サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

義務と名誉/ダニエル・イノウエ(米上院議員)/88歳

2012年12月19日 | 毎日がメメント・モリ

<訃報>ダニエル・イノウエ議員88歳=米上院、日系の重鎮

毎日新聞 12月18日(火)11時33分配信

 

 【ワシントン古本陽荘】米民主党の重鎮で日米同盟の強化に尽力した日系のダニエル・イノウエ上院議員が17日、呼吸器合併症のため東部メリーランド州の米軍病院で死去した。88歳だった。

 ハワイ州ホノルル生まれ。父方は福岡県の出身。第二次世界大戦時、日系人のみで編成された陸軍442連隊に所属し、欧州戦線に出兵。右腕を失う大けがをした。

 ハワイが州に昇格した59年に日系人初の下院議員としてワシントン政界入り、62年に上院にくら替えし、連続9回当選した。

 09年からは政府予算を事実上決める歳出委員会の委員長の座にあり、在沖縄海兵隊のグアム移転など国防関連予算でも大きな指導力を発揮した。

 日米通商摩擦が激しかった80年代には、日本に対し厳しい姿勢を示すこともあったが、近年は強固な日米同盟を支持する立場を鮮明にし、日米間のパイプ役として活躍。日米関係への貢献から昨年、桐花大綬章を受章していた。

 死去を受け、オバマ大統領は「真の英雄を失った。皆が彼を崇敬するのは、第二次世界大戦での驚くべき勇猛さからだ」などとした声明を発表した。

 事務所によると、亡くなる前、「ハワイと国家のために力の限り誠実に勤めた。まあまあできたと思う」とコメントし、最後の言葉は「アロハ(さようなら)」だったという。

吉田茂から安部晋三まで、戦後の日本の歴代首相はもちろんアメリカとの関係がもっとも重要であったのだが、すべての首相経験者を全部足したとしても、アメリカではダニエル・イノウエ一人の存在感に遠く及ばないという気がする。

ダニエル・イノウエはアメリカ移民の先駆けの一人である。祖父母、両親が経済的問題から、ハワイに移住し、そこで生まれた。
そして、映画にもなったが、伝説のアメリカ陸軍日系人部隊である第442連隊戦闘団に志願し、ヨーロッパ戦線で右腕を失いながら英雄として名誉の除隊をした。

1954年にハワイ議会の議員に当選。59年には民主党から日系初の下院議員に選出されている。
63年には上院議員となり以降50年近く上院議員を続け、アメリカ議会でも最長老となり、なんと上院仮議長という名誉な地位に就任し、大統領継承順位三位になったのだ。
こんなことはもちろん、アジア系の議員としてははじめてのことである。

ダニエル・イノウエがヨーロッパ戦線に出ていた頃、アメリカに在住していた日系移民は有無を言わさず違法なかたちで、日系強制収容所に入れられた。
戦後、日系移民たちの公民権の復活や戦後補償が決まるまで長い時間がかかったが、もちろんダニエル・イノウエの寄与は大きかった。

ダニエル・イノウエは「義務と名誉」を繰り返し述べる。
戦後の日米の人的クッションとして、アメリカにとっても日本にとっても、はかりしれない功績があった人だ。
「義務と名誉」。思想信条や世界観はもちろん異なるとしても、こういう経歴の人に言われると、素直に頷くことが出来る。
けれども、野田や安部が、「義務と名誉」といったことを言ったとしても、そこにはなんの重みも感じられない・・・合掌! 


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