サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

ドライ/樋口廣太郎(アサヒビール元社長)/86歳

2012年09月17日 | 毎日がメメント・モリ

樋口広太郎氏死去=「ドライ」でアサヒを首位に

クリップする
時事通信 2012/9/17 16:00 
 
 「スーパードライ」を大ヒットさせ、アサヒビールを業界トップの座に導いた樋口広太郎(ひぐち・ひろたろう)元社長が16日午後11時4分、急性心不全のため東京都渋谷区の病院で死去した。86歳だった。葬儀は20日午後1時30分から千代田区麹町6の5の1の聖イグナチオ教会で。喪主は妻公子(きみこ)さん。
 京都市生まれ。1949年京大経済学部を卒業し、住友銀行(現三井住友銀行)に入行。副頭取まで務めた。86年にアサヒビール社長に就任。ビール4社の中で3位が指定席だった同社の立て直しに着手した。
 ライバル会社のトップを訪ねてビール製造の基本を学んだり、売れ残ったビールを問屋や販売店から回収したりするなど、業界の常識を打ち破る行動力で社内をリード。87年、開発・生産・販売の手法を一新したスーパードライの発売に踏み切ると、バブル期らしい派手な宣伝を展開し、ドライ旋風を巻き起こした。
 92年に会長に就任。98年にはキリンビールを抜き、国内のビール出荷シェアで首位に立った。翌年に相談役名誉会長に退き、相談役を経て2006年4月からは名誉顧問を務めていた。
 この間、経団連副会長など社外の公職を歴任。財界の論客として、小渕政権では経済戦略会議の議長を引き受け、日本経済再生に向けた道筋を示した。 

現在の経団連会長の米倉弘昌は、経団連会長としては小粒の住友化学出身と言う異例人事だが、前会長のキャノンの御手洗富士夫のキャノンの偽装請負事件の余波を受けた後の人材不足の異例人事であったかもしれない。
その米倉は、なにをとちくるったのか、経団連会長としての立場で、ことごとく首をかしげるしかない発言を繰り返している。
「TPP,尖閣、原子力、増税・・・」どれをとっても、経営団体サイドの保守的立場と言うよりも、大局観のない反動的でたいして倫理もない無思想に思われ、あのブルドックのような顔を見るたびに不快感が募った。
3.11以降も、原発は津波に耐え素晴らしい」、原子力行政を「胸をはるべきだ」などとのたまった。
ここには国家哲学もなければ、技術哲学もない。
単に、出身母体の住友化学の商売利益としか思えないような発言だった。

誰がなっても同じなのかも知れないが、そんな時僕は、現役の経営者ならば樋口廣太郎なら、こんな発言はしないだろうに、と思ったものだ。
樋口廣太郎は、住友銀行で副頭取にのぼりつめたバンカーだった。
しかし、当時の住友銀行は磯田頭取の絶対君主時代。
イトマンへの乱脈融資を咎めた樋口は、アサヒビールに飛ばされたみたいなものだった。
でもここから樋口は、ふんぞりかえった銀行出身のトップではなく、とにかく現場をひたすら歩き回り、消費者や小売店の声に耳を傾け、アサヒスーパードライの大ヒットもあって、キリンと二強の時代をつくりあげ、アサヒビール中興の祖と言われるようになったのだ。

敬虔なカトリックでもあり、スポールや文化への理解もあり、CSR活動も先頭を切っていたところがある。
僕も、パーティーで何回かスピーチを聞いたことはあるが、ちゃんと自分の言葉で話しておられた。

もちろん、小渕内閣の経済戦略会議の議長の評価や、小泉内閣の片棒をかついだことには評価が分かれるところもある。
それにしても、野暮ったい米倉弘昌の反動的言辞を思うにつけ、経団連副会長でもあった樋口廣太郎なら、もっと大衆が感じているものを謙虚にとりこんでいただろうと思わせられた。
アサヒビールを復興させたように・・・。
もちろん、ここ何年も、体調を崩してはおられたのだが・・・合掌!



 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿