KIMISTEVA@DEEP

新たな「現実」を構成するサブカルチャー研究者kimistevaのブログ

「あの月に宇宙人がいるなんて信じられないな」

2006-06-13 16:57:55 | エンターテイメント
ついに。…ついに見てしまいました。

『宇宙大戦争』(1959年、日本)

「鉄橋が浮き上がったり、大型船が山に激突したり、海が凍りつくなどの怪現象が地球各地で頻発した。すべては宇宙人ナタールが地球侵略のために放った"冷却線"によるものだった。科学者グループは世界各国の協力を得て、"熱線砲"を開発。ナタールの前線基地を叩くため、宇宙ロケットで月へ向かうが…。

宇宙空間を舞台に、人類と宇宙人との攻防戦を描いた本格SF。「ゴジラシリーズ」の黄金トリオ、監督・本多猪四郎&特技監督・円谷英二&音楽・伊福部昭による迫力満点の宇宙冒険ロマンである。宇宙ステーションやナタール星人の円盤、宇宙ロケットなど、精巧なデザインとミニチュアワークスは見逃せない。 」
(以上、DVDirect HPより http://direct.nagase.co.jp/dvds/ItemTDV-2970D.html)

どういう立場から感想を言ってよいものかどうか、迷います。
とりあえず、サブカル研究者としては、すごくおもしろかった。

1959年という公開時期を考えると、なんだかすごく感慨深い。
さらに言うと、特技監督の円谷英二氏が沖縄出身だった…なんて裏情報を一昨年のCultural Typhoonで耳にしていたりしたので、本当にいろいろと考えさせられました。

わたしたちを取り巻く世界は、こんなサブカルの集合で作られている。
時代的な状況を反映するのも、新たな世界を提示するのも、こういうサブカル的な世界なんだろうな…とあらためて実感しました。

それほど、とにかく、「戦争」=第二次世界大戦イメージの濃い映画でした。

現代の映画の中で「戦争」という言葉がつかわる場合、単純に「WAR」という意味合いが強い。
なんとなく、争いがあって、派手な闘いシーンがあれば、それは「戦争」という名前で括られます。『妖怪大戦争』なんかはまさにそんな感じですよね。

だけど、「宇宙大戦争」は違う。
戦闘ロケットには、きちんと律儀に日の丸がかげられている。
「人類を守るための闘い」…とかセリフでは言ってるくせに、ちゃっかりナショナリズムを組み込んでる。
世界会議は公用語としての日本語で行われる。場所も当然、東京・日本。
宇宙船の乗り組み員も半数が日本人だし。

どう見ても、残されるイメージは、日本、対、宇宙の「宇宙大戦争」。
すごい!
当時の人々はこれを、なんの疑いもなく見ることができていたんだろうか?…と考えると、当時の人々との思考のギャップに唖然としてしまう。

でも、翻って、じゃあ、今のわたしはどうなんだ?…と考えてしまう。
公用語=英語の世界会議に、わたしは違和感を感じるだろうか。
乗り組み員のほとんどが米国人だったら?
『ディープ・インパクト』なんて、アメリカ、対、宇宙を明確に打ち出してる。
…そんな映画にわたしは違和感をそれほどまでに感じていただろうか?

「宇宙大戦争」ほど、嘲笑しながら、わたしは『ディープ・インパクト』を観ていたのだろうか?

そう考えると、わたしが今持っている、「あたりまえ」がまったく当たり前でないことに気付かされる。
「欧米化」「アメリカ化」やら「マクドナルド化」やらと呼ばれている、その思考形態は、まさにわたしの思考形態であったのだ。

…とはいえ、言い訳をしておくと、
やっぱり、わたしにとって『ディープ・インパクト』は、やっぱりお笑い映画でしかなかった。
当然、『宇宙大戦争』ほどではないにしてもね。