KIMISTEVA@DEEP

新たな「現実」を構成するサブカルチャー研究者kimistevaのブログ

☆★統計マジック★☆

2007-07-12 17:53:49 | 
ここのところ「新書」と呼ばれるものはほとんど読んでなかったのだが、たまたま図書カードの残金が1000円くらいだったので、新書を買ってみた。

それが谷岡一郎『「社会調査」のウソ』だった。
この本が本当に面白くて、つい続編にあたる谷岡一郎『データは嘘をつく』も買ってしまった。
こういう買い方をすることは、本当に久しぶりで、
それだけでも、久々にすがすがしい気持ちになった。


それはともかく、
この二つの新書のどちらにも共通して書いてある文章のひとつに、
わたしは、ひどく感銘を受けた。

それは…、
統計というのはとっても危険な道具であって、
社会調査のなんたるかも調査倫理もわかってない輩が、パソコン上でカンタンに、統計使ってデータ分析しちゃうことは、
子どもにマシンガンを持たせることと同じくらい危険だ!
…ということ。

これは本当にそのとおりだと思う。

「ペンは剣よりも強し」というけれど、
まさに「統計調査はマシンガンより強し」。
社会調査で導き出された偏見のせいで苦労している人、苦しんでいる人、傷ついている人は本当に多いと思う。

わたしが統計を捨てた理由、質的調査に魅力を感じた理由は、
「わたしには強大な武器を持つほどの力はない」
という否定的なものだった。
今では、より積極的な理由で、質的な方法論による調査をしているけれど、当時は正直言って怖かった。だから逃げ出したかった。それだけだった。

データさえあれば(このデータというのもいまや、大規模な社会調査や世論調査であればインターネット上で拾ってこれてしまう)、あとはデータのファイルを読み込ませて、キーを三つも叩けば、恐ろしいほどキレイで強大な分析結果が出てしまう。
「年齢が上がれば上がるほど、自民党支持者が多くなる」ことも、
「都市社会より地方のほうが保守政党支持者が多い」ことも、
わたしは、大学1年生の時点で、自分で導き出すことができた。


ネット上でデータを拾って、キーを三つ押す。
そんな、子どもでもできそうな簡単な操作だけで、日本社会をわかりきったような気にさせてくれる。
…そんな統計ソフトが恐ろしく怖くて怖くて、
こんなものもう一生触るものか!…と思った。

実際、それからもう8年以上も触っていないことになる。
代わりに、わたしの手元にあるのは、ノートとペン、ICレコーダーだけだ。
そんな誰でも電気屋に行けば買えるものだけでわたしは十分だ。


そういえば、
心理統計を専門とするある先生のしたで卒論を書いていた友人が、「統計マジック」という言葉を使っていたのを思い出す。
「どんなデータでも最後は「統計マジック」でなんとかなるから」
…なーんて言っていたのではなかったっけ?
実際、彼女は「統計マジック」を使わずとも、まっとうな結果を出せていたようなので安心したけど、「統計はマジックである」というその認識に苦笑いせざるを得なかった。


先日、看護学校で「考えているものあて」ゲームをしたときに、わたしが出題者に「それはどんな用途で使うものですか?」と質問したら、自衛隊員だった彼は「守るためのもの」と答えた。
正解は「戦車」。
出題されたわたしたちは、結局、正解を当てることはできなかった。
わたしたちにとって、「戦車」は武器だった。「人を殺すためのもの」「人を傷つけるもの」。


「人を傷つけるもの」は「人を守るためのもの」でもある。
この二つは紙一重だ。
だからきっと、大規模調査も統計も、「人を守るためのもの」になりうる。
だけど、それだけ大きな力で人々を守ってくれた統計調査を、
わたしはまだ知らない。