サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 10495「牛の鈴音」★★★★★★★★★☆

2010年10月26日 | 座布団シネマ:あ行

韓国で観客動員数累計300万人という大ヒットを飛ばし、インディペンデント映画初の興行成績第1位、歴代最高収益率を誇る感動のドキュメンタリー。農業の機械化が進む中、牛とともに働き、農薬も使用せず、頑固に昔ながらの方法で畑を耕す老夫婦の日常を静かに見つめる。これが初監督作となるイ・チュンニョルは、3年余りの月日を費やして本作を完成。ただ黙々とともに働き、心を通わせる牛と翁の何げない日常が観る者の琴線に触れる。[もっと詳しく]

消え去りいく風景の中に、確固として刻印される、老夫婦と老牛の生の証。

宮崎県の今年の狂牛病騒動で、飼っている牛が処分されていく映像は、見るに忍び難かった。
相方が、宮崎の出で、宮崎市、都城市、小林市、えびの市などにゆかりがあり、牛を飼っている人も知っており、いたたまれなかった。
そのほとんどは、食用に育てている牛なのだろうが、単純に<商品>を廃棄せざるを得なかったという、「損失」に対する悲嘆ということではない。
やはり出産の時から、手塩にかけて育てた「命ある」ものたちを手放す、いや殺戮に自ら手を染める行為なのだ。
国や地方行政に問題があったのか、それとも現代では不可抗力に近い「災害」なのか。
原因や責任の所在はこれからも議論されるだろうが、畜産農家の方たちには、立ち直って・・・という月並みな言葉しかかけることはできない。



韓国のチュ爺さんの40歳になる(牛は生存寿命が15歳ぐらいらしい)老牛は、農作業のパートナーのために飼われている。
もう足はよぼついている。
あばら骨が浮き出て、小汚い惨めな姿を晒している。
モゥーという元気な鳴き声をあげることもない。
リヤカーにチュ爺さんとイ婆さんが乗ると、牽引するだけで休み休みだ。
村のみんなからは、この牛はチュ爺さんの「背負った業」のようなものだと言われる。
獣医からは、ここまで持ったのが奇蹟のようなもので長くてあと1年かな、と引導をつきつけられる。
イ婆さんからは、この牛のおかげで9人の子供たちを育てることが出来たが、もうこれ以上私達には世話は出来ないと日がな愚痴られる。
市場に持っていっても、「只でも引き取らないよ」と侮蔑され嘲笑される。
子供たちも帰ってきても、イ婆さんの言うことがもっともだと声を揃える。



それでもチュ爺さんは、頑固にこの老牛のために、無農薬の畑を機械の手を借りずに、朝早くから日が暮れるまで、ともに働き続け、毎日の老牛の餌のための草刈や藁干しに時間を費やしている。
チュ爺さんは8歳の時鍼治療に失敗し、足はいざり状態になっている。
作男を8年やったこともあり、働きづめの人生だった。
イ婆さんは16歳で100kmの道を籠に揺られて、嫁入りに来た。
以来60年働きづめで、私の人生は酷いものだった、と毎日のように爺さんを詰る。
それもこれも、この牛のせいだ、と。
爺さんは、足の痛みと頭痛に苦しみながら、それでも「人間より牛の方が大事だ」と言って憚らない。
よろける爺さん、よろける牛。とうとうその歩みの速度も同じように覚束なくなってきた。
チュ爺さんは、30年を共に過ごしたこの老牛に、名前をつけるわけでもない。
知らない人がたまにその姿を覗けば、死にかけのこの老牛を、虐待しているかのように見えるかもしれない。
ただただ、老牛の首につけた「鈴」が、この老人夫婦の小さな行動範囲に、響き渡ることになる。



ドキュメンタリー畑のイ・チョンニュル監督が、監督・脚本・編集にあたったインディペンダントな映画だが、韓国の映画史上の記録を次々と塗り替えられることになった。
ナレーションもない。
音楽もほとんど入らない。
爺さんと婆さんと、市場でその後買った一頭の雌牛と、ヤンチャ過ぎて老夫婦にはとても手におえないその子牛と、あばら家のような住居と、3頭の牛が入れる粗末な牛小屋と・・・それだけが舞台装置だ。
なんということもない老夫婦と牛を巡る物語は、3年の制作期間をかけて、なんとか事前のプロモーションで9館の上映を確保した。
クチコミからクチコミへ。
上映は150館まで拡大し、ついに300万人の動員を確保するに至った。
日本の人口比に直せば、800万人が映画館に足を運んだことになる。



インディペンダント作品」としては、韓国最大のヒットである『Once ダブリンの街角で』(22万人動員)を抜いて、ダントツ一位となった。
ドキュメント作品としては、韓国で最高入場を記録したマイケル・ムーアの『華氏911』(04年)の45万人動員を簡単に抜き去った。
別に韓国人がドキュメント作品を好んでいるわけではない。
それまでの韓国発ドキュメント作品の最高動員は『ウリハッキョ』(06年)の5万5000人に過ぎない。
テレビ放映されるや、視聴率は鳴り物入りの大作『レッド・クリフ』を抜いて一位となった。
これはもう、ひとつの社会現象であるのだろう。
対製作費収益率はなんと4300%。
この化け物のような数字を抜く作品は、二度と出ないかも知れない。



イ・チョンニョル監督は、1966年生まれ。
もともと貧しい農家の息子に生まれ、小さい頃は牛追いをした経験もあるという。
固定カメラで老牛や老夫婦の風雪に耐え抜いた皺のひとつひとつまでぎりぎり拡大して、冷静に映し出していく。
そうかと思えば、手持ちカメラで、ゆったりゆったりと痛みに耐えながら体を動かす仕草の、小さな震えや息遣いまでも同期しようとする。
知人に無農薬で山梨のとある里山で野菜造りをしている女性がいて、たまに田植えや草取りや稲刈りやといった体験を都会住まいの僕たちに体験させてくれたりするのだが、軟弱な僕はたった1,2時間で弱音を吐いてしまう。
チュ爺さんが毎日毎日老牛と共に肉体を酷使し、イ婆さんが呪詛することの断片をかろうじて理解できる。
チュ爺さんはほとんど喋らないし、黙々と何を言われても馬耳東風と、自分の流儀を譲ろうとしない。
イ婆さんは、そんなチュ爺さんの性格を当たり前だが熟知しながら、それでも悪態をつくことを一時も止めようとはしない。
ある意味でユーモラスであり、その対称のような組み合わせが、ある意味では羨ましくも思えてくる。



チュ爺さんはめったに笑うこともないが、たまに村人といっしょに話をするときは、この老牛についての話ばかりだ。
「車が来てもちゃーんとわかってうまくよけるんだよなぁ」
村人が老牛について「偉いねぇ」などとつきあうと、破顔満笑になるのである。
イ婆さんだって、本当はこの老牛に感謝している。
老牛は自分たちの人生を投射する鏡であり、最後の最後まで生きて在ることの、自分たちの矜持と重なるからだ。
老牛もたぶんそのことはよくわかっている。
だから最後に老牛のもう開けていることもかなわない瞼から垂れた一筋の液体を、僕たちは「涙」であるかのように、思ってみたくなるのである。
埋められた老牛に、マッコリの一瓶をいとおしく降注ぐ。
「おつかれさま」と、僕たちも心の底から声をかけたくなる。
カラン、カランと天空に届くかのような「鈴音」が、どこかから、聴こえてくるような気がする。

kimion20002000の関連レヴュー

『Once ダブリンの街角で』






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4 コメント

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私が見た時期 (sakurai)
2010-10-30 15:42:59
ちょうど口蹄疫問題がクローズアップされてきて、殺処分され始めたころだったもので、一層やり切れないものを感じました。
朝のラジオで、「武田鉄也の今朝の三枚おろし」ってのを通勤途中で聞くのですが、その中で、日本人は食べ物自体に感謝をする。
あっちのキリスト教圏の方々は神に感謝をする。
牛が殺されて涙する気持ちを尊く思う気持ちを語ってた回があったのですが、この映画で、そんなことを思い出しました。
なかなか強烈なばあさんでしたね。
牛の代弁者のような・・・。
あたしが小さい頃はあんなだったよなあなどとも思いだしました。
sakuraiさん (kimion20002000)
2010-10-30 18:05:46
こんにちは。

「牛」というのは、昔から日本でも崇拝の対象だったんですね。
「牛頭神社」というのもありますし、スサノオの化身でもあります。
農作物の神ですね。たしかに食用にもなり、ミルクも提供し、トラクターにもなりですからねぇ。
弊記事までTB&コメント有難うございました。 (オカピー)
2011-03-20 17:50:30
もの凄く散文的な厳しい現実を扱っているのに、素晴らしい映像詩になっていましたね。
こういうのを観ると、作り物の劇映画はちょっと敵わないのではないかなあという気がしました。

>イ婆さん
牝牛がライバルであると同時に、同病相憐れむ関係でもあることが伝わり、大変微笑ましかったですねえ。
一昨年亡くなった祖母ちゃん(と言っても婿養子だった祖父の再婚相手なので血は繋がっていない)にそっくり。
オカピーさん (kimion20002000)
2011-03-21 01:58:43
こんにちは。
強烈なばあさんだったけど、なんか頑固爺といいコンビだったですね。
日本にも優れたドキュメント作品は多くありますが、この作品の独特のまなざしとユーモアには本当に感心しました。

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