サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

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mini review 06165「あおげば尊し」★★★★★☆☆☆☆☆

2006年08月14日 | 座布団シネマ:あ行

直木賞作家の重松清による同名小説を原作に、父親を介護する家族を中心に、死とは何かを問う感動のヒューマンドラマ。老いた父の死に直面する主人公に、本作が映画初主演となるテリー伊藤がふんする。そのほか薬師丸ひろ子や加藤武ら演技派の俳優が脇を固めている。“死”の意味を理解できない子どもたちの姿に、現代社会の問題点が浮き彫りにされている。[もっと詳しく]

父さん、死ぬってどういうことなんだろう?

 市川準監督は1948年生まれ。画家志望であったが、東京芸大を目指すも落第。CM制作会社に入社し、「禁煙パイポ」「箪笥にゴン」「エバラ焼肉のたれ」などの話題シリーズのCM制作者として、注目を浴びた。
映画への進出は1987年だから、40歳近くの作品となる。
富田靖子主演の「BU・SU」である。
この映画の主役として、劇場映画初出演となった
テリー伊藤は1949年生まれ。日大闘争で、投石を受け、重傷を負い、左目が斜視となっている。テレビの演出家時代は「鬼の伊藤」とよばれたが、「天才、たけしの元気が出るテレビ!!」などをヒットさせた。ベストセラーとなった「お笑い北朝鮮」など著書も多く、現在も多くの番組でコメンテーターとしても活躍している。
この二人は、ともに東京生まれだが、団塊の世代のほぼ最後にあたる。僕より、数歳、年上である。

 

原作の
重松清は1963年生まれだから、かれらより、一回り以上、年下となる。重松清の「卒業」を題材としながら、僕は、市川準やテリー伊藤あるいは数歳下の僕たちまで半分は含めてもいいのかもしれないが、この世代の「確信がもてない」「言い切ることにためらいがある」といった複雑な世代意識を、この「あおげば尊し」という作品に、強く感じたのだった。

光一(テリー伊藤)は、小学校5年生を担当する教師。父(
加藤武)が末期癌であと長くとも余命3ヶ月との宣告を受け、自宅介護を選択する。母(浅生美代子)、妻(薬師丸ひろ子)息子と力をあわせて、無力を感じながらも、父の最期につきあう。
季節はまだ、庭の梅の蕾も芽吹いてはいない。



一方、光一も同僚教師も、子供の学級運営にさまざまな悩み事を持っている。特にクラスの田上康弘は、コンピュータ授業で「死体サイト」をみたり、斎場に勝手に入り込んで、通報されたりする。光一は「そんなものは見るな!」と、いうことしかできない。
光一は、延命拒否し、死期が近づいた父親の姿を「課外授業」としてクラスの子供たちに見せることを決意する。驚く母。光一は父に頼む。ほとんど会話もできないでいる父ははっきりいう。「み、せ、て、や、れ」。

 

頑固な教師であった父。どこの学校にもいたであろう「煙たがられる」教師。父には、教師であることがすべてであった。しかし、年賀状も来ない。見舞いに訪れる教え子もいない。ほっそりと、家族だけが、最後の父に寄り添っている。そこに、子供とはいえ、第三者を介在させることになる。

光一には、わからない。「父さん、死ぬってどういうことなんだろう」。
子供にも生徒にも伝えられない。自分自身が、曖昧なのだ。
ある意味、母は気丈で、父に精一杯寄り添っている。妻も、早くに父と死に別れたこともあり、落ち着いて、家を仕切っている。息子も、気を使って、生活している。だけど、光一は、父の死とどう向き合っていいかわからない。

生徒たちの課外授業は3人一組で毎日行われたが、なんら効果があったかわからない。子供たちにも、課外授業の意味がわからないようだ。唯一、問題児の田上少年だけが、自分から、光一の家を訪ねる。

 

田上少年は、5歳のとき、父と死別しているが、その記憶が曖昧だ。そのことに少年は、父に対する「申し訳なさ」のような気持ちを持っている。
父の最期の病床。田上少年の柔らかい暖かい小さな手。震えている。
光一はその手を父に握ってもらう。父は、わかっているよ、というふうに目配せをして、そっと少年の手を握り返す。最後の力で。
「私は、生きているんだよ」と。それが、父の「最期の授業」であったかもしれない。

前作「トニー滝谷」の計算された端正なカメラワークとは対極に、本作ではおそらくハンディカメラを多用したのだろう、画面が呼吸に合わせて、揺れたり、振るえたり、流れたりしている。
ドキュメント作品のような効果を意図したのかもしれない。会話もくぐもって、聞こえにくい。ドラマ的要素も、極力押さえようとしている節がある。

僕の父は、はるか離れた奈良の病院で、息を引き取った。
比較的近くに住んでいた兄夫婦が、立ち会ってはいたが、脳梗塞で倒れ、緊急治療室に運ばれ、生命はとりとめたものの、明瞭な意識は取り戻すことのなかった約1年間、たまに、父を訪ね、一方的にとりとめもなく話をするぐらいのことしかできなかった。
そのときの僕の子供はちょうど、この田上少年ぐらいであったろうか。僕も、息子も、父の死に目に立ち会うことも出来なかった。
その10年ほど前に、同じように、母をなくしている・・・。
もし、自宅介護になったならば、僕もこの映画の主人公のように、たぶん同じように、おろおろしていたのだろうと思う。

 

家に帰ってきたとき、まだ蕾すら咲かせていなかった庭の梅の木。父は目にやきつけるように、朦朧とする意識とたたかいながら、梅の木と、その背景に拡がる空を見ていた。
宣告どおりの数ヶ月に満たない日であったが、梅の木に、蕾が芽吹き、葉っぱが開き、花が開くまでになった。
市川監督はこの、なんのしつらえも造作もない作品で、ただ梅の花の数ヶ月の成長を、きちんと、画面におさえていた。
終わり行く生命。春となり息吹く生命。 出棺の日。教え子とみなされる生徒たちが、それなりの人数集まっている。
みんな、結構な年構えだ。気丈な母が挨拶をかわす。出棺の儀。
そのとき、だれからともなく「先生!」「先生!」という声があがる。だれかが思わず唄いだす。「あおげば尊し」。
その声が、合唱になっていく。ついぞ、涙を見せなかった母が、こらえきれずに、嗚咽する・・・。

 

この映画は、市川準監督にしては、ずいぶん荒っぽいつくりであるなと思う。
シナリオもそれほど練りこまれていると思えない。
だけど、「病院で死ぬこと」を撮った市川監督は、「自宅で死ぬこと」ともいえるこの作品を撮る必然があったのだろう。

そして、同世代のテリー伊藤を起用したこと。このお調子者ともとられる偽悪ぶったタレントは、ほんとうのところ、シャイで気弱で、臆病なところがあるのだろう。
いつものサングラスをはずし、障害である「斜視」をカメラにさらけ出し、あいまいな表情で、周囲に気を使って生きている中年のさえない教師を演じている。

誰にもなにも、押し付けることはできない。だけど、なにかを伝えたい。そして、自分も、世界を少し、了解したい。
この世代特有の「諦念の底にある静かな意志」のようなもの、そのことを、テリー伊藤はよく「演じた」し、市川監督は、テリー伊藤のへんなやらせ的な職業意識(サービス精神)がでないように、よく「演じることをやめさせた」と思う。
父を演じた加藤武、サザエさんのオフネ役の声優である麻生美代子、このふたりの年齢からくる演技、風格には、どう逆立ちしたって、敵わないのだから。

 

映画の中の「父の口癖」が、心に響く。
「ガキのうちはいいんだ。どんなに、恨まれたって。彼らが大人になったときに、俺の教えが分かってくれれば、それでいい」。
さて、僕たちの世代は、と思うのだ。
「恨まれる」言辞だって無意識に避けようとしているのかもしれないな、と。
なにかいいたいことはある。
でも、その言葉や感情を、どう吐いたらいいものか、とても心許ないのだ、と。

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18 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
この映画の良さ (山口薫)
2006-08-14 23:14:24
この映画の良さ



それは観たものに考えさせるところ。



派手でも、お洒落でもない



たんたんと進んでいく映画。



伊藤輝夫氏の演技は



プロの俳優には出せない荒削りさ。



だから引き込まれていく。





この映画は



企画の段階からヒットするなんて誰も思ってないだろう。





でも作って良かった、観て良かったという作品であると思う。



山口さん (kimion20002000)
2006-08-15 00:48:26
コメントありがとう。

ある意味で、商業性からは、もっとも縁遠い作品ですからね。でも、誰にも、避けては通れない普遍的なテーマを扱っていますね。テリー伊藤のあんな表情をみるのは、はじめてでした。
TBありがとうございました (ミチ)
2006-08-15 18:31:12
こんにちは♪

見ておいてよかったと思える映画です。

加藤さんの演技には圧倒されました。

時々差し挟まれる梅の木の様子がなんとも効果的でしたね~。

自宅で死にたいと願う人は多いですが、それを介護するのはやはり大変なことなんですよね。

いまはまだピンと来ませんが、そのうち介護する方になり、介護される方になっていくかと思うと・・・・。
ミチさん (kimion20002000)
2006-08-15 23:09:11
コメントありがとう。

加藤武は昔から好きな脇役の役者さんですが、今回の演技では、ほとんどしゃべらず、表情もつくれないという設定の中で、「見るということ」「目に焼き付けるということ」そのために、痛みに身体全体で耐えているということ、をよく感じさせてくれる名演技でした。
テリー伊藤 (マダム・クニコ)
2006-08-18 00:37:01
>この世代特有の「諦念の底にある静かな意志」のようなもの、そのことを、テリー伊藤はよく「演じた



荒っぽい作りですが、私もこの点は評価しています。

団塊の世代、ですか。



TBに感謝!

マダム・クニコさん (kimion20002000)
2006-08-18 01:31:26
コメントありがとう。

僕は、団塊の世代を前にすると、いつも、喧嘩ばかりふっかけているんですけどね(笑)

市川監督って、わりと、女性の描き方は、うまくないんじゃないかと思いますね。結構、型におしつけているところはあります。苦手じゃないの(笑)
テリー伊藤 (パラリン)
2006-08-22 01:08:07
テリー伊藤は、

映画で、しゃべらない分、

目が、いっぱい語っていたような気がします。

目というより、表情というのでしょうか・・・。

静かなようにみえて、

すごく大変で、静かでないけれど

深さを感じた作品でした。
パラリンさん (kimion20002000)
2006-08-22 01:50:49
コメントありがとう。

いつも、自分の斜視のことを、話題にはしていましたが、あそこまで、開陳したテリーをみるのは、初めてでした。彼もなにか、自分の新しい顔を出そうとしていましたね。
すいませーん!(汗) (元・副会長)
2006-08-27 22:25:28
ごめんなさい。別の書き込みをトラックバックしてしまいました(暑さでボケてます ^^;)。



見苦しいので、削除していただくよう、お願い申し上げます(陳謝)。



あと、トラックバック、どうもサンキューでした。今後ともヨロシクお願い致します。
元・副会長さん (kimion20002000)
2006-08-28 03:28:03
暑いですねぇ。

僕も、ときどき、間違ったりしますし、気にしないでください。

「ナイロビの蜂」は好きな作品です。そのうち、blogにしますので、みつけたら、また残してくださいね。

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