kimekime25

敬称は省略させていただきます。
引用が不可能になり、ブログの時間もとれない。時間があるときUPします。

「毎日の反原発社説」 & 閑話休題:なれが危険を増長させる

2011-04-16 12:45:34 | 原発大反対!

アクセスに

深く感謝いたします。

仕事しに出るかあ

そう思ったら

さっきぐらぐらときました。

萎えてしまいましたので

明日にしましょう。

今日紹介の花は

かいどう。

 

 

 

 

 

 

「かいどう」にも八重があるようです。

可憐というのが

この花のイメージでしたが

なにやら豪華な感じがしました。

 

昨夜

ハナミズキが咲いているのに

気がつきました。

真っ暗でしたので

もしかしたら

間違いかもしれませんが・・・。

 

本題にいきます。

引用が長いので

読みにくければ記事をクリックしてください。

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***************「毎日新聞」*********************
 東日本大震災:津波間一髪、防潮堤を過信 岩手の一家
 
  3メートルなら大丈夫--。過去に何度も津波を経験してきた岩手県沿岸部は各地で高い防潮堤を整備するなど対策を進めてきた。地震発生直後に気象庁がこの地域に出した大津波警報は高さ3メートル。「高台に避難しなくても安全だ」と考えた、という証言が相次いでいる。

 岩手県大船渡市の南端に位置する碁石海岸で食堂「碁石観光ハイツ」を経営する、大船渡市末崎町西舘地区の村上有基さん(36)は地震発生時、母恵子さん(63)と食堂で休憩中だった。食堂の被害はなかったが、約2キロ離れた自宅に残した足の不自由な祖父の三郎さん(96)が心配になった。

 午後2時50分、乗用車に乗り込み、自宅に向かう途中カーラジオをつけると「大津波警報が発令され、宮城県沿岸には6メートル、岩手県沿岸には3メートルの津波が来る」と聞いた。自宅から300メートルほど離れた、泊里(とまり)漁港には高さ約5メートルのコンクリートの防潮堤がある。「3メートルなら防潮堤を越えることはない」と思ったという。食堂に引き返して、恵子さんを車に乗せ、午後2時55分ごろ、再び自宅に向かった。

 午後3時、自宅に到着。父征一さん(66)も戻っていた。台所の食器が何枚か割れていた。同様にカーラジオで「3メートル」と聞いていた征一さんが「津波はここまで来ることはないだろう」と言い、家族は室内の片付けを始めた。1960年のチリ地震津波など過去の津波で自宅は浸水せず、全員が「家にいることが避難になる」と思ったという。

 午後3時15分ごろ、恵子さんが、台所から自宅の少し下にある納屋の屋根が流されているのに気付いた。「津波だ」と叫んだ。村上さんは靴を取ろうと、玄関に向かった。ゴーゴーという音を立てて泥水が流れ込み、水はすぐにひざの高さまで。居間に戻ろうとしたが水圧が強く、動けない。何とか近くの階段にたどり着き、2階にはい上がった。水かさが増す。「3人はもう助からない」と思った。

 濁流は1階の天井近くまで達し、居間にいた3人はあっという間に水にのまれ、浮いてきたソファに夢中でしがみついた。天井と水面の50センチほどの隙間(すきま)に必死に顔を出した。水が引くまでの約10分間、恵子さんは「もうだめだと何度も思った」と振り返る。午後3時半。4人は間一髪で難を逃れたが、向かいの家は倒壊し、地区では3人が死亡、3人が行方不明になった。

 家族と避難生活を送る村上さんは、大津波にのまれる夢を見るようになった。「3メートルと聞き、被害は湾内の漁業施設ぐらいと思った。甘かった。初めから高台に避難すべきだった」。恐怖で目を覚ます度、そう悔やむという。【宮崎隆】

 ◇「数字たいしたことないと…」
 最初に「到達」と伝えられた波の大きさ、避難場所の海抜、防潮堤の高さから「安全」と判断した人もいた。

 同じ西舘地区に住む、無職、及川宗男さん(60)はマイカーに備え付けたテレビで「沿岸部に20センチの津波が到達」と聞いた。安心して海から約600メートル離れ海抜15メートルほどの坂の上に車を止めた。ところが、家々が津波に流されている。あっという間に濁流が目の前に迫った。かろうじて車から脱出し高台に逃げた。「数字を聞いてたいしたことがないと思った。過信していた」と及川さんは振り返る。

 岩手県陸前高田市の気仙小学校に避難した25歳の女性は「小学校は海抜10メートルぐらいで、ここに逃げればさすがに大丈夫だろうと思った」と話す。午後3時15分ごろに防災無線を通じて「6メートル」という数字を聞いた。「小学校まで来るとは思いもしなかった」。ところが津波はグラウンドの避難者を襲い次々にのみこんでいった。この女性は裏山を駆け上がり助かった。

 岩手県宮古市田老地区の70歳の男性は「防災無線で3メートルと聞き、大丈夫と思った。しかし『逃げろ』と叫ぶ声を聞き、一応避難することにした。今思えば危なかった」と話す。【宮崎隆、山口知、伊澤拓也】
毎日新聞 2011年4月16日 2時32分(最終更新 4月16日 10時44分)
***************************************** 

冒頭で述べたが

緊急地震速報がでても

また

地震が来ても

先日の巨大地震を体験したため

少しぐらいの揺れでは

びくともしなくなってきている。

これが災害を大きくさせているのであろう。

上記記事を読むにつけ

つくづく

思い込みというのが

間違いなのか思い知らされる。

しかし

現実的には

瞬間的な判断は難しい。

津波予測の困難さも

同社は記事にしている。

東日本大震災:津波警報に限界 住民「堤防越えぬはず」

 

毎日新聞を引用したのは

下のような社説を

初めて大手の新聞社として

出してきたことからだ。

一歩前進と言うことだ。

歓迎したい!

社説:震災後 地震国の原発 政策の大転換を図れ

社説:震災後「低エネ」社会 日本モデルは可能だ

利権のための原発行政が

政権を変えることによって

アンチ原発になることは

容易なはず。

この原発行政が

なんで民主は踏襲しなければならないのか

この政党の

根本が問われている!

菅では

大きな変化はできない!

菅はやめろ!

 

東電や菅政権の発表に

踊らされず

すべてにおいて

冷静に

着実に

基本に徹した行動をとりたいものだ。

 


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