
第21回東京国際映画祭で、審査員特別賞を受賞した話題作。向かいに住む女性の部屋をのぞかずにいられない男の悲しい心理と行く末を、サスペンスフルなタッチで描いていく。監督は『早春』などで知られるポーランドの巨匠であり、『イースタン・プロミス』には俳優として出演しているイエジー・スコリモフスキー。絵画的な画面構成、奇怪な音響設計など、17年ぶりに新作を手掛けたスコリモフスキー監督の魅力が存分に堪能できる究極の片思い映画だ。[もっと詳しく]
不幸と孤独が常態する男の、かすかな希望の4日間。
映画ファンを自称するなら、ポーランド出身の巨匠であるイエジー・スコリモフスキーを知っていて当然なのだろうが、勉強不足の僕はあいにく名前だけしか知らなかった。
詩人であり、ボクサーであり、画家であり、ジャズドラマーであるという70歳過ぎのこの監督に、17年ぶりという作品ではじめて触れたわけだが、正直ぶったまげてしまった。
どれだけの過去作品がDVDで出ているのか知らないが、ぜひ追っかけて見たいとも思う。
『アンナと過ごした4日間』という作品に登場するのはレオン(アルトゥル・ステランコ)という中年男である。
どうやらこの男は、幼くして両親をなくし、祖母に育てられたらしい。
育ちのせいなのかどうか、ほとんどひきこもりとも見える男は、ある日釣りの帰りに廃工場の一角でレイプされているアンナ(キンガ・プレイス)を目撃する。
たぶん性体験もなかったであろうレオンはただただ驚愕して、固まってしまうのだが、なんのことかレイプ犯と誤認されて捕まってしまう。
出所したレオンは病院の火葬場で働いているのだが、そこで看護婦として勤めているアンナを発見し、片思いをしてしまう。
祖母と暮らしていた小屋から、アンナの生活する部屋が見える。
レオンは双眼鏡でその部屋を覗いたりするが、祖母の死後、とうとう我慢できず、アンナが就寝前に飲んでいたドリンクに睡眠薬を混入し、窓から寝入ったアンナの部屋に侵入することになる。
そして4日間の奇妙なストーカー生活が始まるのだが・・・。
アンナの部屋に侵入したレオンは、アンナの服のはずれたボタンを付け替えたり、足指の爪にペデキュアをしたり、床を拭いたり、誕生日の日は花束を贈ったり、指輪を持ってきたり・・・。そして壊れた鳩時計を持って帰り修理して運び込んだ夜に、見回りに捕まってしまうことになる。
僕たちはレオンの究極の片思い、そして完結しない愛に、心が激しく動かされることになる。
レオンは不幸な男である。
人間の人生なんて、結局は幸運もあれば不幸もある。
絶頂もあれば、奈落もある。
波乱万丈な人生もあれば、平々凡々に見える人生もある。
けれど、総じて、人の人生というものは、最後に精算してみれば、同じようなものではないか。
どこかで、僕はそういうように思いながら、人生の運・不運の不公平に対して、対処しようとしてきたように思う。
けれど、本当にそうか。
世の中には、生まれてすぐに飢餓や病気や戦災で死ぬ子どもたちもいる。
貧困や病の連鎖から逃れられず、死ぬ運命に遭遇する人たちもいれば、偶然の確率の悪戯で、事故や災害や犯罪に巻き込まれる人たちもいる。
ほんとうにプラスマイナスで平等だといえるのか。
仮に前世や来世ということまで射程を取れば、もしかしたら不幸と幸運は帳尻があっているのかもしれない。
あるいはもともと欲望の総和が少なければ、どんな環境であろうが満ち足りるという時間が持てるのかもしれない。
しかし、と思うのだ。
このレオンのような不幸や疎外や孤独が常態である人間というのはいつも存在し、そこに社会や神や家族やといった場所からの救済が、ほとんど届かなかったとしたら・・・、偶然のように訪れたアンナとの4日間は、奇蹟のような恩寵かもしれない。
たとえそれが、一方通行の報われぬ「愛」だとしても。
画面は緊張感に満ちている。
会話はほとんどないし、一般的なBGMもない。
静かな沈黙の画面に引き込まれる中で、僕たちはレオンの息遣いや、遠くのサイレンの音や、闇の中の風のざわめきや、地面を踏みしめる音を、聴くことになる。
人間らしい温かみのない世界の中で、実存の孤独がひたひたと押し寄せてくる。
眠るアンナと同じ空間を、静かに、おどおどと、けれどどこかで確信的に共有しようとする。
それは変質であり、狂気であり、非常識であり、犯罪的な行為かもしれない。
けれど逆に言えば、これほど美しい「純愛」はそうそうあるものではない。
アンジェイ・ワイダ、ロマン・ポランスキー、クシュシュトフ・キシュロフスキ・・・ポーランドの僕たちが畏敬する映像作家の伝統や資質のようなものが、スコリモフスキーのなかにも息づいている。
饒舌さのかけらもないような沈黙の世界の中で、まるでフランドルの絵画のような静謐な世界が、僕たちに人間存在の痛みを感じさせる。
スコリモフスキーはユダヤ人であり、建築家の父を持ったがナチスに処刑されたらしい。
レオンの前にはいつも壁がある。
その壁を壊して、向こうにある世界に触れようとするレオン。
しかし、世界は、なかなか堅牢な壁を取り払おうとはしない。
それでも、寂しい魂は、救済を求めて止む事はない。
その行為が、更なる破滅に自分を導くのだ、としても。
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味わえば味わうほど深みの出てくる作品のように思いました
レビューを拝読してさらにそう感じた次第です
いつかまた鑑賞してみたいと思います
スコリモフスキー監督の他の作品も気になりますね
徹底して、余計な説明や情緒を削ぎ落とされて出来た作品のような気がします。
ポーランド映画、奥深しですね。
いや、実ってはいけない恋ですが、せめて冤罪がはれるとかね。
・・・・ストーカー体験者としては、あれはやなもんです。
僕はあえて、アンナの感情を無視して、書いているところがあります。
物語としては、冤罪を晴らすとか、アンナが接見した時に優しい言葉をかけるとか、期待しましたが、そういう甘い流れはありませんでしたね。
ただ、壁があらたに設置されただけでした。
タッチというか画面はキシュロフスキに近い感じですが、滲み出てくる一種の異常性はポランスキーの初期を彷彿としますね。この作品以上に1970年に作った「早春」はそんな感じがしました。
尤も、ポランスキーの「水の中のナイフ」はこの人の脚本作ですね。
たまに初恋の人の家に近くをうろうろする僕も他人から観ればこの主人公に近いかなあ(笑)。
本当は通院している病院の隣なので嫌でも周りをぐるぐるしちゃうのですけどね。
僕は「早春」は見ていないんですよ。
ヒロインのアンナがなんか野暮ったくて美人じゃないところも、いいですねぇ。