
広島、長崎への原爆投下がもたらした悲劇を見つめ、核兵器の脅威を訴えるドキュメンタリー。14人の被爆者と、原爆投下に関与した4人のアメリカ人の証言に貴重な記録映像や資料を交え、ヒロシマ・ナガサキの真実を描く。25年の歳月をかけて本作を完成させたのは、日系3世のアカデミー賞受賞監督スティーヴン・オカザキ。原爆によってその後の人生を変えられてしまった被爆者たちの姿に、戦争のない平和な日々を願わずにはいられない。[もっと詳しく]
なんとかして生き延びた普通の人々の証言。
本来、この作品は、原爆がヒロシマ・ナガサキに落とされて(つまり日本敗戦の)50周年を記念して制作が意図されたものである。アメリカではスミソニアン財団などの援助が、日本でもテレビ局のタイアップが決定していた。
しかし、いまでも、よく覚えているが、アメリカでスミソニアン協会の「原爆展」は、多くの人が期待したにもかかわらず、さまざまな圧力の中で、ついには、ヒロシマ・ナガサキの悲惨な光景を公に展示されることはなかったのである。関係者の落胆は、いかほどであったろう。
そして、スティーヴン・オカザキの作品も、スポンサーがしり込みする中で、立ち消えになったのだ。日本サイドの腰の据わっていないテレビ局がどこなのかは、詮索しないとしても・・・。
スティーブン・オカザキは「はだしのゲン」の英語版の映画を見てヒロシマ・ナガサキに関心を持ち、アメリカの被爆者協会に接触したのを契機に、「あなたが原爆を作品にしてください」と被爆者たちから要請され、そのことがずっとひっかかっていたのだという。
50周年の制作は実現しなかったが、過去25年にわたってヒロシマを何度も訪ねていたスティーブン・オカザキは妻と自分の二人だけで取材・撮影をして、胎内被曝をテーマにプライベートフィルムを制作した。それが「マッシュルームクラブ」(05年)。この作品は、アカデミー賞ドキュメンタリーにノミネートされた。
そして、アメリカのドキュメンタリー系のCATV放送局で有名なHBOから、願ってもないオファーが来た。ヒロシマ・ナガサキをテーマにドキュメント作品をつくらないか。
スティーブン・オカザキは電話口で夢中になって、自分の幻に終わっていた構想を話し出した。
「OK!君に任せるよ!」。
60周年に向けてようやく、25年ぶりに約束が果たせることになったのだ。
スティーブン・オカザキは、日本で500人の関係者に取材した。
そして、この作品は被曝生存者14人とエノラ・ゲイ搭乗関係者4人の証言として、ドキュメンタリー形式で、成立させることになった。
監督が撮影を仕切りながら、日本人インタヴュアーに要請したことがある。
「相手の目を見て、話を訊け」ということだ。
決して同情や憐れみで感情的にならないこと。
犠牲者としてヒロイズムめいたものに祭り上げないこと。
政治やイデオロギーの予断を持たないこと。
なぜなら、かれらは特別な人間ではなく、なんとかして生き延びた普通の人々なのだから。
ただ、撮影の時も、被爆者たちの重い一言一言に、胸が詰まりそうになりながら、冷静さを失わないようにつとめた、という。編集作業でもそれは、同じだった。
被曝証言者は正面からカメラに向かって立ち、語り始める。
各人が、1枚の写真を掲げている。
60年前の自分や家族やクラスメートのわずかに残された記念写真である。
いっしょに写真に写っている多くの人たちは、被曝によって即死した。あるいは、被曝後遺症によって、苦悶しながら亡くなった。
証言者たちの心にも身体にも、もちろん大きな傷跡が刻まれている。
けれども、証言者たちが手にしている写真は、原爆投下前の、普通の幼児であり、少年・少女であり、青年である。
あの日、あの時までは。
ヒロシマ・ナガサキがまだその地名以外に固有の象徴的意味をもつまでは・・・。
証言の合間に、記録映像がふんだんに挿入される。
前半は、アメリカのニュースフィルムである。原爆投下を決定するルーズベルトやトルーマンなどの政府要人たち、基地から搬出されるMk-1核爆弾リトルボーイを搭載するエノラ・ゲイの出撃、そして。
中盤からは、「ピカドン」直後からの光景を描いた生存者により描かれた地獄絵が、これでもかこれでもかとクローズアップして写される。
終盤では、原爆投下の翌日の米軍が撮影した壊滅的なヒロシマ・ナガサキの焦土の映像、そして、炭化し放り出された無数の死体、あるいは皮膚が剥がれ、全身火傷状態の中で、放心する被爆者の記録映像。
目を背けたくなる。しかし、逸らすわけにはいかない。
この証言者たちは、麻痺するほどの地獄絵の中を彷徨い、そしていまでも瞼の奥に、昨日のことのように、その映像が叫びが、焼き付けられているのだから。
こうした記録映像を、戦後25年間にわたって、アメリカは公開せず秘匿し続けてきたのだ。
日本政府もそれに従った。
その間、被爆者はいわれなき差別を受け続け、いまだかって被爆者認定・補償は満足できる水準に達していない、という指摘もある。
被爆者は、アメリカの調査班の記録のための撮影に、被写体として、言われるままに自分の肉体を曝け出している。
その表情は、無表情だ。
泣いてもいない、抗議もしていない、憎しみの視線でもない。
ただただ、自分の身が自分のものでもないような、無表情に指示されるままに、カメラに身体を晒している。傷口を、ケロイドを、喪われた器官を。
「自分たちは、モルモットなのだ・・・」。
なぜ、ヒロシマ・ナガサキが選ばれたのか、なぜ、自分の頭上にピカドンが落ちたのか、そんなことより、みんな死んでしまった・・・、そして、今日もたくさんの人が死んでいる、自分もいつまで生きられるのかかいもくわからない・・・。
そんな、呟きにもならない、諦めの表情。
僕たちはその後も、朝鮮半島で、ベトナムで、湾岸で、無差別テロで・・・こうした放心したような無表情を、いくどとなく見ることになるのだが。
映画の冒頭に、渋谷だろうか、若者に取材するシーンがある。
「あなたは、1945年8月6日を知っていますか?」
「1945年8月9日は、何の日ですか?」
ソフトクリームを舐めながら、若者たちは「知らない」という。
8人に取材して、全員知らなかった、とスタッフは衝撃を受ける。
けれど、とスティーブン・オカザキは言う。
「彼らが悪いわけでも鈍感なわけでもない。教育も含めて、すべてはシステムの問題なのだ」
ヒロシマ・ナガサキ級の原爆が、世界に現在なお、40万個が保管されている。
日本の若者たちがパンクロックを路上で歌っている。
スティーブン・オカザキは僕と同じ年代のロスアンゼルス生まれの日系三世だ。
若い頃は、パンクロッカーでもあったらしい。
ヒロシマ・ナガサキはどのようにこれから語り続けられていくことだろう。
被曝の影響は、現在もなお、人体実験の渦中にある。
被曝の影響は、少なくとも3世代は続くだろう、といわれているからだ。
もしかしたら、100年もしたら、身体的な被曝後遺症は、みられなくなるのかもしれない。
けれど、ヒロシマ・ナガサキがあった事実は、決して消えない。
心の傷は、これから100年たっても、消え去ることはない。
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「はだしのゲン」は、漫画も相当多数の国で、翻訳されているはずですよ。麻生大臣が、推奨していましたからね(笑)
昨夏はこの映画と「夕凪の街 桜の国」「陸にあがった軍艦」の三本であの時代についていろいろ考えさせられました。
「靖国」もどんどん公開館数が増えているようでなによりです。
憲法論議も増えてくるでしょうしね。
映画的手法の持つ力というのが、再認識されてきているのかもしれませんね。
いるのでしょうね。少しでも多くの人が
この作品を鑑賞して欲しいものです。
人体実験、まさしくそのとおりです。
そんな日本なのに、アメリカと日米同盟を組んでいる
というのも、おかしい話ですが・・・。
矛盾だらけで、納得いきません。
僕は日本の子どもたちの教育レベルが落ちているとかなんとかの話は、どうでもいいことだと思っています。
意欲さえ出れば、自分で勉強していきますから。
でも、こうした「原爆」などの重要な歴史的事象に関しては、事実の学習、見学、議論などは、徹底して繰り返し時間をかけて学ぶ必要があると思います。
僕がこの映画を見たのは昨年の夏でしたが、あれ以来、さまざまなところで上映会が今でも行なわれているんですね。
こうやって、より多くの方が考えるきっかけを与えてくれるのはいいことだと思います。
風化が一番怖いですね。
繰り返しに早く気付くべきだと思うんですけどね。
fine.ap.teacup.com/rkeinn/
僕は、DVDでの鑑賞でしたけどね。
上映運動も、息長く、続いてほしいですね。
昨年の夏は本作をはじめ戦争関連のドキュメンタリー作品を見る機会に恵まれた時期でした。こういう当事者たちの声を聞く機会というのは非常に貴重なものだと思います。彼らの被爆体験を「知識」や「情報」としてだけではなく、広い意味での「記憶」として私たちが共有できるようになりたいものですが。
そうですね、お勉強じゃないですからね。
民族的記憶というのとは少し異なるとは思いますが、DNAに記憶されているような事柄だと思います。