サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

59日目「スーパーミラクルイリュージョン(木下サーカス)」/千葉市

2008年08月23日 | 姪っ子メグとお出かけ

キミオン叔父 中国オリンピックも明日で閉会式だな。
姪っ子メグ うん。今回の収穫は、フェンシングかな。あたしちゃんとフェンシングの試合を見るのは、はじめてだったの。ルールなんてまるで知らないから、フーンそうなのとはじめて理解したわ。
銅メダルとったあの青年も、エライねえ。超マイナーだから、スポンサーはなかなかつかないだろうしね。あとは、新ルールがなかなか慣れなくてさ。野球やソフトボールの延長以降の得点圏にランナー置いてさ、さあ、ここから点を取りましょう!って言われてもねぇ。
体操なんかもそうよねェ。10点満点という感覚が染み付いていたんだけど、大技と正確さみたいなのが、そそれぞれ独立して採点され合算されるようになったのよね。日本の選手たち、馴れてなかったみたいね。
今回は、猛特訓しすぎで怪我をして出場できなかったり、優勝を目されていて、1回戦であっけなく敗退したり、野球なんかはライバル国に全敗だったり・・・まあ、いつものように腰砕けの話題も多かったんだけどさ、オリンピック選手団の団長みたいな人がさ、日本は強化予算が少なすぎて、長期的な選手育成が出来ないんだと、憤懣やるかたないという感じで、インタヴューに答えていたね。たしかに、若手のスターというのが、ほとんどいなくて、アテネに次いで2連覇という人が多かったね。



あたし木下サーカスって見るの初めてなの。
オジサンは、小さい頃に何回か見ているよ。まあ、世界三大サーカスという触れ込みは、怪しいもんだけどさ、芸人に外人度が高くなったな。
どうなんでしょ。やっぱり、体操や新体操で競技してきた選手が、サーカスに転向するケースもあるんじゃないかしら。
シルク・ド・ソレイユなんかは、世界中に拠点があるけど、大道芸やバレーの出身の人もいるけど、やはり体操選手やトランポリンの選手の応募も多いようだよ。とくに、冷戦後の東欧の体操選手が、もう国家に庇護されなくなったからさ、新天地を求めたんだろうね。
木下サーカスでもキリンや象や猛獣なんかを何匹も公演に連れて行くわけでしょ。専用の調教師やトレーラーも必要だろうし、裏方まで含めると、結構な人数なんでしょうね。
木下サーカスは歴史が100年を越えるんだよ。初代の団長である木下唯助は、大連で旗揚げするんだね。で、ロシアに回った時に、空中ブランコを見てびっくりして、プログラムに繰み込むんだよ。ピエロにしても、動物芸にしても、やはりヨーロッパだものね。
そうね、20世紀初頭といえば、一挙に新芸術が花開いたけど、サーカスという題材は、画家たちがこぞって取り上げたテーマですものね。日本にも、関東大震災の前後に、海外からのサーカス公演もあって、すごい人だかりみたいだったようね。
だけどさ、僕らが幼い頃のサーカステントってさ、もっとおどろおどろしくて、臭くって、怖くってという感じがあったけどな。
動物も多かったけど、臭いは少なかったわね。仮設トイレなんかも綺麗だったし。
そうね、それに、昔のサーカスの光景も、映画や怪奇小説やもっと新しいところでも唐十郎なんかのテント芸の引用なんかの情景が、ごっちゃになっているのかもしれないな。
まあ、でも手に汗握るシーンもあって、満足したわ。
汗をかいたところで、どっか立ち寄り湯にでも寄っていくか。


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