KIMISTEVA@DEEP

新たな「現実」を構成するサブカルチャー研究者kimistevaのブログ

少女たちの「桜井亜美」

2007-01-22 16:51:29 | お仕事
わたしはよく論文で「少女」という言葉を使って、担当教官にお叱りを受けます。
…というのも、わたしは平気で20代後半の女性に向かって「少女」という言葉を使うから。
「20代後半は、「少女」じゃないだろ!」…というのが担当教官の言い分。
でも、わたしは違うと思う。
本田和子が言っているように「少女性」なるものが存在していて、
何歳になろうが、現実の姿がどうであろうが、その「少女性」を問題にする限り、やはり「少女」と書くべきだと思う。
…と言いつつ、結局、担当教官とわたしとの折衝を重ねた挙句に、「青年期の女性」という無難な言い方に落ち着いてしまうのですが。

そんなわけで、今回も、わたしと同世代の女性について、堂々と「少女」と呼ばせていただきます。

前置きが長くなりました。
今日の専門学校での授業の話です。

私の授業では、看護学校でもこちらの保育系専門学校でも、「朗読プレゼンテーション」というのをやっています。
やることは簡単。一人8分くらいの持ち時間で、自分の好きな本やCD、映画や自分の好きな人たちや生活や…ともかくなんでも良いから、自分が「好きだ」といえるものを、クラス全員の前で話すのです。
看護学校では、対象を本に限定して、朗読をすることを義務づけていたのですが、現在通っている専門学校では、その限定もなくして、とにかく好きなことを話してもらうことにしています。

その「朗読プレゼンテーション」で、前回も今回もとりあげられた作家がいます。
それが、桜井亜美でした。
桜井亜美は広く知られていると思います。
もちろん、桜井亜美との出会い方はさまざまでしょう。さまざまな形で彼女に触れるかたがいることは想像に難くありません。

ちなみに、わたしはもっとも不幸な出会い方をしてしまった人間の一人です。
わたしは、初めに、宮台真司を知って、それから「宮台に見出された作家」として桜井亜美を知ってしまいました。
桜井亜美を知る頃には、すでに、わたしの宮台真司に対する評価は急下降中まっただ中でしたので、もう彼女のイメージといったら「宮台真司の紫の上みたいなもんだろ!」というイメージしかなかった。(これは、かなり事実誤認です。)
そうなると、もう、作品を読んでも、「はいはい。援交少女ね。」という感想しかもてない。
もうすでに解釈の枠組みがかなり狭められてしまって、作品の中に入っていけないわけです。
…これは、今、考えてもものすごく不幸だったと思ってます。


その桜井亜美について、先週、そして今週と、合計二人の学生がプレゼンテーションをしてくれました。
とりあげられた作品は、一人が『イノセント・ワールド』と『girl』。もう一人が『虹の女神』です。

ちなみに『イノセント・ワールド』と『girl』を紹介してくれた少女は、高校時代から不登校でリスト・カットを繰り返してました。現在はゴス・パンクにはまっています。欠席がやたらと多いので、ちょっとそれが問題な学生です。

『虹の女神』をとりあげた子は、どちらかというとまじめにやってくれる人なのですが、自分自身を規律でしばってしまうところがある学生です。彼女はどちらかといえば優等生。欠席も今のところ一回だけ、という感じです。


こんなちょっと見ると対称的な二人が同じ作家をとりあげて、
しかも、いつもワーワーと騒がしいはずのクラス全体が静まりかえるくらい、とつとつと、ときには瞳をうるませながら…(これがレトリックでもなんでもなく、本当のことであるところがスゴイ)自分の作品に対する思いを語るのを見ていて、
わたしはあらためて、桜井亜美との幸せな再会を果たせたような気がしました。

自分のことばで語ることは、本当に、難しい。
そして、それを支援する場を維持することは、もっともっと、難しい。

そのことを、わたしは、土曜日に実感したばかりでした。
かなり自分の描く世界に対して絶望して、そんな世界、もう無理だと思った。
消えてしまうしかないと思った。

なので、彼女たちが、真剣に桜井亜美について、どうにか自分のことばで語ろうとする姿を見て、わたしは心から救われました。
少なくとも、わたしが出会うことのできるほんの少しの人だけれども、
それでも、そういう人たちが、自分のことばで生きていこうとしてる。
そのことがすごくうれしかったし、
ほんのわずかとはいえ、わたしはそういう世界が作れるのだ、と思いました。

「がんばっていこう」なんてうすっぺらな元気はいらない。
だけど、自分にできることを少しずつやろう、と思いました。

『イノセント・ワールド』『girl』を紹介してくれた少女は、『イノセント・ワールド』についてこう言いました。

「…この本は、なんていうか、キレイゴトばかり書いてなかったんで、
良いなって思って読んで、そんで、この人の本、集めて読んでます。

ホント、キレイゴトばっかじゃないんで、そういう苦しかったことあった人とか、
昔、ヤンチャやってた人とかはおもしろいと思うんで、ぜひ読んでみてください。」

人間はいろいろな世界をわたりあるいて生きてる。
そのいろいろな世界を引き受ける「わたし」。
そんな「わたし」をつなぎとめるような言葉をつむぎだす瞬間を、ずっとずっと支えていきたいな。