サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 07182「三年身籠る」★★★★★★★★☆☆

2007年01月07日 | 座布団シネマ:さ行

『ナインソウルズ』や『血と骨』などの個性派女優、唯野未歩子が脚本と監督を担当したユーモアいっぱいのファンタジー。妊娠27か月の巨大なお腹を抱える妊婦役に挑戦したのは、お笑いコンビ「オセロ」の中島知子。その軟弱な夫役に『メゾン・ド・ヒミコ』や『帰郷』など、話題作への出演が続く西島秀俊。人生の一大イベント、3年にも及ぶ妊娠に振り回される登場人物たちの姿が笑いを誘う。人生どうにでもなると思える楽しい寓話。[もっと詳しく]

唯野未歩子は「団塊jr.」の、もっとも良質な問題意識と感性を、持っているかもしれない。

 21世紀に入って、本当のところなにが起きるのか誰にもわからないまま、騒がれてきたのが2007年問題である。
「団塊の世代」の大量退職の始まり。その2007年が到来した。
「団塊の世代」を語るとき、必ずくっついてくるのが「団塊の世代Jr.」の存在であり、おおよそ1970年代前半に生まれた世代から始まる。現在、30代前半である。
この世代は「豊かさの世代」といわれ、高度消費社会の担い手の真っ只中に存在しており、いつも消費マーケットの最大ターゲットとなってきた。

 

 「三年身籠る」の監督である唯野未歩子は1973年生まれであり、自分たちの世代がおかれている状況を、とてもよく把握していると思われる。次のような彼女の言葉はそのまま、この映画制作のモチーフとなっている。
「豊かな状況で育った私たちに欠けているものは目の前の人たちとのコミュニケーション能力です。肉体的には大人でも精神的には子供であり、たとえばそういう私たちの世代が子供を持ったとき、幼児虐待、育児放棄、子殺しといった問題が出てこざるを得ないのかもしれません」 。

「三年身籠る」という映画のモチーフはシンプルだ。
多くの哺乳動物たちは誕生と同時に歩き始めたりする。
しかし人間は10ヶ月あまりの胎児期を経て、たぶん動物でもっとも未熟なまま、外界に登場することになる。
通常、乳児は1歳半で歩き始める。とするならば、三年身籠れば、乳児は幼児前期として(例えば、生後すぐに立ち上がる子馬のように)外界に登場することになるのではないか。

 

とても、興味深い、仮説の立て方である。
この映画で、主人公の妊娠期間が18ヶ月を過ぎた頃、病院への入院を勧められ、病院の医者たちがこの世界初の椿事に喜び勇んで学会発表をし、マスコミも好奇の目で記事にし、家には「悪魔の子だ」「信心が足らない」などの嫌がらせの手紙が舞い込むような騒動になるシーンがある。
主人公もそうなのだが、本当はそんなこと(医学上の注目)はどうでもいいのだ。
ただひたすら、「胎児(乳児)がまだ外の世界に出たがっていない」のであり、妊娠期の生命との一体感がたとえようもなく「幸福」であるということが掛け替えのないことなのだ。

そして、父と母があらかじめ存在しているのではなく、この三年身籠るという「猶予(モラトリアム)期間」に、父と母に成長していくのだという確信がこめられている。
「在る」から「成る」へ。
たとえ、母体の安全と引き換えというリスクがあるとしても、あるいは成長した赤ちゃんで異形の怪物のような奇怪な腹部を持て余したとしても、「自然分娩」に拘るこの若い父と母に、唯野未歩子の鮮烈なメッセージが祈りのように清々しく、表現されている。

 

29歳の末田冬子(中島知子)の妊娠9ヶ月から物語りは始まる。
冬子は父親が不在の女系家族で、穏やかで慎み深く、けれど世間の波長とは少しずれており、自分の明確な欲望はあまり持たず、相手に合わせてしまうようなキャラクターに設定されている。
この存在感の希薄さといった性格は、直情型で欲望が明瞭であり傍若無人なところがある妹の緑子(
奥田恵莉華)とコインの裏表のように一対として設定されている。
この造型には、女系家族(父親の不在)のもつ欠損を、無意識に埋めようとして足掻いている姉妹の必然的な性格形成とも見て取ることが出来る。
夫である徹(
西島秀俊)は、妻の妊娠中もビリヤードに愛人を誘い、泥酔して帰っては、服を脱ぎ散らかしてベッドに潜り込むような、享楽的でだらしないあるいは優柔不断で頼りない、子供っぽいともいえる青年として、描かれている。

 

妊娠を契機に、冬子は音楽やテレビや街中の雑音を排除し、耳栓をして、「胎児のためにのみ存在する母親」という位置を、滑稽とも思えるような徹底性で追求することになる。
妊婦としての自覚した行動ともいえるが、女系家族の中で特異な育ち方をした「不安」の裏返しともとれるような、病理的な妊婦行動といえなくもない。
当然、冬子に甘えることも出来ず、男としてあるいは父親としてこの女系家族の中でほとんど期待されてもいない徹は、面白くない。

徹はたまたま冬子が「お父さんへ」と書かれた手紙の束と、冬子の昔の相手であろうと思われる3人の男たちとのスナップ写真を、台所の片隅の缶から発見し、冬子に「俺の子か?宇宙人の子じゃないのか?」と問い詰める。
そうした徹の疑心に対して、安心できる居場所がなくなってきた冬子は、緑子の恋人である父親ほども年齢がかけ離れた医者の海(
塩見三省)の勧めで、病院に居場所を移す。
通常の出産期間をはるかに超えて、学会の実験台のような扱いを受け、世間やマスコミからは好奇の目で晒されるようになった冬子に対して、ようやく徹は自分が守ってやらなければという決意をして、冬子を退院させる。
ふたりは人里はなれた山荘を借りて、徹はかいがいしく冬子といまだおなかの中の子供の面倒を見る。そして27ヶ月がたった・・・。

 

この映画のポイントのひとつに、冬子が書き綴る「お父さんへの手紙」がある。
いったい誰に宛てたものだろうか?
最初は、不在の冬子の父親に向けてのものかと僕は思ったりした。
あるいは、徹が疑ったように、遺伝子上の思い当たる父親がいるのではないかとも。
無難な解釈としては、やはり徹向けに書いたものではあるが、「こうあって欲しい」といういわば「父親に成る」ということを自覚化できたあとの徹に向けての、「母親に成る」ということをいち早く実践している冬子からの伝心、というようにとらえられるかもしれない。

けれども、僕はこう解釈したい。
胎児あるいは乳児という期間にとって、ほんとうに必要なのは全的な母親の「愛」である。それだけだといってもいい。
この時期の母親からの絶対愛があれば、たぶんその子は成長しても、人に対しての「信頼」という拠所は動じることはない。
この時期の父親の存在は、唯一、母親の精神的安定(この映画でいえば、胎児への徹底した環境作り)の構成要素のひとつでしかない。
夫婦に諍いがあれば、必ずその心的な動揺は、胎児に伝播していると考えたほうが良いというように。
けれど、徹は精神的には子供であり、安定より不安定をもたらす存在とも成り得る。
そこで、冬子は幻想上の理想の父親=パートナーを仮構した。いってみれば、それは、冬子のなかの仮構された父性といってもいいかもしれない。
徹が信頼できるパートナー=父親に成って以降は、その手紙の受け取り人が、徹自身にチェンジしても、矛盾はないのだというように。

 

この徹底した女系家族を現在の水準で捉えてみれば、本当は受胎そのものは、人工授精でも体外受精でもいいということになるかもしれない。
父親が誰であるか、実在するかどうかは、本当は母子にとって決定的な要因ではなく、選択肢のひとつに過ぎないというように見なすことも出来る。
父親は幻想上に仮構し、あるいは父親に成る人間を見つけられればいいだけの話なのだから。
種の保存という問題と父親は誰かという問題は、連関しない。父と子を巡る葛藤の物語の発生は、「三年身籠る」あとでも、充分だからだ。

この数年、邦画に若い女性監督が何人も出現した。僕はそのなかでも唯野未歩子の可能性をもっとも買っているひとりだ。
唯野未歩子はとても戦略家であり頑張り屋であり職人である。
彼女は、武蔵野美術短期大学でグラフィックデザインを卒業後、96年多摩美術大学芸術学部映像コースに入学し、映画作りを学んでいる(2000年卒業)。97年女優デヴュー。

ここからの出演作品の集中的なラインナップがすごい。
少し長くなるが、公式サイトのプロフィールから引用してみる。
<主な映画出演作> 97年「フレンチドレッシング」(斎藤久志監督) 98年「サンデイドライブ」(斎藤久志監督) 99年「大いなる幻影」(黒沢清監督)「BULLET BALLET」(塚本晋也監督)「金髪の草原」(犬童一心監督) 00年「ざわざわ下北沢」(市川準監督) 02年「いたいふたり」(斎藤久志監督)「さゞなみ」(長尾直樹監督)「パルコ・フィクション」(矢口史靖・鈴木卓爾監督) 03年「ナインソウルズ」(豊田利晃監督)「恋する幼虫」(井口昇監督) 04年「血と骨」(崔洋一監督)「透光の樹」(根岸吉太郎監督)「ジャンプ」(竹下昌男監督)「SURVIVE STYLE 5+」(関口現監督)「犬と歩けば」(篠崎誠監督)
<主なTV出演作> 00年「柔らかな頬」(長崎俊一監督) 「さわやか3組」(鈴木卓爾脚本) 01年「ビタミンF」(高橋陽一郎監督) 02年「黒い十人の女」(市川崑監督) 04年「東京ミチカ」(藤原道仁・久保田哲史監督)05年「世にも奇妙な物語/美女缶」(筧昌也監督)
<主なCM出演作> 01年大塚製薬「Nature Made」02年朝日新聞「企業広告」 03年キリンビール「8月のキリン」 04年NTTドコモ「FOMA」
<主な脚本執筆作> NHK教育「中学生日記」 03年「地底人伝説」 04年「わたしたちの名前はどの辞書にも載っていない」 05年「彼女たちの向こう岸」
<主な自主制作映画> 99年「everytime go!」(カラー/30分) 00年「sweet」(モノクロ/30分) 02年「縞々職人」(カラー/10分)

僕たちも注目する数多くの若手監督のオファーを受け、あるいは自ら彼らとのセッションを見事に獲得してきている。単に世渡りや売込みが上手だというレベルは、はるかに超えている。
ここで女優唯野未歩子として歩みながら、彼女は貪欲に映画づくりという世界を盗み、学び、体得していった筈である。
自分で自分をマネージする力、自分は何が足りないのか、それを埋めるためにはどうしたらよいのか。そして、チャンスはどこから来るのか、どう掴むのか。唯野未歩子は直感的にそして冷静に、結果として最短距離を走り続けてきたように思う。

「三年身籠る」では、プロデューサー、撮影、制作、音楽といった主要部署を女性が占めている。
多くのスタッフとの膨大な共同作業という現場こそが、映画そのものの特異性であるわけだが、唯野未歩子にはたぶんすべての打ち合わせに参加し、頑固に自分の考えを伝え、相手の力を引き出し、ダメダシにも徹底して拘ったのだと思わせるところがある。
映画の中で出てくる料理のシーンひとつをとってみてもいい。
七つの食事シーンで58品目のレシピをスタッフと考案し、しかも撮影用ではなく実際に素材にあたり、料理し、みんなで食べられるように準備したという。
一時が万事だ。全力投球である。そして、その丁寧な映画づくりは、観る者に確実に伝わってくる。

 

唯野未歩子は、この作品で世界の「女性映画祭」などに数多く出品し、人脈も拡げている。また、この脚本を小説に書き下ろし、単行本も上梓した。
もうひとり忘れてはならないのは、この映画が初出演にして初主演となる冬子役の中島知子だ。
ミス京都精華大学で注目され、93年に松嶋尚美とともにお笑いコンビ「オセロ」を結成し、それまでの女性お笑いコンビの概念を破壊するに至った中島知子だが、この映画での「すっぴん」での妊婦演技は、絶賛しても良いと思う。 中島知子もまた1971年生まれの「団塊Jr.」である。

「論理」と「感性」を上手に融合し、氾濫する情報の渦に巻き込まれることなく的確に対応し、なおかつ自分たちの世代が置かれている世界の現実を他の世代に責任転嫁することを潔しとしないという構えのようなものを、唯野未歩子や中島知子は、持っているように思う。
誉めすぎかもしれない。あるいは「団塊Jr.」の世代から、颯爽とそういう資質と戦略性を持った人間が、層として出現してもらいたいという、僕自身の願いかもしれないのではあるのだが・・・。

 



最新の画像もっと見る

14 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
hitoさん (kimion20002000)
2007-07-23 10:11:39
こんにちは。
僕も、食べ物部分は、興味を持って、見ていました。
撮影後、スタッフで食べたんでしょうね〈笑)
納得 (hito)
2007-07-21 10:30:41
こんにちは。TBありがとうございます。

私はこのストーリーがイマイチピンとこなくて、ただただ登場する食べ物に心惹かれていたのですが、kimion20002000さんのレビューを見て、そうか~と色々と納得する部分がありました!
悠雅さん (kimion20002000)
2007-04-06 02:02:37
こんにちは。
不思議なほど、古風で落ち着いた空間でしたね。
男の側から言えば、やっぱ出産ということにおいてけぼりをくわされているような気がしますね。他人事になってしまう。抱いてみると震えるんですけどね。でお、3歳ぐらいまでは、やっぱり、母子の世界なんだという気がします。
なるほど・・・ (悠雅)
2007-04-06 01:10:05
こんばんは。お邪魔します。

最初っから最後まで、いろんなところに面白さを何度も感じながら、楽しく観ました。

女性は妊娠したとわかったときから、心身ともに母親へと(勝手に)変化していくのですけど、
男性はその実感をどのように得ていくのだろうと、
大昔、自分が妊娠中だった時に、夫に対して感じた疑問を
また今頃思い出してしまいました。

季節を感じる食材を使ったお料理もおいしそうだし、
ふたりの最初の住まいの形も、そこから見える光景もいいし、
畳の部屋、柱に貼り付けたようなコンセント、黒い電話、玄関の引き戸、
どれにも昭和を感じたけれど、あれが彼女たちが生まれた頃の景色だったのかしら…
rainbowさん (kimion20002000)
2007-02-18 04:58:54
こんにちは。
そうだね。監督の足を引っ張る風潮も、今後は出てくるかもしれないな。頑張ってほしいよ。
TBありがとうございます。 (rainbow)
2007-02-18 03:18:26
色々な捉え方ができる映画だった気がします。
すごく詳しく書かれていて、興味深く拝見させて頂きました!
唯野監督、やっかまれないことを願いますね。
私もお気楽かと思いますが、TB返しさせていただきます(^-^)
最強妹さん (kimion20002000)
2007-02-15 10:11:29
こんにちは。
全然、お気軽でいいんじゃないですか。
レヴューすること自体が、なにかであるわけですからね。
Unknown (最強妹)
2007-02-15 07:36:19
あまりの深い考察にわたしのお気楽なレビューをTBしていいものか迷いましたが、TB返しさせていただきます。
ほんっとお気楽で申し訳ないっス
サトウノリコさん (kimion20002000)
2007-01-23 14:49:34
こんにちは。
一時が万事ということではありませんが、最近でも、悲惨な事件の登場人物の多くは、この世代ですね。
TB&コメントありがとうございました。 (サトウノリコ)
2007-01-23 13:02:36
確かに小さい頃、親からの愛情を受けれない子供というのは、歪んでしまう事が多いですし、
今、私の世代は、出産しても共働きの家庭が多いですから、
この辺りは非常に人事に感じませんね。
こちらのレビューを拝見して、監督の色々な思い入れのある作品なんだなと改めて感じました。
こちらもTBさせて頂きました^^
とみさん (kimion20002000)
2007-01-08 23:51:13
こんにちは。
全体としては、女系家族の中にいる父親が不在の姉妹の成長物語になっていますから、やはり、素直に「おとうさんへ」というのは、自分の父親を指しているという解釈で、いいんでしょうけどね。
Unknown (とみ)
2007-01-08 16:09:51
 kimion20002000さん、TB&コメント、どうもありがとうございました。
 「お父さんへの手紙」ですが、私は、映画を観ている時、冬子が、自分の父親に向けて書いたものだと、信じて疑っていませんでした。でも、kimion20002000さんのレビューを読み、徹に向けて書かれた、遺伝子上の思い当たる父親に向けて書かれた、等、他にも解釈出来るのだな、と思いました。
マダム・クニコさん (kimion20002000)
2007-01-07 17:25:41
こんにちは。ああ、娘さんがその世代なんですか。
唯野監督は才能あるけれど、結構、やっかみされそうな感じもしますけどね。足を引っ張られませんように(笑)
納得! (マダム・クニコ)
2007-01-07 15:36:22
>「団塊Jr.」の特質

次女が71年生まれなので、大変参考になりました。
唯野監督は、私もいちばん期待しています。

TBに感謝!

コメントを投稿