
アカデミー賞で、主演女優、助演男優、監督、作品賞の主要4部門を制覇した、クリント・イーストウッド監督の最新作。ボクシングに希望を見い出そうとする女性とそのトレーナーの心の葛藤(かっとう)を丹念に描いたヒューマン・ドラマ。アカデミー賞で2度の受賞をはたしたヒラリー・スワンクと初の受賞に輝いたモーガン・フリーマンの演技は要チェック。[もっと詳しく]
「犠牲」なくして成立し得ないアメリカン・ドリーム。
イーストウッド監督が「ミスティック・リバー」でアカデミー2冠に輝いたのは、記憶に新しい。
そして、今回は、本作品で7部門にエントリーされ、4部門でトロフィーに輝いた。
いったい、アメリカの映像関係者は、この初老の監督に、なぜ、ここまで惹かれるのだろう。
役者としてのイーストウッドはTVの「ローハイド」で名前を覚えられたが、実際、注目されたのはマカロニウェスタンの本場イタリアで「荒野の用心棒」に抜擢されてからだ。
アメリカに戻ってからは、「ダーティハリーシリーズ」であくの強い一匹狼の刑事役。
それでも、A級とB級の間ぐらいの作品群であった。
ただし、制作には早くから関心を持ち、68年には、小さいマルパソ・カンパニーというプロダクションを立ち上げている。
監督になってからもハリウッド流大作主義ではない、しかしマルパソでチームを組んだスタッフたちと「イーストウッド流」ともいえる映画作りの流儀をつくりあげた。
面白いストーリーが第一。
撮影中、モニターは使わない。
少人数で、現場に任し、決定は監督。
リハーサルからカメラは回すが、本番は原則1回主義。
とかとか・・・。
テーマは「世の流れに取り残される」人々に焦点をあてることが多い。
声高に、なにかを主張するものではない。
だけど、いつも、「愚直さ」のなかにある「本質」が、底に流れている。
あるいは、寂漠とした余韻のなかに、漂っている。
フランキー・ダン(クリント・イーストウッド)は、かつては、そしていまも、優秀なカットマンであり、トレーナーである。だが、優秀なマネージャーではない。
23年間、ジムの雑用係として住み込んでいるのがスクラップ(モーガン・フリーマン)。
運営するジムはロスにある「ヒット・ピット」。
フランキーもスクラップももはや野心を抱いているわけではない。
どちらかというと、「ミスギヨスギ」のためのジム経営。タイトル戦のマッチメイクには臆病になっている。
「細く、長く」という毎日であり、そのぶん、若者たちの活気もいまひとつだ。
そんなジムに入門を希望するのがマギー・フィッツジェラルド(ヒラリー・スワンク)。
ミズーリ州出身の典型的な下層白人労働者の家に生まれ、理解のあった父を早くに亡くし、弟は刑務所、妹は生活保護を受け、140kgの体をもてあます母親は、マギーに仕送りしか期待していない。
マギーは13歳からレストランで薄給で働き始め、「自分の夢」のために、31歳というチャレンジするにはとっくに遅すぎる年齢で、ジムの門を叩いた。
フランキーは「女に教える気は無い」と拒絶していたが、マギーの頑固さに折れ、指導を開始し、試合も組むようになる。
マギーは連戦連勝、ヨーロッパにも遠征し人気をはくし、ついに「ミリオンダラー」の試合に漕ぎ着けるのだが・・・。
フランキーはアングロアイリッシュなのだろう。カトリック教会に日参し、神父に聖書の解釈を連日問いかける。
そして、ひとりのときは、いつもイエーツの詩集を読んでいる。
ウィリアム・バトラー・イエーツは、風変わりな詩人として、日本でもお馴染みだ。
新生アイルランド運動、ケルト神話、神秘主義。
女性にも伝説的な恋をしているが、52歳まで独身を通した。荒涼とした「荒地」の詩人でもある。
フランキーは、娘と絶縁されており、孤独な毎日になんの「劇」的体験もあるわけではない。
一方、マギーは「太く短く」チャンスをつかもうとしている。
アメリカン・ドリームというより、もう、トレーラーの惨めな生活に戻りたくないという必死さだ。
いつしか、ふたりは、「父と子」のように、お互いの欠損を補完していくことになる。
しかし、夢は「束の間」与えられるだけだ。
反則によるダメージでマギーは四肢麻痺となり、「父フランキー」に尊厳死を求める。
「娘マギー」にフランキーは、最後まで逡巡するが、その「罪」を自分で引き受けようと決意する。
スクラップは逡巡するフランキーに「マギーは充分輝いたよ」という。
ここで、「ともあれ生き延びる」という思想と「生き延びる意味を問う」という思想が、はげしくぶつかることになる。
この思想の鬩ぎあいに、カトリックもイエーツも答えを出すことはできない。
あるとすれば、「レモンパイのうまい店」さえあればというフランキーと、本当はその店で引退後の毎日を「父子」で暮らしたかったマギーと、その夢を、記憶のまま保存しようという悲しい選択だけであった。
「モ・クシュラ=愛しい愛しい我が子よ」と、フランキーはマギーにリングネームをつけた。
たしかに、このとき、フランキーの贖罪は、マギーという媒体を通じて、実現しかかったのかもしれない。
とすれば、「アメリカン・ドリーム」が「ロッキー」の時代のときのようには成立不可能であり、必ず「犠牲」が伴うこと、その現在の描き方の誠実さに対し、今回のアカデミー賞は、与えられたのかもしれない。
カテゴリー名の「座布団シネマ」、いいですね。
kimion さんの記事で、ミリオンダラー・ベイビーについての知識を目一杯勉強させていただきました。
観てから知るか、知ってから観るか…。
切り口が変わりますね。
また遊びに来ます。
だって、ここ数年、圧倒的に自宅シネマ派になってしまい、情けない(笑)
どんどん遊びにきてください。
改めて「ミリオンダラーベイビー」観てみようと思います。
こちらからもTB返させてもらいました。
今後ともよろしくお願いします。
実はイーストウッド作品では、前作の「ミスティック・リバー」や「ブラッド・ワーク」のほうが好きなんですけど、いわゆる「ハリウッド的」でない終わり方であるこの映画がアカデミー賞に輝いたということは、アメリカ映画界においても大きな意味があったと思います。
これからもどうぞよろしく~。
イーストウッドいままでの作品も大好きでしたb。
クリント・イーストウッドは
やはりムービースターであり、
誰でも知っている存在なのでしょうね。
映画『バックトゥザフューチャーⅢ』の中で
名前が使われていましたが、
クリント・イーストウッドの名前を使いたくなるほどに
愛されている存在なのではないかと思います。
私は格闘技は大嫌い。プロレスリングなんて見る人の気が知れない。プロボクシングももちろん大嫌いだ。なのに、なんでこれを観たか。
答えは簡単、映画だったから。おまけにアカデミー賞4部門も取ったし...
見終わって、浅はかな動機だったなと思いました。これは、人間愛のドラマでした。さびしい親子の間を埋めるラブストーリーだった。
だから、最後が許せない。ラブストーリーはハッピーエンドでなきゃ...
さて、記事読ませていただきました。
それで、なるほどなるほどと何度も頷いてしまいました。
・・・自分の書いた記事の内容の薄さにちょっと恥ずかしくなります(汗
それでも映画は好きなので、これかも観た映画について色々自分流に書いていくつもりです。
また良かったらご訪問ください。
アメリカ人にとっても、イーストウッドは別格だったんでしょうね。
>やのすけさん
何を指して、ハッピーエンドかは複雑かもしれませんね。
>JANEGIさん
はい、今後ともよろしくお願いします。