サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

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mini review 08337「バレエ・リュス 踊る歓び、生きる歓び」★★★★★★★★☆☆

2008年11月24日 | 座布団シネマ:は行

20世紀初頭のパリに始まり、一度は解散した伝説のバレエ団“バレエ・リュス”の再生の歴史を追うドキュメンタリー。20世紀のあらゆる芸術とエンターテインメントに影響を与えたバレエ・リュスの知られざる軌跡を、かつてのダンサーたちへのインタビューなどを交えながらひも解いていく。監督はドキュメンタリー作品でエミー賞に輝いたこともあるダニエル・ゲラーとデイナ・ゴールドファイン。初公開となる貴重なアーカイブ映像の数々も見どころ。[もっと詳しく]

「バレエ・リュス」の遺伝子は、時代を超えて、引き継がれていくはずだ。

昨年の9月、東京都庭園美術館で「舞台芸術の世界~ディアギレフのロシアバレエと舞台デザイン」という企画展を見に行った。
セルジュ・ディアギレフは、僕が一番好きな、天才的な興行師である。
1872年、裕福な家庭に生まれ、芸術的環境に恵まれた青年時代を過ごすことになった。
音楽や絵画に対しても造詣が深く、当時の前衛的な動きをプロデュースしだすことになる。
当時、バレエはロシアの宮廷芸術であった。
そのことに、飽きたりないディアギレフは、レオン・バクストやアレクサンドル・ブノワといった前衛美術グループと「芸術世界」というメディアを創刊し、そこで、総合芸術としてのバレエの可能性を見出すことになる。
野獣派、アールデコ派などの画家たちも、舞台美術や衣裳デザインなどで、自らの表現の場を、バレエと結び付けていく。
ロシア革命と共に、白系ロシアの芸術家たちは、命からがらパリに逃げ出すことになる。
そして、パリを舞台に、ロシアバレエを再興したのがディアギレフであり、「バレエ・リュス」と名づけられたのだ。
1909年そのパリ公演は、絶賛の嵐で包まれた。



さまざまな音楽家が起用されたのだが、なんといってもストラヴィンスキーである。
「火の鳥」「ベトルーシュカ」「春の祭典」がストラヴィンスキーの三大バレエといわれるが、これらの記録フィルムを、東京都庭園美術館の企画展で、あらためて僕は見ることになったのだ。
ニジンスキーやアンナ・パブロワや、天才的なバレリーナがこの時代の「バレエ・リュス」で躍動している。
また、ラヴェルやマチスやピカソが、作品を提出している。
ディアギレフは同性愛者で有名であり、ニジンスキーとの関係も公然のものであった。
1929年、ディアギレフの死と共に、「バレエ・リュス」はその歴史を閉じることに成る。



「バレエ・リュス 踊る歓び、生きる歓び」は、その後の「バレエ・リュス」の歴史ということになる。
「バレエ・リュス」を再興したのは、ロシア人の興行主ド・バジル大佐とフランス人の劇場監督であるルネ・バリュム。
振付師には、ジョージ・バランシアというチームであった。
「バレエ・リュス・モンテカルロ」という名称で、当時14歳程度の無名のバレエ少女を「リトルダンサー」ということで起用し、大成功を収めることになる。
この作品は、2000年6月にニューオリンズで40年ぶりに再会した「バレエ・リュス」の100人近い元団員たちの同窓会から始まり、数々の証言インタヴューと映像アーカイブを編集した貴重なドキュメンタリー作品として、制作されている。
その同窓会および証言者として、「リトルダンサー」たちが登場する。
もう、80歳から90歳のダンサーたち。
「バレエ・リュス・モンテカルロ」の立ち上げから、第2次世界大戦をはさんでその終焉まで、僕たちはその通史を、驚愕しながら見ることになる。



ある意味で個性的な才能が結集され、莫大な費用が劇団維持や公演・巡業にはかかるため、栄光の裏には、必ず対立や嫉妬や引き抜きや権利を巡る訴訟やといった、人間臭いドラマがついて回ることになる。
「バレエ・リュス・モンテカルロ」でいえば、初期の振付師バランシンからレオニード・マシーンへの移行というところが大きな転換点だ。
レオニード・マシーンはダンサーとしても天才的だが、シンフォニック(交響楽)バレエを創案し、次々と前衛的な作品解釈も含め、題目を送り出したことにある。
ある意味、ロンドン・パリにおける全盛期といってもいいかもしれない。



次の対立は、芸術監督とオーナーであるド・バジル大佐とマシーンの訣別となる。
ここでは猛烈な引き抜き合戦の中で、ふたつに分派され、逆に観客としては、ふたつの競い合うプログラムに通えるという幸福にめぐり合ったのだ。
また、米国の興行主のドンであるソロ・ヒューロックと組むことで、バレエの歴史がなかったアメリカで大成功を収めることになる。
第二次世界大戦の動きの中で、その多くがロシア亡命者である団員たちは、命からがら米国行きの客船に乗ることになる。
そして、米国中を巡業して回ることになるのだが、ここでそのヒューロックとバジル大佐の対立が起こったりもする。
オーストラリアや南米公演など、バジル大佐とマシーンのふたつの劇団は、「バレエ・リュス」の世界をインターナショナルに拡大することにもなる。
しかし、バジル大佐の劇団はその死とともに1948年に解散、マシーンの劇団も1962年に最終公演を迎える。
一方で、ハリウッドやブロードウェイ・ミュージカルの世界と、「バレエ・リュス」の才能たちは、クロスすることにもなるのである。



アレクサンドラ・ダンロワとゾリッチの夢のような組み合わせ。
イリーナ・バロノワやアリシア・マルコワの可憐さ。
フレデリック・フランクリンの均整の取れた肉体美。
バクスト、ピカソ、マチス、ユトリロ、コクトー、ココ・シャネル、ストラヴィンスキー、ドヴィッシー、サティ、キリコ、ダリ、シャガール・・・才能たちが綺羅星のように結集し、「バレエ・リュス」の戦線に加わるのである。
ため息が出る。
一方で、ソリストたちにしても、過酷な巡業の中で、僅かな報酬しか得ていない。
けれど、証言者たちは語る。
「バレエ・リュスには何者にも変えがたい、踊る歓び、生きる歓びがあった」のだと。
同窓会に集った多くの元団員たちは、その後世界中で、バレエ劇団を創造したり、教室を開いたり、アカデミーで後継育成をしたりしている。
来年、2009年には、バレエ・リュスの誕生100周年を迎え、世界中でさまざまな企画が準備されるだろう。愉しみだ。

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