成10年に改訂された「新しい」学習指導要領に掲載されている文言である。
戦時下の学習指導要領(戦時下にはそんなものはなかったのだが)ではない。
日本の文化を愛することを悪いと言っているのではない。
わたしが恐怖を感じるのは、「愛する心を育てること」が「教材選定の観点」として示されているという事実だ。
わたしはバリバリのフェミニストだが、
そんなわたしだって、
「男女平等の精神を理解し、フェミニズムの理念を尊重する態度を育てること」
…なーんて文言が「教材選定の観点」として示されることには反対である。
そんなのオカシイと思う。
男女平等の精神を理解することは大切だ。
(差別問題にかかわったことのある人ならよくわかるだろうが)無知であることはやっぱり罪だから。
だけど、そのことと「尊重する」「愛する」という問題は別問題だ。
それは個人の思想の問題であって、
そういうことを、国民の義務である義務教育の内容にしてしまうのは、国家によるイデオロギー統制ではないか。
しかも、そーんなイデオロギー統制バリバリな文言を掲載しているくせに、
しれっと…
「児童の読む図書については、人間形成のため幅広く、偏りがないように配慮して選定すること」
…なーんて書いてしまう、この鈍感力。
そんな矢先、たまたま寄った本屋で、読書感想文の「課題図書」コーナーを見つけて、あらためて苦笑してしまう。
偏りがあるのは、お前ら自身だろうがっっ!!
マンガもアニメも見ない人間に「偏り」どうこう言われたくありません。
そういう輩に限って、見もしないくせに
「マンガはお菓子です。お菓子だけでは人間は生きていけません。良い本を読みましょう」なんて言いやがるんだよな。
「良い本」ってなぁに?
それこそ、偏ったイデオロギーを流布するための装置でしょ?
…あーあ。
こんなに怒ってたせいで、この文言、絶対忘れられないよ。
そんなわけで、なんだかんだ言いつつ、勉強は進んでいます。
1年以上先の小学校教諭認定試験に向けて、小学校全科の勉強をしている。
本日は「国語」。
自分自身の中にある矛盾と、
純粋なる研究的好奇心に沿いきれないかもしれないという恐怖と。
…そんないろいろなものを抱えて大学院に入学して五年。
国語教育学を研究する自分を少しずつ認められるようにはなったけれど
それでもやっぱり国語科は好きになれない。
小学校学習指導要領の文言を見直してみて、あらためてそう思った。
このブログを読んでいる人の中には学習指導要領なんて見たことない人も多いだろう。
日本の学校教育は学習指導要領に基づいて行われる。
現在使われている学習指導要領は、平成10年に改訂されたもので「平成10年版学習指導要領」と呼ばれている。
ここは重要な点なのでしつこいようだが確認しておきたい。
この学習指導要領は、けして、戦前から連綿と続いているものではない。
平成10年に改定された「新しい」学習指導要領なのだ。
その学習指導要領の「国語科」の「指導計画の作成と各学年にわたる内容の取り扱い」に以下のような教材選定の観点が示されている。
「我が国の文化と伝統に対する理解と愛情を育てるのに役立つこと」
「日本人の自覚をもって国を愛し、国家、社会の発展を願う態度を育てるのに役立つこと」
もう一度言おう。
この学習指導要領は平成10年に改訂された「新しい」学習指導要領に掲載されている文言である。
戦時下の学習指導要領(戦時下にはそんなものはなかったのだが)ではない。
日本の文化を愛することを悪いと言っているのではない。
わたしが恐怖を感じるのは、「愛する心を育てること」が「教材選定の観点」として示されているという事実だ。
わたしはバリバリのフェミニストだが、
そんなわたしだって、
「男女平等の精神を理解し、フェミニズムの理念を尊重する態度を育てること」
…なーんて文言が「教材選定の観点」として示されることには反対である。
そんなのオカシイと思う。
男女平等の精神を理解することは大切だ。
(差別問題にかかわったことのある人ならよくわかるだろうが)無知であることはやっぱり罪だから。
だけど、そのことと「尊重する」「愛する」という問題は別問題だ。
それは個人の思想の問題であって、
そういうことを、国民の義務である義務教育の内容にしてしまうのは、国家によるイデオロギー統制ではないか。
しかも、そーんなイデオロギー統制バリバリな文言を掲載しているくせに、
しれっと…
「児童の読む図書については、人間形成のため幅広く、偏りがないように配慮して選定すること」
…なーんて書いてしまう、この鈍感力。
そんな矢先、たまたま寄った本屋で、読書感想文の「課題図書」コーナーを見つけて、あらためて苦笑してしまう。
偏りがあるのは、お前ら自身だろうがっっ!!
マンガもアニメも見ない人間に「偏り」どうこう言われたくありません。
そういう輩に限って、見もしないくせに
「マンガはお菓子です。お菓子だけでは人間は生きていけません。良い本を読みましょう」なんて言いやがるんだよな。
「良い本」ってなぁに?
それこそ、偏ったイデオロギーを流布するための装置でしょ?
…あーあ。
こんなに怒ってたせいで、この文言、絶対忘れられないよ。
そんなわけで、なんだかんだ言いつつ、勉強は進んでいます。