サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

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生きておらな/原田モツさん(アスベスト原告)/80歳

2011年08月26日 | 毎日がメメント・モリ

泉南石綿訴訟 判決の朝、80歳女性力尽きる 「裁判勝つまで生きておらな」


産経新聞 8月26日(金)7時57分配信

 

 早期解決を訴えた女性は判決を目前にこの世を去った。原告の一人、原田モツさん=大阪府岸和田市=が25日早朝、死去した。80歳だった。弁護団によると、死因は石綿肺に起因する心不全だった。この日午後、大阪高裁が言い渡した判決は、原告側の逆転敗訴。法廷に駆けつけた原田さんの長女は「母にどう報告したらいいのか」と泣いた。

 午後2時、定年のため退官した三浦潤裁判長に代わり、田中澄夫裁判長が判決主文を読み上げる。

 全面敗訴。傍聴席は水を打ったように沈黙した。裁判長が席を立つと、原告らは「不当判決だ」と声を上げ、廷内は一時騒然とした。

 弁護団によると、原田さんは昭和45年から岸和田市の石綿工場に勤務。59年ごろからせきやたんが激しくなり、石綿肺と続発性気管支炎だと診断された。

 平成19年に泉南アスベスト訴訟に参加。昨年5月の1審大阪地裁判決では請求が認められ、涙を流して喜んでいたという。しかし、間もなく病状が悪化し、入院生活を余儀なくされた。

 「今は死なれへん。この裁判が勝つまで生きておらな」。長女の武村絹代さん(54)にこう訴えていたという原田さん。今年4月には、三浦裁判長に手紙を出し、震えるような字でこう記した。

 「とにかくいきがくるしいです。こんな体になるとは思いもしませんでした。私がいきている間にかいけつして下さい。其(そ)の日をまっています」

 しかし、原田さんの願いはかなわなかった。

 判決後、弁護団などと会見に臨んだ武村さんは「こんな判決なら、生きていても言えなかった。『お母ちゃん、闘うよ』と伝えたい」と上告審を見据え、涙を流した。

つらい話である。
アスベスト騒ぎがおこったのはまだそう古い話ではない。
僕は当時、このアスベストの計測装置の開発プロジェクトにかかわったことがある。
その時、秘密だがと言われつつ、こっそり昔の論文とかをいろいろ見せてもらった。
アスベストの問題発生は、もうずっと前から指摘されていた。
しかしあまりにも国や企業の補償が、天文学的数字になるため、ある段階で関係企業と秘密調整をしたのち、対応の具体論を根回しした上で、「パニックにならないように」用意周到に発表されたのだ。
もうひとつは、以前は車のブレーキにアスベストが使われていたため、自動車産業保護のために発表を遅らせた気配がある。
もちろん、すでに自動車が代替素材に置き換えられていた。
しかしその間にも、原因も分からず、多くの人間の体が蝕まれていたのだ。
アスベクト被害は、原発被害と似ているところもある。
因果関係が証明しにくく、何十年も経ってから、死に至る病気が発生するからである。
その病名も、とても特定は難しく、被害者とその家族は何年にも渡って、認定させるための努力を強いられるからだ。
この80歳女性も、さぞかし無念であったろう・・・合掌!

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